想いは毒の如し

 夏休みのコーヒータイムを兼ねた読書タイム。


 俺は、勉強そっちのけで、この前参考書と一緒に買った『毒物の化学』という本をリビングにて読んでいた。

 毒は薬にもなり、薬は毒にもなる。そんな昔からよく言われている当たり前のことも、この本のように具体的な事例を挙げて解説されると、とても不思議で楽しく思えてくる。


「兄貴、またその本読んでるんだ、そんなにおもしろいの?」


 リビングのソファーの背後から、妹が声をかけてくる。


「ああ、すごくおもしろい。ひとくちに毒と言っても、あまりに多種多様すぎてな」

「ふーん。わたしは、亀の甲羅みたいな模様見てると理解不可能になるけど」

「ベンゼン環のことか。これは化学をやる上では避けて通れない重要なものだぞ」

「……その壁を越えたら、化学が楽しくなるのかなあ…」


 思わずうなずく。うむ、化学は構造式の芸術だ。


「当たり。壁を越えたら、この本に書いてあることが楽しくなる」

「……ね、その本、どういうことが書いてあるの? わたし、気になります!」

「おまえは古典部部長か。そうだな、わかりやすいところでは……ガマガエルが作り出すセンソっていう毒があるんだが、それは心臓の働きを高めるので、強心剤として医薬品に使われるとか」

「へー」

「前にテロで使われたこともある、サリンという毒を解毒するのに、アトロピンという毒を使うとか」

「毒を以て毒を制す、ってやつ?」

「その通りだ。あとは、ボツリヌス菌が作り出す毒素は、筋肉弛緩作用があるので皺とりなどに使われるとか」

「ボツリヌス菌って聞いたことある。たしかハチミツを赤ちゃんに与えたらヤバい、とかのニュースの中で出てきたような」

「よく知ってるな。ハチミツにはボツリヌス菌が入っていて、成人なら問題ないが、抵抗力のない赤ちゃんだと命に関わることがあるから、ハチミツは一歳未満の赤ちゃんに与えてはいけないんだってさ」


 本から得た知識を得意気に披露する俺。こういうことをするのは、化学ヲタクの習性だな。


「そうなんだ。わたしに赤ちゃんができたときは気をつけなきゃ」

「……そうだな」


 なんでそちらに話が飛ぶのか。俺は先日の海でのこいつの発言を思い出した。


「まあ、赤ちゃんができるのが、いつの未来かはまったくわからんけどな」


 そう言って笑い飛ばし、コーヒーを口に含んだら、思わぬ不意打ちが飛んできた。


「ん。じゃあ、未来になって赤ちゃん欲しくなった時は、兄貴に相手お願いする」

「ブーーーーーッ!!!」


 間髪入れず、毒霧が飛んだ。グレート・ムタになった気分。あ、本が汚れた。


「やだきったない。なに吹いてるのよ兄貴」

「……なんで俺に頼むんだ」

「他人とあんな行為するなんて無理だし」

「人として越えちゃいけない一線、というものがあってだな……」

「別に愛し合うとかお互いを知るとかが目的じゃないし。機械的に子供作るだけだよ」


 兄妹間の恋愛はダメで、兄妹間の子作りはOKなのか。倫理ってなんだろう。


「……それは兄としてダメじゃないか」

「そっか。兄貴は、わたしとそういう行為はしたくないんだね」

「したいとかしたくないとかじゃなくてな、やっちゃいけないことってのがあるだろ」


 なんとなく狼狽してしまった自分を、そう言って必死になだめる。

 まったく。家族で新しい家族を作るとか、神話の時代に遡るつもりか。


「じゃあ、子作りするときだけ、兄妹ってこと忘れたら」

「却下。それは忘れるんじゃなく、現実から目をそらしてるだけだ」

「…………兄妹って不便だね」

「子作りに不便もクソもあるか!」


 常識すら吹っ飛ばす兄妹のこんな会話を、オヤジやおふくろに聞かれたら泣かれそうだ。幸い、今はいないけど。


「でも、兄貴とわたしの子供なんかいたら、絶対かわいいよね」

「おまえに似りゃかわいいだろうが、俺に似た女の子なんか産まれてみろ。悲惨な未来しか待ってないぞ」

「えー。でも、兄貴に似た男の子だったら、すごく頼りがいがある子に成長するよ、きっと」

「……2分の1が外れたら大惨事だな」

「確か、女性が感じると男の子が産まれやすいんだっけ。じゃあ、兄貴はわたしを子作りの時にイカせ」

「作んねえっつってんだろ!!」


 この耳年増め。というかなんで毒の話からこんな話になるんだ。コペルニクスもびっくりだわ。


「あはは。久しぶりにノリいいね、兄貴」

「…………は?」

「じょーだんに決まってるでしょ。そんなの…………ムリに決まってるし」

「……そうか。だよな。うん」


 もうどこからどこまでが冗談なのかわからなくなってきた。少し油断したな。ドキドキさせんなこの小悪魔め。


「あはは。……でも、もし子供を作るなら、兄と妹の二人ほしいかも」

「…………」

「兄を持つ妹がいかに幸せか、ってことを、子供にも教えてあげたいもんね」

「……おまえは、俺の妹で幸せ、なのか?」

「当たり前でしょ」


 即答かよ。


「逆に、兄貴がいなかったら……なんて考えられないよ」

「…………そうか」

「ん。兄貴は自信持ちなさい。でもね」

「どうした?」

「わたしの中にも、毒はあるんだよ」

「…………?」


 毒、か。なんだろう。自分で自分を殺してしまうような禍々しい何か、だろうか。難しくてよくわからない。


「……まあそれはともかく。兄貴さ、毒とか薬とか興味ありそうだよね。薬剤師でも目指したらいいんじゃない?」

「!!!」


 …………薬剤師か。

 まったく先の見えない暗闇のような俺の未来に、妹のその言葉が光を与えてくれた、そんな気がした。……今からでも遅くはない。


「……それ、いいな」

「でしょ? 世界征服はできないかもしれないけど、わたしの毒をなくしてくれそうだし」

「なんだそれ。わけわからん」

「ふふっ。なんでもなーい」


 偶然この本に出会って、偶然妹になった女の子が背中を押してくれた。これだけで、今の俺には運命とも思える。


 ――いっちょ目指してみるか。




「……もしわたしの想いが毒ならば、お兄ちゃんの毒で制してほしい、なんて、望みすぎかな……」

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