妹心と梅雨の空
梅雨という時期を、どう感じるかは人それぞれだ。
農業をやっている人には天の恵みだろうし、傘や靴を売っている店は繁盛するだろう。
そして、俺にとっては。
「……今日も雨か……寝癖がひどいなたぶん。見なくてもわかる」
もともと細めな俺の髪の毛は、湿気によってよりいっそうヘナヘナになってしまうので、梅雨時期はヘアスタイルが決まらない。
まあ、俺ごときにはさほど見た目は関係ないけどな。
そして、妹もどうやら湿気と格闘しているらしい。
ぶおおおおおおおおお。
いつもよりドライヤーの音が長く続いている。かれこれ何十分だろうか。女子は大変だな、と改めて思いつつ、洗面所を覗きこんでみる。
カチッ。
ちょうどブローが一段落したようだ。
「……んーん、決まらない〜どうしよ〜」
そう言いつつ、妹は必死でブラッシングしている。……どのあたりが決まってないのかわからない。こいつなりのこだわりがあるのは理解しているが。
「おはよう。朝から大変だな」
「あ、おはよう兄貴。わ、すごい寝癖」
予想的中。俺は妹の横で寝癖直しウォーターをスプレーし、適当にわしゃわしゃする。こちとらセットに何十分もかけている余裕などない。
「……梅雨の時期は厄介だ。どのみちビシッとキメても意味ないからな」
「ほんとそれ。どんなにがんばっても毛先ハネちゃって、もー厄介すぎるよー」
「……別に普通通りに見えるがな、お前は」
「そうかな? しっくりこないけど」
本人にしかわからないこだわりがあるのはわかるが、具体的にどのあたりがしっくりこないのかは、おそらくこいつにも説明できまい。
「ま、別にいいんじゃないか。垂涎モノの黒髪だぞ、相変わらず。髪だけは」
「髪だけは? ……ま、いいか。……兄貴もヨダレ出ちゃう? 思わず出ちゃう?」
「……おまえは、日本語の繊細な表現というものをそのまま受け取るのか」
「……もう、こんなに出して……」
「朝からやめろ」
「……あ、でも、兄貴のヨダレで髪の毛汚されるというシチュも、それはそれで背徳的でいいかも……」
梅雨と同時に発情期が来ているのか。女子は大変だな。特にこいつ。
朝から漫才をやっていたせいで、案の定時間的な余裕がなくなった。二人で傘を差しながら、お互いに負けじとダッシュ。
高校に着いたときには兄妹仲良く瀕死だった。
「……はあ、はあ、間に合った……」
「……はあ、はあ、兄貴があんなに出すから……」
「出してねえよ! 誤解どころかスカイツリー最上階までいっちまうじゃねえか!」
「イッちゃっていいんだよ……ああん、もうこんなにグショグショに濡れちゃった」
「雨でな。おまえわざとか。わざとだな」
「もう、兄貴ったら激しいんだから……」
「ああそうだな、雨が激しかったな。あと通学に走ったのも激しい運動だったな」
「激しい運動、クセになりそう……いやん」
「毎日遅刻してろおまえは!」
昇降口でこんな会話してるもんだからまわりの視線が痛い。痛すぎる。学校に着いてからの会話が一番疲れた。やばい、HP1だわ。
「……おまえら兄妹、ついにヤッちゃったのか?」
教室に着くなり、昇降口での会話を聞いていたクラスメイトのツッコミを受け、とどめを刺された俺はいきたえた。
―・―・―・―・―・―・―
いくら時間が経っても、HPはおろか、MPすら回復しない。俺はもうめんどくさくなって、クラスメイトにツッコミを受けた件を単なる否定のみで済ませた。
だが、それがまずかったと言わざるを得ない。
放課後、俺と妹は生徒指導室まで呼び出しをくらった。
「呼び出してすまんな。……実は、おまえら兄妹が一線を越えた仲であるらしい、という噂が生徒会より流れてきてな」
呼び出しを食らって先生に開口一番そう言われた俺と妹は、たぶん同じ顔をしていたに違いない。鳩が豆鉄砲なんとやらだ。
「……んなわきゃないでしょう!」
「……そんなわけないでしょう!」
おっと、ハモったわ。まあ事実無根だしな。
「お、おう……まあそんなことはないだろうとは信じているが、受験とかも控えていることだし、万が一、と思って一応確認をだな……」
なんでだ。今朝の昇降口の会話か。なんであんな話がここまで大きくなった。何人聞いてたのあの会話を。というかどんな理由でそんな根も葉もない噂をチクってくれちゃってんの生徒会。あとで全員折檻だ。
そんなふうに俺が生徒会に対する怒りで震えていると、妹がいきなり大声を出した。
「誤解ですっ! わたしがヘンな冗談を言ったのがいけなかったんです! 兄貴は悪くありません! 本当です、信じてくださいっ!」
すごい剣幕でまくし立てる妹に、俺と先生が若干引き気味だ。よく見ると、妹の顔は青ざめている。
「わたしたちはなにもありません! 兄貴は悪くありません! 悪いのは、悪いのはわたしなんです! だから、だから……受験に影響するようなことに、しないでください……しないでくださいぃ…………」
最後のほうは消え入りそうな声になってしまった。なんで必死なんだ、こいつは。よくみると涙ぐんでるぞ。
「お願いします…………お願いしますぅぅぅ…………」
泣きながら懇願する妹を見て、俺と先生はただただ呆然とするしかなかった。
―・―・―・―・―・―・―
無事、無罪放免。当たり前だ、何もないんだからな。
先生には、『そんな無責任な噂を鵜呑みにする生徒会を厳しく指導してください』とだけは伝えた。
チクった奴はただじゃおかんぞ。妹を泣かせた罪は重い。地の果てまで追ってでも、見つけ出して天誅加えないと気が済まん。
「……本当にごめんね、兄貴」
傘を差しながら並んで帰宅中の妹が、しおらしげにそう言ってきた。
「……気にしちゃいないが。なんであんなに必死だったんだ、おまえは」
「……だって、兄貴の内申点とかに響いたら、受験でうまくいかなくなっちゃうかもしれないし……」
「…………は?」
なるほど。受験で俺に迷惑かけることを気にしていたのか、こいつは。
「……本当にごめんなさい」
「……ばかやろう」
「…………え?」
「高校受験じゃあるまいし、大学受験にそんなの関係あるかよ」
妹の豆鉄砲顔。今日二回目だな、たぶん。
「……そうなの?」
「ああ。例え影響あったとしても、そんくらいのハードル楽に越えてやるから安心しろ」
その言葉で、ようやく妹に笑顔が戻った。
「……えへへ、よかったあ。本当よかった……」
「まったく……おまえがあんな冗談をみんなの前でいうから、こんなふうになるんだぞ」
「ん。反省してる」
「ならよし」
「今度からああいうことを言うのは、兄貴と二人だけのときにする」
「また漫才につきあわなくちゃならないのか……」
ため息しか出ないぞ。
「……それとも、本当にそういうこと、しちゃう?」
「兄妹でできるか、バカモノ」
「ちぇーっだ、兄貴のヘタレ」
「だいいち、髪の毛にヨダレべとべとついたら、えらいことになるぞ。たぶん」
「………………そうだね。あはは」
そんなふうになんとなく乾いた笑いをした妹が、突然傘を畳んでしまった。
「……どうかしたか?」
「んーん。ただ、こうしたいだけ」
言葉とともに、俺が傘を持つ手に抱きついてニッコリする妹。
「……せまい」
「いいじゃない別に。ほら、梅雨のいいとこ一つ発見だよ」
天気が雨でも、湿度が高くてヘアスタイルが決まらなくても、生徒指導室に呼び出されても。
傘が狭くて、肩が濡れても。
この笑顔と、腕に感じるぬくもりがあれば、不思議と許せるな。相合い傘も、たまにはいいもんだ。
「……心の準備、しておくからね……お兄ちゃん」
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