喪中につき
新年がもうすぐやってくる。ただし、喪中。
オヤジがいなくなってから、初めての正月である。当然ながら、質素な感は否めず。初詣は我が家では一切やっていなかったので、そのあたりはあまり影響はない。
とりあえず、年越しそばが三人分。これを食さねば、年が明けるという気にはならないゆえに、強引に作ってもらった。
三人で迎える新年に多少の違和感を感じつつも、仏壇にもそばを供えて、俺たちも食べることにする。
「あけました」
食べようとした瞬間、新年が明け、妹がそう言いながら頭を垂れた。おめでとう、は抜きで。つられて俺とおふくろも頭を下げる。
「今年は去年以上に大変な年だとは思うけど、頑張りましょう」
おふくろの言葉だ。大変……確かにその通りだ、否定できない。ここ最近、おふくろは朝から晩まで働き通しなのだから。
オヤジが亡くなった直後に働きづめだったのとは訳が違う。あの時は単によけいなことを考えたくなかっただけであり、今は――経済的事情から、残業をせざるを得ないだけなのである。
そんな事情は、以前おふくろとお金の話をしたときに、いやと言うほど理解した。俺は今年には高校を卒業してしまうので、もらえるお金の額も減ってしまうらしい。
それに加えて、日々の生活費はもちろん、家のローンもまだまだ残っており、あわせて固定資産税やら車の維持費やら何やら、経済的な事情はまったくの先行き不透明。奨学金に頼るにしても、結局悪徳金融から借りるようなイメージしかなく、安易に手を出すと手痛いしっぺ返しを食らいそうで怖い。
俺が大学に行くとして、果たして六年、そのような日々を乗り越えることはできるのか。
――――だからと言っても、俺に働けとは言わない。おふくろも、妹も。
だからこそ、俺の中での葛藤が膨らんでいた。なにせ、薬学部を卒業するだけが、薬に携わる仕事をする道のりではないと、知ってしまったのだから。
『登録販売者』という資格さえ取得すれば、最短二年で販売ができるようになる。しかも、働きながらなので給料ももらえる。
俺の気持ちはだいぶ傾いていた。だが……言い出すのはためらわれた。逃げるように思われたくなくて。家族のために、俺の生き方を犠牲にしたと思われたくなくて。
「……兄貴、難しい顔して、どうしたの? 新年早々便秘気味?」
ポカッ。
「殴るぞ」
「殴ってから言わないで!」
「いいだろ。初殴りだ」
人が新年早々、真剣に悩んでいるというのにこの妹はまったく。
苦笑いするおふくろを尻目に、俺は妹との初どつき漫才に精を出す。
そばはすでに湯気を出さなくなっていた。
―・―・―・―・―・―・―
妹はそばを食べた後、寝た。俺はその瞬間を待って、リビングにいるおふくろの向かいに陣取る。
「おふくろ。大学のことだけど……」
「…………」
「……今さら、働きたいとか言ったら、怒る?」
おふくろはジッと俺を見たまま、まばたきすらせず言葉を発した。
「…………怒らないわよ。でも何故なのか、理由を聞かせてくれない?」
『怒らないわよ』という言葉に俺は安堵し、話を続ける。
「諸々理由はあるけど……一番は、やりたいことができた。コロコロ変わると言われちゃ、何も反論できないけどね」
「……それは?」
「明日死ぬかもしれないなら、六年大学に通うより、今すぐにでも薬に携わる仕事がしてみたい」
「……学歴がないと、苦労するわよ?」
「大学に通うのは、生きてさえいるならいつでもできるから。すみれが社会人になって、経済的に安定してからでもかまわないだろうし」
「お金の心配なら、しなくていいのよ。なんとでも……」
「俺は、おふくろが働きすぎて、オヤジみたいになるのは嫌だ」
「………………」
「それに……俺はやりたいことを曲がりなりにも見つけ、それは大学に行かなくても可能なことがわかった。だから、これは逃げでもなく、自己犠牲でもない。それはわかってほしい」
一番伝えたいことを、かろうじておふくろに伝え終えた。おふくろは感情を出すまいとしてるのだろうか、何を考えているのか読めない。
「すみれは……どう思うかしら?」
そして飛んできた、予想通りの質問。
「ちゃんと話せば、わかってくれると信じてる。それに……」
「……それに?」
「すみれには、自分でやりたいことを探し出してほしい。そのためには、もしやりたいことが見つかったとき、助けられるような……兄でいたい」
俺がそう言いきってから、おふくろは初めてため息をついた。
「……はあ、まったく。正夫さんそっくりよね、将吾は」
「?」
「まあいいわ。とにかく、センター試験はちゃんと受けなさい。選択肢は多いにこしたことはないから」
「……わかった」
「うん。あと、すみれはたぶんだけど、やりたいことなんかとっくに見つけていると思うわよ」
「!?」
思わず目が点になる。おふくろから明かされる衝撃の事実。そんなことまったく聞いてない。
「すみれのやりたいことって、いったい何?」
「……将吾は、すみれが理系希望したこと、知らないの?」
「はぁ!?」
新年早々、変な声が出た。
ちょい待ち。あいつ数学のテストで赤点とか取っていたじゃないか。無謀にもほどがあるだろ。誰が見ても一時の気の迷いだぞこれは。
「まあ、そういうわけだから。あなたは自分のことだけ、じっくり考えなさい」
「…………はい」
おふくろにそう言われては反論するすべもない。俺は緊張感でカラカラになった喉を潤そうと、コーヒーを淹れることにした。カップにドリップ式のコーヒーをセットし、ポットのお湯を……
「――ところで、将吾。あなた、すみれを実の妹以上の目で見てないでしょうね?」
「あちっ!!」
油断したところにおふくろがとんでもない爆弾をぶん投げてきて、不意をつかれた俺は注いでいたお湯をこぼしてしまった。
「……まさか……?」
「んなことあるわきゃねえだろ!!!」
「……ならいいけど」
そんなん、否定するしかねえじゃねえか。俺は、あまりの気まずさに、淹れたばかりのコーヒーを無意識で口に運ぶ。
「…………マズい」
こんなにコーヒーを不味く感じたのは初めてかもしれない。
俺は、兄として――――兄として、どうしたいんだろう、あいつを。
「……まったく。すみれのやりたいことなんて、あなたのあとを追いかけることに決まってるでしょうに……」
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