家族の絆

倉橋家の人々

 ……暑い。


 朝から暑すぎてヤバい。いや、夏だから仕方ないのではあるが。

 おかげで、クーラー完備なリビングから出られない始末。外で働いてるオヤジなんぞ、ガリガリにやつれていて覇気がない。


「……オヤジ、倒れないでくれよ」


 朝からオヤジの心配をしながら見送る羽目になるとは思わなかった。


「おう。社畜はつらいな。じゃあ行ってくる」

「……あと、オヤジ。今日の夜、話がある。進路のことについてなんだけど」


 だらけたオヤジの顔が、“進路”の言葉を聞いて引き締まった。


「わかった。今晩だな。……良い顔になったじゃないか、将吾しょうご。何かの決意が見えるぞ」

「……さすがはオヤジ」

「バカ野郎、何年おまえのオヤジやってると思ってんだ、ははは。じゃあ、俺は行くぞ。徳子のりこには、もう出たと伝えといてくれ」

「ああ。いってらっしゃい。……本当に、暑さで倒れないでくれよ」

「わからん」


 自分のことなのにわからんとはいったい。……オヤジのことだ、気にしたら負けか。


「あら、正夫まさおさんはもう出かけたの?」


 オヤジが出た直後に、おふくろもパートに行く準備をして、玄関先に現れた。


「今、出かけたばかりだよ。……かなりやつれてたけど、大丈夫なんか? オヤジ」

「あの人、毎年夏バテするからねぇ。まあ死にはしないでしょう」

「……これが長年連れ添った夫婦の会話か……」

「ふふ。あら、もうこんな時間なのね。じゃあ、わたしも行くから。すみれのことよろしくね」

「……おう。おふくろもいってらっしゃい」


 我が倉橋家くらはしけは共働きである。と言っても、おふくろは最近働き始めたばかりだ。俺が進学するための学費を稼ぐために。


「……頭、上がんねえよなあ」


 両親には感謝しかないのだが、もうひとりの子供はまだ起きてこない。おふくろが焼いていったハムエッグが冷めつつある。


「……あのバカ、起こしに行くか」


 コンコンコン。

 妹の部屋をノックするが返事はない。


「起きろ。休みだからって毎日だらけるな」

「……………………」


 へんじはない。しかばねか。


「入るぞ」


 ガチャ。

 部屋の扉を開けて中に入り、ベッドの上の我が妹を見て、絶句。


「……なんで白ビキニで寝てるんだよ、こいつは……」


 暑いせいもあるだろうが、タオルケットがはだけて、白ビキニの妹が大の字になって寝ていた。トラウマがよみがえるぞ、これ。

 こりゃ起こさないほうが賢明だな、と思い、反転して部屋を出ようとした刹那。


「……ん……誰?」


 妹が目を覚ましやがった。こいつ、本当タイミングが悪いな。


「早く起きろ。オヤジとおふくろはもう出かけたぞ」

「……兄貴? …………夜這いにきたの?」


 ポカッ。


「もう朝だっつの。とっとと起きやがれ」

「いたい……もうちょっと優しく」

「おまえ相手に甘やかすのはよくないからな。……それより、なんでそんなカッコで寝てるんだおまえは」

「暑いから」


 至極まっとうな答えをありがとう。いや、納得はしてないぞ。年頃の女子が腹冷やしてどうする。


「……まあ、それはどうでもいいから、さっさと着替えて朝飯食え。もう夏休みも終盤だってのに、いつまでもだらけるな」

「わかった。……ね、起こして」


 妹が両手を広げて、起こしてのポーズをする。


「却下」

「……つれない。ノリ悪い、兄貴」

「朝からおまえのペースに合わせてられるか」


 なんだろう、こいつは前にも増して、最近甘え方がひどくなってきた気がする。……俺の気のせいならいいんだが。


「……じゃ、こちらから。えいっ」


 そう宣言して妹は身体を起こし、勢いをつけて俺の右手に抱きついてきた。

 ……おい、そのカッコでか。

 俺は反射的に右手をふりほどこうとして動かしたら、


 ぷにっ。


「……ん?」

「ひいぃぃぃぃぃん!!?」


 動かした右手の中指が妹の身体のどこかに突き刺さった。

 いったいどこに突き刺さったのだろう。……すぐさま俺から離れ、真っ赤になってる妹を見て、ヤバいと直感した俺は即座に考えるのをやめた。

 これは事故だ、事故。だいたいこいつが悪い。事故だからドキドキしてもセーフ。


 ……この水着に関するトラウマがまた増えた。白が嫌いになりそうだ。


―・―・―・―・―・―・―


「……あ、あははー。ちょっとばかり、朝からハプニングが起きたねー」

「……主におまえのせいでな」

「ごめんなさい……反省してます」


 ただでさえ暑いのに、こちとら冷や汗まで出てきたぞ。そのくせ顔が熱い。


「……まったく、何をやってんだ、おまえは」


 怒りたくても怒れない気まずさの中で俺がそう言うと、妹はボソリとつぶやくように答えた。


「だって……卒業まで、あと半年しかないもん」

「……? まあそうだが」


 俺の卒業まで、甘え倒すつもりかこいつは。……まったく、何が『兄貴を大事にする』だよ、今まで以上に、俺を振り回してんじゃねえか。


「だから、まずは、兄貴の気持ち改革」

「…………意味が分からんが、寒気がしてきたぞ」


 暑い夏なのに、怪談話よりこわい。これはなんだ、ヘビに睨まれたカエルみたいな心境なのか。


「……とにかく兄貴も、妹をかわいがれる時間はあと半年しかないんだから」

「…………」

「悔いの残らないように、今のうち妹を気の済むまでかわいがること。以上!」

「…………お、おう」


 なんかこいつの勢いに押されてしまった感はあるが、あらためて考えてみる。

 ……そうか、あと半年したら、こいつと離れて暮らすことになるんだよな。そう思うと不思議だ。こいつが何をしても許せる気がするから。


「ふふふのふ。なので、妹エキスの補充はお早めに」

「いや遠慮しとくわ、それは」

「なんでー? あと半年したら、永久に妹エキスは味わえないのに」

「……? どういう意味だ?」

「ふふっ」


 妹は意味ありげな笑みを浮かべただけで、あとは何も言わなかった。……考えても仕方ないか。とにかく、朝飯だけは済ませねば。


「まあいい。とりあえず、早く朝飯食べようぜ。片づかない」

「はいな。じゃ、いただきまーす」


 ……………………


 あと半年、か…………


 俺は、あと半年で、進路を含めた将来のビジョンを、おぼろげながらでも描けるようにならねばならないんだな。


 だが、不安はそれほどなかったりする。

 俺には、オヤジやおふくろ、そしてこいつがいるからな。

 家族って、本当に不思議だ。



「……あと半年したら、わたしも卒業するつもりだよ。……お兄ちゃんの妹からね」



 妹が小さい声で発した言葉は、考え事をしていた俺には聞き取れなかった。

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