5.名前をもらう

「エレナの手伝いは? 家のことだって仕事は山ほどあるだろうに」

 くっと唇を噛んで黙ったままの女神さまの腕をつかんで、テオは自分の家に帰りました。

「おかえりなさい」

 中庭ではエレナと他に三人の子どもが夕食の支度をしていました。

「あ……よかった。その子、見付かったんだね」

 胸をなでおろすエレナの言葉にテオが目を光らせます。

「おまえ、逃げたのか?」


 女神さまは口を尖らせたままうつむいておられます。先程のわたしの話から、悔しいけれど彼の世話にならなければならないことはわかっているのでしょう。口答えしたいのを我慢していらっしゃるようです。


「仕事もしなかったとなればこいつに食いもんをやる必要はない」

 きっぱりとテオはエレナに言います。

「うちは余裕がないんだ。自分の食い扶持は自分で稼いでもらう。おまえはただでさえおれに借金があるんだぞ」

 うつむく女神さまの後頭部に向かって容赦なく言い放ちます。


「でもテオ」

 おずおずとエレナが口を開きます。

「この子は具合が悪いみたいだったの。我慢できなかったのじゃないかな。それに戻ってきたくても迷ってしまって戻れなかったのじゃないかしら」

 同意するように女神さまのお腹がくうぅっと鳴りました。

 女神さまは顔を真っ赤にしてうつむかれたままです。そのようすを見てテオははあっと息をつきました。

「仕方ない。粥だけ食べさせてやれ。明日からしっかり働くんだぞ」


「よかったね」

 囁いたエレナに手を引かれ、庭にこさえられた食卓に女神さまも座ります。

「そうだ、あなた名前は?」

 再び訊かれたものの女神さまは名乗ることが出来ません。うつむいたままの女神さまに気分を害したようにテオがたたみかけます。

「名前も教えられないのか?」

「忘れた……」

「は?」

「忘れたっ」

 テオたちは押し黙って女神さまを見つめます。


「そうか」

 やがて厳かにテオが口を開きました。

「なら、おまえの名前はファニだ」

「ファニ! ほら、ごはん食べよ」

「あ、ああ……」

 目をぱちぱちさせながら女神さまはスプーンを取ります。麦のお粥をひとくち。


 粗末な食事です。なんじゃこれは、食い物じゃないっとでも言って吐き出したらどうしよう。わたしは内心はらはらしていましたが女神さまはそんなことはなさいませんでした。

 ひとくち、もうひとくち。ゆっくり味わって召し上がります。

 女神さまがよく噛みしめて召し上がっている間に他の者たちも粥と生のリンゴの食事をあっという間に終えました。


 テオは付き合いがあると家を出ていき、エレナと三人の子どもたちは手早く食卓を片付けます。

 女神さまも言われるままに手伝いをし、その後招き入れられた狭い部屋の中に寝床を与えられると、ぱたりと倒れるようにしてお眠りになってしまわれたのです。





 夜明けと共に起きだして、生のリンゴの食事を終えると、テオと三人の子どもたちは出かけていきました。

 女神さまはエレナを手伝って朝の片付けをし、その後も言われるままに篭を持ってエレナについて家を出ました。


 裏道を回って城壁の外に出るようです。農場の作業に行くのだと教えられて女神さまは目を丸くします。

「おまえは平民だろう?」

 エレナは目を伏せてつぶやきます。

「そうだけど、わたしに出来るのはそれくらいだもの」


 ――自分の食い扶持は自分で稼いでもらう。

 女神さまはテオの言葉を思い出したに違いありません。それにしたって女性を外に出して労働をさせるなど、と思われたに違いありません。


 農園に着くと、エレナくらいの年端もいかない娘が他に数人労働作業をしていました。さらに年少の男の子たちもいます。

 女神さまは驚いて、しばし黙ってしまわれたのでした。

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