エピローグ
兵士たちの帰還の知らせを受けた街の人々が、城壁の正門前に集まっていました。
そわそわと落ち着きなく何度も首を伸ばして坂道の先を見やっていた人々の輪の合間から、ついに歓声が巻き起こります。
帰還兵の行列が見えました。騎乗したリュキーノスに続いて整然と歩兵とその従者たちが続きます。城壁の前に自分の家族の姿を見つけると、兵士たちは顔を輝かせて挨拶を交わします。
とはいえ、ここに集まっているのは男性だけです。慎ましくそれぞれの家に待機しているご婦人方は、もっともっと気を揉みながら自分の夫や息子の帰りを待っているに決まってます。
早くそっちに向かってあげなさいよー。わたしが思うまでもなく、帰って来た男性たちは今度は居住区に向かって路地を走ります。
行列の中から直接、城門に走り込む明るい金髪の頭を見つけました。テオです。後ろには武具の入った大きな袋を抱えたポロの姿も見えます。もちろんわたしはその後を追います。
すっかり見慣れた路地裏では、家々の門の前に女性たちが佇んでいました。別れの盃のお酒を注いだその場所で、今度は明るい抱擁が交わされます。
「テオ!」
「テオ」
「ポロ―! 良かったあ!」
走り出てきた三人の子どもたちに囲まれて、テオは自分の家の中庭に入ります。
「テオ……」
泣き笑いで既に頬を濡らしながら、エレナが彼を迎えます。
「テオ、テオ」
安堵のあまりか、崩れそうになるエレナをテオが抱きしめます。
「エレナ」
「テオ。良かった。帰って来てくれた……テオ……」
「おまえの元に帰りたかったんだ。エレナ」
その言葉を聞いたエレナは、彼の肩に顔を伏せてひととおり泣きじゃくり、それから顔を上げてしっかりと言いました。
「おかえりなさい。テオ」
冬は和やかに過ぎていき、春の日差しが農耕地に降り注ぐ頃、街の人々はまた忙しく働き始めます。
テオの家のかまどの前にはまっぷたつに割れた護符のブローチが供えられています。あの戦で胸当てに槍先を受けたとき。懐のこのブローチが衝撃から自分の身を守ってくれたのだとテオは考えているようでした。
母親の形見の品が守ってくれた。その出来事が彼にとって大きかったのでしょう。以前のとげとげしさや思いつめた気配が薄れ、彼は穏やかになったようでした。
そんなテオも、時折あの名前が話題に出ると頬を膨らませます。
「ファニはどうしちゃったんだろう」
「知るか、あの恩知らずめ」
「…………」
「ファニはたくましいからどこに行っても大丈夫だよね。きっと」
「ひょっこり戻ってきたりしないかなあ」
エレナと子どもたちは、中庭の食卓から門の方を眺めたりします。
「ふん。帰ってきても寝床はないと言ってやれ」
「テオったら……」
憎まれ口をたたくテオがいちばん寂しそうだということを、エレナはお見通しのようでした。わたしも、感じるのですよ。テオは少しは、女神さまを憎からず思っていたのかな、なんてね。
どちらにしても女神さまご本人は街にいる間、ちくっとやもやっとを感じておられたのではないでしょうか。それがあったから父神さまからお許しをもらえたのではないでしょうか。そしてやっぱり少しは、建前であった男性に好かれるという課題を達成できていたのではないかと思うのです。
冬を越えて少したくましくなった子どもたちは、相変わらず元気に働いています。劇場に通うデニスも、仕事の合間に弓矢を持って岩場にでかけるハリも。
ハリの弓の師匠であるミマスは戦の後、護衛の弓兵としての給金をたっぷりもらい、リュキーノスからの褒美の立派な馬に乗って故郷へ帰っていきました。戦はどこの地でも行われています。ひとまず故郷で休んだら、また傭兵志願に国々をまわると話していました。
子どもたちの中でもポロはぐんと背が伸びて、急に勉学にも励むようになりました。文字の読み書きを覚えた彼は、銀山の労働を卒業し、テオの近侍のような立場になっています。たいした出世です。ポロが彼の故郷に帰る日も、そう遠くないかもしれません。
わたしがこうしてようすを見に来るたびに嬉しそうな顔をしていたミハイルですが、実は近ごろ、わたしの姿に気が付かないことが増えていました。だんだん見えなくなる。そういうものなのでしょう。こちらとしては寂しい気もしますが、これが彼の成長ならばしかたがないです。
冬の吉日に盛大な婚礼で嫁いだアルテミシアは、今は名家の主婦として手腕をふるっています。豪華な金茶の巻き毛をすっきりと結い上げた姿は、これまで以上に凛として頼もしいです。
アルテミシアが宣伝してまわったおかげで、エレナの名前はあの聖衣の模様を考えた者として知られるようになりました。ピリンナの人物画とエレナの文様を合わせた陶磁器の絵は、貿易先の富裕層にも気に入られ、エレナは街の稼ぎ頭となったのです。
正式に成人したテオは、議会議員選挙への立候補を考えているようでした。当選は確実視されていて、いよいよここから、テオの本当の戦いが始まるといえるでしょう。戦場の英雄ではなく、街を代表する名士になるために。
「戻ったか、ティア」
「はい、女神さま。みんな元気そうでしたよ」
「そうか、そうか」
雲の上に腹ばいになってあくびをしている女神さまの後方では、父神である大神さまが、高御座(たかみくら)を囲んだ神々から愚痴や抗議や詰問を受けておられました。
「わかった、わかった。わかったから」
「わかっておられないから何度も言ってるのです。兄上は自分勝手すぎるのです!」
「父上、ぼくの神殿どうにかしてよ」
「もう、なんでもいいから宴会でもしようや。大戦争ができないならそれくらいは」
「海原の弟よ、おまえは酔っぱらうと地震を起こしてしまうじゃろうが」
「父上ー。ぼくの神殿」
「ああもう、うるさい! 人間に迷惑かけないためにも地上をしっかり監視しろと命じたばかりじゃろうが!」
下界に干渉しないことは既に決まったことであり、そうであるならば二度と神々の事情に人間を巻き込まないようにする。それがこれからの神々の在り方ではないかと模索中なのです。時はめぐって時代は変わる。だとしても、良い関係でいられるように……。
「はあ。もう煙は懲り懲りなのに。どうして人間は懲りないのさ?」
あの戦の最中に放たれた雷は、神託の神殿のあの霧が噴き出る岩にも落下していました。建物を貫通して直撃を受け、粉々になった岩の下からは何も出てこなくなったのです。
すると神官たちは、なんと今度は怪しげな薬草を燃やし始めたのです。今でも地下のあの部屋では、煙で意識をもうろうとさせた巫女が託宣としてなにやら告げているそうです。
「勘弁してくれええ」
弟君のお嘆きももっともです。
「しょうがないのう」
女神さまはつぶやかれます。しようがないですよね、人間て。だからやっぱりしばしば、神々は下界を見守っていらっしゃるのです。
「みなが元気ならそれがいちばんじゃ。そのうちこっそり下界に降りてみるかのう」
「その前にまたお仕置きで蹴り落されないようになさらないと」
「なにおう」
なにはともあれ、こうして女神さまは天上に戻られ、下界も今は希望に満ちております。
聞いた話では、こうした物語の最後はある言葉でしめくくるのが良いそうですね。なのでわたしも、それに倣ってみましょうか。
それではみなさま。
めでたし、めでたし。
女神墜落~あなたがわたしを好きになるまで~ 奈月沙耶 @chibi915
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