67.涙

「ティアー!!」

 巨大な光の輪の縁で、ちりちり光が瞬いています。間を置かず、そこからものすごい数の稲光が走って地上を打ち据えました。

 耳をつんざく響きは、まさに大気を引き裂くようでした。地表は波打っているかと思うほどの鳴動にさらされています。


「雷霆(らいてい)……」

 囁く声が聞こえた気がしましたが、この轟音の中では心もとないです。

 よくよく見下ろしてみれば、稲光の一本一本は、地下からの霧の息が噴き出る穴のひとつひとつを直撃しているようでした。さすが大神さまです。雷の的当て競技が行われたなら優勝間違いなしです。


 視界中が上下するかのような衝撃が過ぎ去ってしまうと、天空の光の輪は跡形もなく消え去り、地上には呆然と腹ばいになったり尻もちをついたりしている兵士たちが残されました。


 霧の息に操られ人形のようになっていた隣国の兵士たちも、夢から覚めたように目をぱちぱちさせて蒼穹を見上げています。彼らを包んでいたあのもやはすっきりと晴れ、地面には穿たれた跡がいくつも残っていました。


「見たか!? 我らの大神がご照覧だ! 裁決は下された、戦は引き分けだ! 両軍兵を引け! 引き分けだ! 負傷者を早く運べ!」

 あの振動の最中でも落馬せずにいたリュキーノスが声を限りに怒鳴っています。敵軍の後方に控えていた将校が騎乗してリュキーノスに近付いて来るのが見えます。


 リュキーノスが短く言葉を交わした後、その将校は自軍の兵士に指示を与えて引き上げていきました。この後の話し合いは、場を改めてということなのでしょう。


 敵兵も、こちらの兵も、負傷した体を引きずるように移動を始めます。重症の兵士を無傷な者たちが担ぎ上げて運びます。

 そうやって運ばれる負傷兵の中に、テオの顔がありました。ポロが走り寄って何か話しているのがわかります。どうやら命は無事のようです。


 ほっとして、わたしはそこでようやく気が付きました。自分が誰かの手のひらの上に乗っているということに。

「ティア……。この馬鹿、ムチャをしおって」

 かすれがちで消え入りそうな囁きが降ってきます。誰の者よりも聞きなれたお声です。

「女神さま」


 見上げたわたしの頬にしずくが落ちてきます。

「馬鹿が……っ。わらわを置いて、行こうとしおってからに」

「女神さま……」

 緑の瞳が濡れて、そこからいくつもしずくがこぼれます。女神さまが泣いていらっしゃいます。

「ごめんなさい、女神さま。もう二度といたしません」

「あたりまえじゃ。このようなこと」


 わたしが自力で舞い上がって女神さまのおでこに触れると、女神さまは右手の甲で濡れた頬をぬぐわれました。白い頬に淡い金の御髪(おぐし)が張り付いてしまっています。わたしは少し移動してその御髪を梳いて差し上げます。豊かな金髪は柔らかく華奢な肩を覆って……。


「あれ?」

 わたしはすっとんきょうな声をあげてしまいます。

「め、女神さま。お姿が戻ってます!」

「なにい?」

 女神さまは目を丸くしてご自分のおからだを見まわします。

 すらりとした長い手足にほっそりした腰つき。ぺったんこのお胸……そうでした、女神さまのお胸が小さいのは元からなのでした。


「ううむ。戻っておる」

 指先に光を灯して神力を出せることも確認され、女神さまは行儀悪く頭をかじられました。

「なんでじゃ? 誰ぞ、わらわを好いた男がいたというわけか?」

「…………」

「おかげでおまえを止められたのだがな。まったく肝を冷やしたぞ」

「うう、すみません……」


「おおー。姉上、戻ってる」

 傍らにいらした弟君も目を丸くされています。

「どうして?」

「さあなあ、ヒャッハーのついでに父さまが戒めを解いてしまわれたのだろうか」

 勝手に解釈してうんうんと決めつけている女神さまの横から、弟君がわたしに疑いの目を向けているのを感じます。いえ、ほんとのところはどうかなんてわたしにだってわかりませんし。


「また兄上においしいところを持っていかれたな」

 煌めく瞳の叔母君はお怒りのごようすです。

「自分ばかりやりたい放題。あの人はいつもそうだ。今度こそ皆で抗議しないか?」

「いいですね! ぜひやりましょう」

「あまり大事にはするなよー」


 すっかり砕けたごようすでお三方は相談を始めます。その足元では、秩序を取り戻した兵士たちがそれぞれの帰路につこうとしていました。

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