58.昔昔
女神さまがテオにお話しされた大地の女神には、別の逸話もありました。夜の闇に怯えかじかむ指をさする人間を憐れみ、火を与えられたのです。
「だけど火がもたらすものは、灯りと温かさだけではなかった」
焼き尽くし、薙ぎ払う。狂暴性を持つ火は人間が秘めていた熱を呼び起こしてしまったのです。
「人間が殺し合いを始めるだなんて大地の女神は思いもしなかったんだろうな。だってそうだろ、母親は自分の子どもが殺し合うだなんて想像もしないんじゃないかい」
これをお怒りになった天の大神は人間から火を取りあげておしまいになりました。再び地上は闇に閉ざされたのです。
人を憐れみ天の大神の所業に怒った大地の女神は、自分の息子神に命じて天上から火を盗み取り、再びこれを人間に与えたのです。
「そして起こったのが、神々の大戦争さ」
天の大神に対抗した地上の神々は地下に追われ、嘆いた大地の女神は冥府の更に奥深くに閉じこもってしまわれたそうです。
「大地の懐に抱かれてぬくぬくしている方が人間にとっても楽だったろうに。火をもらって調子に乗ったばかりに人間は楽土を失ったんだ。馬鹿だよね」
本当はそう思っていない口振りで弟君はおっしゃいます。
「地下からの霧の息はどなたの仕業なのでしょう?」
わたしの質問に弟君は黙り込んで少し考えこまれました。
「どなた、ということはないかもしれない。それに、さして目的はないのじゃないかな。地下の方々の恨み節がたまたまここから漏れてきた。そんな感じがするのだけどなあ」
「それを人間が受けて意味を持たせてしまっている、ということですか?」
「姉上が言っていたのもそんなようなことだろう」
「はい」
「火をおこせ、が戦を起こせか。短絡的だね。でも、あの霧の息があってもなくても戦は起きるだろうよ」
「ですが、神のお告げと聞けば人心が流れやすいのも事実ですよね」
「そうだね」
「煌めく瞳の御方の国の者たちは、抗戦すべしと託宣を受け止めたのでしょうね」
「……そうだね。へたをしたら叔母上の国の兵の方が布陣が早いかもしれない」
「テオはそれを確認したわけですね」
「たぶんね」
街に戻れば、開戦の準備が始まります。兵の招集が。
翌朝、正面の参道のゆったりした坂を下る女神さまの御髪(おぐし)を揺らす風は、めっきり秋めいておりました。
早朝から託宣を求めて参拝者たちが坂道を上ってきます。たくさんの奉納品を載せた馬車ともすれ違います。
個人が神さまに窺いたい事柄は、大小さまざまあるそうです。娘の結婚式の吉日や、宴会を催す吉日、夫婦が枕を交わす吉日まで。そんなことさえ神さまに訊きたがるのです。
そんなことさえ自分では決められないのでしょうか。失敗したとき責められるのが嫌なのでしょうか。人間は未熟ということなのでしょうか。
わたしは坂道を歩く女神さまの肩にそうっと下りました。くっついていたい気持ちになってしまったのです。女神さまはこそっとわたしに頬を寄せてくださいました。
……でも、そうですね。そうやって、神さまに後押ししてもらうことで安心し、どっしり構えて事に当たれるというのなら、それが信じるということなのかもしれません。
問題なのは、それが戦のように良くない場合があるということで。
戦は良くないことですよね、女神さま? わたしが女神さまを見上げたのと同時に、テオもこちらを振り返って言いました。
「ファニ、おまえは何なんだ? やたらと神々のことに詳しかったり、急に大人びたことを言ったり」
「改まって聞かれてもな」
「……そうだな。おまえがちんちくりんなことは変わらないな」
「む。わらわをタダのちんちくりんと思うなよ」
「そうか。おまえは、タダのちんちくりんではないのだな」
「そうじゃ。わらわはタダのちんちくりんでは……」
こらえきれないようにミマスが大きな声で笑いだします。続いてテオも。
「むむ。どうして笑うんじゃあああ!?」
戦の足音は、すぐそこまで来ていました。
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