41.最高潮




「女神さま。テオのためにエレナとアルテミシアが仲良くなるよう図らわれたのですか?」

 それにしてもずいぶんと乱暴なやり方でしたが。

「誰がテオめのためにじゃと?」

 女神さまは星明りの下で眉をひそめられました。え、違うのですか。

「単に哀れに思うただけじゃ。あまりにも健気でなあ」

「それはエレナのことですか? それともアルテミシアですか?」


 女神さまは否定も肯定もなさらず静かに微笑まれました。

「我が父上や愚弟を引き合いに出すまでもなく、男というのは馬鹿でかなわん」

「また怒られますよ。そんなことおっしゃると」

「これ以上、罰の受けようはないだろうが」

 うわ、開き直っちゃってますよ。

「そんなんじゃいつまでたっても天上に戻れませんよ」

 今まで言いたくても我慢してきたことを、この際だからわたしも申し上げてしまいます。


「天上に戻れたあかつきには、エレナとアルテミシアを召し上げてもよいかもな」

「は?」

「テオには惜しいふたりじゃ。わらわがいただいて行こう。近侍にするのじゃ」

 ちょっとちょっとー。わたしという者がおりながら。

「冗談じゃよ」

 くっくと笑って女神さまは天空を見上げます。なんだかようすがおかしいです。

「女神さま……?」


「そうだな。そろそろ真面目にわらわを好きになる男を見付けねばな」

「テオではなくて、ですか?」

「やつにこだわる理由はない。要は誰でもよいのじゃ」

「今までの苦労が水の泡ですね」

「言うな」

 ぴんっとおでこを弾かれて、わたしは自分の失言を反省したのでした。





 聖衣の補修は無事に終わり、数日泊まり込んでいたアルテミシアは神殿に戻っていきました。お礼を届けさせると言う彼女に、子どもたちはお菓子をねだっていました。

 間もなく山盛りの麦菓子やチーズパイ、串焼きのお肉が届けられて、子どもたちも女神さまもこれ以上のないはしゃぎっぷりでした。


 その光景を疲れたように眺めながらテオは普段は飲まないワインなど飲んでいたし、エレナも通常よりさらに薄めたワインに蜂蜜を入れて少しだけたしなんでいました。やっとのんびりできる、そんなふうに。


 そして、大祭の最終日。供物品奉納の行列を皆で見に行きました。振りまかれる花びらの中を〈聖衣の乙女〉が練り歩いていきます。選りすぐりの少女たちが着飾った姿に道々で歓声があがります。

 誇らしく掲げられた聖衣の前方に立つアルテミシアの姿は特に美しく、花冠で飾られた金に近い茶色の髪が日差しに透けて輝くさまは、不遜ではないかと思えるほどでした。さいわい女神さまはおもしろそうに見物していらっしゃいましたが。


 神殿に到着した聖衣は、供物台にいったん捧げられ、儀礼の後いよいよ女神さまの似姿へと着せ掛けられました。

 大人の人間より少し大きな女神さまの似姿から今までの衣をはいで、新しい聖衣が着付けられます。意匠を凝らした金のブローチで両肩を留め、たっぷりのひだを付けながら腰の部分を革の帯で締め、さらに細やかな刺繍が見事な飾り帯が下げられます。


「今年の聖衣は変わったつくりね。裾が色とりどりの縞模様になってる」

「いいじゃないか。いつも似たようなのじゃ女神さまも飽きちまう」

「素敵ね。流行るかもしれないわ」

 こそこそと囁き合っていた人々は、やがて披露された似姿の堂々とした新しい姿に、口をつぐんで見入りました。

 柱の合間から差し込む光が白い壁に反射して、神殿の奥の女神さまの似姿は、屋外の広場からも迫ってくるような迫力で眺めることができました。


 不思議なものですね、人間て。黙りこくる人々の顔を少し上空から見まわしながら、わたしは思いました。女神なんていない、テオのように考えている者は他にもきっといるはずです。


 神々と人々が隔てなく暮らしていた黄金の時代ははるか太古の昔。わたしだってその時代のことを知りません。

 それからいくつかの時代を経て、神々は人間にかかわることを控えるようになったそうです。神々の姿を目の当たりにしたことのない時代の人々が、神々なんていないという考えを持つようになるのは仕方ないのかもしれません。


 それでも人間は、長い日照りの後の慈雨に感謝を捧げるように、穀物の実りをこうして祭壇に奉納するように、良いことがあっても悪いことがあっても、それは神々の仕業と納得して祈りを捧げるのでしょう。

 すべてを人の身で受けきれるほど、人間は成熟してはいない。だからやっぱり人々には、神さまが必要なのでしょう。


「そういえば」

 まぶしそうに目を細めて神殿全体を見渡すようにしていたエレナが、急につぶやきました。声をひそめてミハイルに尋ねます。

「ねえ。どうしてあの時、わたしを禁域に連れて行ったの?」

「……」

 ミハイルは神殿の中の女神さまの似姿から目を逸らさないまま、ゆっくり口を開きました。


「女神さまが、そうしろって言ったから」

 エレナは、ゆっくりと目をまたたいた後、素朴に微笑みながら頷きました。

「そっか。女神さまが導いてくれたんだね」

 そのやりとりを聞きながら、女神さまは相変わらず天空を見上げていらっしゃるようでした。

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