26.抱擁




 いつぞやと同じ、城壁近くのプラタナスの木の影にテオはうずくまっていました。

「やい。そうやって泣いてれば、誰か慰めてくれると思うておるのか?」

「泣いてない」

 目の前に仁王立ちした女神さまを見上げた顔は、完全に仮面のようでした。星明りに照らされて青白く硬質なそれは、叩きつけるか踏みつけるかすれば粉々に砕けてしまいそう。女神さまテオをどうなさるおつもりなのでしょうか。


「そんなに腹立たしいか? 庇護するあやつらに背かれたことが」

「……」

「それとも傷ついたのか。いっちょまえに」

 テオは何も言わずに手で顔を覆います。

「おまえはいつもそうじゃ。庇おう、助けようとするのはただの自己満足じゃ。支えようとして実は自分が当てにしている。そうであろう?」

「わからない。でも。おれは、ただ……」


「寂しい奴じゃのう」

 さらに彼を追い詰めて女神さまはおっしゃいます。

「ひとりで立ってられないのはテオ、おまえだろう。だがな、エレナたちはおまえのために居るのではない。じきに皆おまえから離れていくよ」

「わかってる」

「わかっていない。だからおまえは怒ったのだろう。どうして自分の思い通りにならないのかと。自分勝手な男じゃなあ。嫌われて当然だ」

 言い返す気概も失ったのか、立てた膝に顔をうずめてテオは固く身をこわばらせてしまいます。


 かたわらに跪いて女神さまはさらに囁きかけました。

「おまえは、ひとりになるんだよ」

「…………っ」

 少しだけ顔を上げテオが据わった眼をのぞかせます。その眼を緑の瞳で捉え、女神さまはとっておきの優しい声を出しました。

「わらわがいるよ。ずっとおまえのそばにいてやる」

「ちんちくりんの棒っきれが」

「今はな。だが、おまえが愛をくれれば違う。わらわはエレナたちとは違う。ずっとずっとおまえのそばにいてやる。ずっと、抱いていてやる」


 こうやって、とふわりと女神さまは白い腕を伸ばされます。テオは一瞬身じろぎしたようでしたが、おとなしく女神さまの抱擁を受け入れたのです。今やテオは女神さまの胸の中。

「わらわにはそれができるから。もう何も考えなくていいように、こうして目をふさいでいてやる。わらわの声だけ聴いておれ。身も心も捧げてわらわがおまえを守ってやる。じゃから、テオ……」

 甘く甘く女神さまは命じます。

「わらわを好きになれ」


 うるわしのお姿はなくても、神の力などなくても。言の葉の力だけで、女神さまはテオを絡めとってしまおうと企てられたのです。

 追い詰められ、弱って脆くなった柔らかな心のひだをつまみあげてみせる、その手管もまた、女神さまの特技のひとつなのです。

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