43.我儘
「テオ、疲れてるみたいだけど大丈夫?」
「疲れもするさ。最近はあいつを見てるだけで頭が痛くなる」
「ファニったら、いたずらばかりするんだから」
「今夜は絶対にメシを食わせるな」
「テオもそんな意地悪言って」
「意地が悪いのはあのガキだ。まったく何考えて……」
額をおさえて声をくぐもらせたテオをエレナが見下ろします。
「このところいつも顔色が悪いよ。なにか心配事?」
「いや……」
「今年は戦になるのでしょう?」
自分の膝に頬杖をついて曖昧に濁すテオに、エレナは思い切ったように問いかけました。
「去年は回避できたけど今年はそうはいかないって。むしろ今、街は銀山で潤ってるからこっちからお隣を叩き潰しにかかるだろうって、ピリンナ先生が話してた」
「ふうん、さすがピリンナ。そのとおりだな」
覇気のないようすでテオは唇を曲げます。
「……テオは出兵しないよね?」
言って良いものか迷うように間を置いてから、エレナはか細い声で尋ねました。
「テオには銀山のお仕事があるもの。テオがいなくなったらみんなが困るもの。出兵には志願しないよね?」
テオは返事をしません。
「テオ。わたし……」
「戦には勝つさ。でもそれは、誰も死なないってことじゃない。だけど勝ちさえすれば、生きて戻れなかったとしても家族には戦勝金が渡される」
「テオ……」
「おまえは職に就いたことだし、デニスも劇団で重宝されてるみたいだ。ハリもミハイルもしっかりしてるから、おれがいなくてもやっていけるだろう」
「そんなことを言ってるんじゃない!」
エレナがそんなに大きな声を出すのを初めて聞きました。崩れるような勢いでテオの前に膝をつき、エレナはきっぱりと言いました。
「テオが死んだらわたしも死ぬ」
「何言って……」
「テオがわたしの命を助けてくれたの。テオがいなかったら今わたしは生きてない。だからテオが死んだらわたしも死ぬ」
「それは極論だろう」
「だってそうだもの。テオが生きないならわたしも生きられない。テオにはそれだけ責任があるんだよ」
ぴくっと目元を震わせテオはエレナにまっすぐ目を向けました。
「わたしたちを放り出さないで。最後まで責任とってよ。戦に出るのなら必ず戻ってきて」
「行かないよ」
「……え?」
「おれは志願しない。エレナが言ったように仕事があるからな」
「テオ……」
そこで力が抜けたのか、エレナはもたれかかるようにテオの肩に両腕をまわして体を寄せました。
「どこにも行かないんだね?」
「行かないよ。おれは街にいる。どこにも行かない」
エレナの肩越しに天井の隅の暗がりを見上げながらテオはつぶやきます。それに答えて「うん、うん」と何度も頷くエレナの瞳は潤んではいましたが、ちっとも嬉しそうではありませんでした。
「エレナもやりおるのお」
あの後、間もなくしてつっかえ棒を外して扉を開けたもののテオに大目玉を食らった女神さまは、夕食抜きの憂き目にあい、深夜にはぐうぐう鳴るお腹をさすりながらおもしろそうに笑われました。
「責任、などと言い出すとは。なかなかずるいことをする」
「ずるいですか」
「アルテミシアが言っておっただろう。テオは責任感が強いから精一杯のことはする、と。テオのあの気性は本人にとってもまわりにとっても強みであり弱みなのじゃ。エレナはそこを突いたのじゃ。おのれのわがままのために」
「わがままですかあ」
「アルテミシアの存在を知って一度は身を引こうとしたが、それで欲が出たのかもなあ。もともとエレナは謙遜が過ぎるゆえ大それたことは考えてなかっただろうに」
「それは悪いことですか?」
「良いとか悪いとかは誰にも決められんよ。わらわたちでさえな。じゃが人間は良い結果が出ても悪い結果に終わっても、自身の情動さえわらわたちのせいにするだろう?」
「人間はずるいのですか?」
「そうじゃな。弱いからずるくもなるのじゃ」
「戦の理由も神託のせいになるわけですね」
「……」
そろそろ肌寒く感じ始めた夜気の中、女神さまは黙ってまた藍色の天空を見上げられました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます