45.リンゴと矢

 ふうううっ毛並みを逆立てていらっしゃる女神さまに目を細め、男はぼそっとつぶやきました。

「どうして怒ってるんだ?」

「ファニはちんちくりんって言われると怒るんだ」

 ハリの解説を聞いて男はひょいっと肩をすくめてみせました。

「そりゃあ悪かった」

 のっそり歩み寄ってきて矢の刺さったハトを拾い上げます。


「おじさんは弓がうまいんだね」

 物怖じせず話しかけるハリの顔を見つめてから、男は頷きました。

「そりゃあな、これで食ってるんだから」

「傭兵なんだね」

「そうだ」

 話しながらハリは好奇心に満ちた瞳で弓を見ています。

「珍しいのか?」

「弓を扱う人は街にはあまりいないよ。あんな距離を矢が飛ぶのも見たことがないからびっくりした」


 へえ、と男は皮肉気に唇を曲げます。

「ぼうずは弓が欲しいのか?」

「うん……鳥を狩りたいから。でもおいら、弓なんか触ったこともないし」

「持ってみるか?」

「え、いいの?」

「オレにとってはこいつはおもちゃみたいなもんだ。遠慮することはない」

「ほう、おもちゃだと?」

 まだ怒りの気持ちが収まらないらしい女神さまがそこで口を挟まれます。


「命を奪うシロモノであろう。随分物騒なおもちゃだ」

「……オレは余計な命は奪わない」

「ほう? ご立派なことを言うておるが、さっきだって下手なその矢が的を外れて、そこのハリを傷つけはしなかったと言えるのか?」

「なんだと?」

「大きな口をたたきおるから、本当にそうなのかと確認しているのじゃ。言うほど御大層な腕なのかとな」

「戦場以外でオレが誤って人を殺すとでも?」

「そうじゃ。武器を持って歩くからには自信はあるのじゃろうなあ?」


「証拠を見せろってことか。だがオレだってそこまで挑発されてヘタな的は狙えない。自分が的にされるくらいの覚悟はあるんだろうな?」

 売り言葉に買い言葉です。この男もけんかっ早い質のようです。

「なんだと? おぬしの腕を疑うわらわに的になれと申すか」

 女神さまは苦々しい顔でお考えになっているようです。

「そうだ」

 手にした袋をごそごそして、女神さまはリンゴをひとつ取り出されました。

「これを射落としてみよ」


 ご自分の頭の上にそれを載せ、器用にお胸を反らしてみせられます。

 男は淡い金の御髪(おぐし)の上のリンゴを凝視していたかと思うと、踵を返してずんずん遠ざかって行ってしまいます。

「やい、こら。わらわがここまでしてやってるというのに逃げだすのか!」

 くるりと振り返り、男は腰の矢入れから取り出した矢をつがえると、鋭いまなざしで言い放ちました。

「動くな」


 あんな小さな弓で、あんな遠い距離から、小さなリンゴを狙えるわけがありません。女神さまに当たってしまったらどうするつもりなのでしょう。その前に、この距離を矢が届くとも思えません。

「……」

 女神さまはぐっと唇を噛んで目を見開き、あごを上げて男を睨み返しました。凍り付く一瞬、弓弦の音がそれを引き裂きました。

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