23.夜に
「おまえも苦労が多いね。ティア」
中庭の木の枝の上で優雅にくつろがれながら、弟君がおっしゃいました。
「めっそうもございません」
わたしは女神さまの手の中から生まれたのです。どんなときにも女神さまのおそばにいるのは当然です。わたしは女神さまのためだけに動くのです。そこらの妖精たちとは違うのです。わたしのすべては女神さまだけのため――。
「テオフィルスねえ」
早めの夕食でお肉を堪能し、満足した家の者たちは早々に寝静まっておりました。月明かりに照らされてしんとしている中庭に、弟君の声が溶け込んでゆきます。
「変わった奴だよね」
竪琴をつま弾いて弟君はさらにおっしゃいます。
「そうお思いになられますか」
「うん。あれだよね、半神の連中みたいだ」
それは、テオがおのれの出自を呪い運命に翻弄されている、ということでしょうか。ですが弟君の口振りはそこまで深刻そうでもありません。ちゃらんぽらんな御方ですから、万事がこんな風なのではありますが。
「不幸面した奴ってぼくは大嫌いだけど、姉上は気に入ってるのかな」
「どうでしょうねえ」
「四苦八苦する姉上を見てるのは楽しいから、ぼくはどうでも良いのだけど」
弟君が弦をかき鳴らすと、澄み切った旋律が中庭から路地の隅々、そして天空の月光の矢をなぞるように広がってゆきます。人間の耳にその音は聞こえません。聞こえませんが、安らかな穏やかな気持ちを人々に届けていることでしょう。
「いちばん早起きの女神があかつきを引き連れてくるまでは夢の中にいるがいい。人はみんな夜の子どもさ」
ミハイルも夢の中で弟君の竪琴を聴いて満足しているでしょうか。夜は静かに更けてゆきます。
「なんでおぬしがまだここにいるのじゃ!」
この数日間繰り返している文句を女神さまがまたおっしゃいます。
「だって、他にすることもないし」
「暇人めっ。そこまで言うなら少しは手伝ったらどうじゃ」
まさかお手伝いする気になったのでもないでしょうが、弟君は興味を引かれたように中庭の木から下りられました。井戸のわきでは女神さまが小さなおみ足で洗濯物を踏みつけていらっしゃいます。
「ちびっこいといろいろ大変だね」
「なんだとおう!」
今日はエレナがいないので感心にも女神さまはおひとりで洗濯や掃除に励まれました。
「ふひい。夕餉のしたくまでには帰ってくると申しておったが、エレナのやつめ、遅いのう」
「どこに行っちゃったのですかね」
「ねえ、エレナは? 腹減ったよう」
昼寝から起きだしてきたハリが訴えます。
「捜しに行ってくる」
自分も空腹を感じたのでしょう。女神さまは率先して路地へと出ました。
「とはいえ、エレナはどこに行ったのやら」
農園からの帰り、いつものように広場で買い物した物を女神さまにあずけ「用があるから先に帰っててね」とエレナは行ってしまったのです。こんなことは初めてでしたから、行き先くらい聞いておくべきだったかもしれません。
「女神さま、エレナの行きそうなところといえば」
「陶工区かのう、やはり」
「どうしてだい?」
後ろにくっついてきた弟君がのほほんとお尋ねになるのを無視し、女神さまは陶工区へと足を急がせました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます