32.許嫁




「いいなずけって何?」

「馬鹿だなあ、ミハイル。そんなことも知らないのか? 親同士が結婚の約束をした間柄ってことだよ」

「テオとあのひとが結婚するの?」

「そういうことだ」

「テオが結婚したらぼくたちどうなるの?」

「そりゃあ、ここにはいられないだろうけど」

「おかしくない?」

「何が」

「あんなひとがこの家に住むの? テオと結婚して?」

「……そおだよなあ」

 ミハイルが小首を傾げたのに合わせて、ハリも首を傾げています。ですよねえ、わたしもそう思います。


 そこでやはり気になるのはテオの出自です。親はいないふうであり、銀山の出資者のひとりが後見人らしいことは把握してはいましたが、どこの氏族の出身かはさっぱりです。

 身寄りのない子どもたちの保護人になれるだけの信用があるのだから、有力氏族の出であるのは間違いないのでしょうが、それにしてはこんなあばら家で暮らしているのも不思議です。人助けにお金を使ってしまうからかもしれませんが。


 アルテミシアはテオの帰りを待つと言って木陰で休んでいました。はじめこそ右往左往していたエレナも、今はいくらか落ち着いていつもどおり家事をこなしています。

 女神さまはといえば、木陰に運ばせた粗末な椅子に優雅に座って軽く目を閉じ涼んでいるアルテミシアの顔をじろじろ眺めまわしていらっしゃいました。


「のう、そなたがテオの許嫁というのは本当か?」

「本当よ」

 幾分けだるげにアルテミシアは答えます。少し疲れたようです。ですが女神さまがじろじろご覧になっているままなので、アルテミシアは仕方なさそうに説明を加えました。

「テオのお父様がまだ街にいらっしゃる頃、わたくしのお父様と約束してくださったの。わたくしのお父様に娘が生まれたら息子の嫁にもらうって。そしてわたくしが生まれたというわけ」

「そなたが生まれる前の約束というわけか」

「そうよ」


 傲然と目をあげてアルテミシアは女神さまが問いを重ねる前にまくしたてました。

「わたくしに不満はないわ。実際にテオは賢いし勇気があって美しい。いつでも嫁いでいいと思ってるわ」

「そなたのような娘が、この小さな家にか?」

 アルテミシアは片方の眉を跳ね上げて女神さまを睨みました。

「今はそうでも、テオはきっと再起するわ。リュキーノスのように植民団長に志願するなら、ついて行っても良いと思ってるわ」

「ほうほう、それは立派な心掛けじゃなあ」

 たいして感銘を受けていない調子で女神さまは頷きます。


「順番でいえば、そなたがいちばんというわけか。じゃがなあ、正妻の座は譲れんなあ」

「……は?」

「わらわは寛容であるゆえ、妾(めかけ)が何人いようとかまわんが、わらわを尊重してもらわねば困る。そなたは二番目じゃ」

「はあ!?」

「いやいや、そうだ。エレナもおるのじゃ。しかしこれではエレナの分は悪い。エレナ、三番目で我慢してくれるか?」


 女神さまが振り返って尋ねると、話を聞いていないようでいて聞いていたらしいエレナは、鍋を抱きしめて首を横にぶんぶん振っていました。顔が真っ赤で、おさげにした黒髪がものすごい勢いでなびいています。


 そんなことにはかまわずに、女神さまは唖然としているアルテミシアに言い放ちました。

「というわけで、わらわが正妻。そなたは妾一号でエレナが二号じゃ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る