第七話 信託の地
50.激変
出発の朝、いつも出入りしている農園に近い城門ではなく正門――港へと続く立派な城門――から外へ出た女神さまは、緑色の瞳が零れ落ちんばかりに目を見開かれました。
わたしも気持ちは同じです。いつの間にやらそこに、平らで広い道ができていたのです。よく均(なら)されていて、これなら馬車でも快適に進めそうです。
「荷馬車を呼んだのはこういうわけか」
かたわらの馬の鼻を撫でてやりながら女神さまは呆然とつぶやかれます。これまでは隆起が続く丘を越えて港まで行かなければならなかったから、荷物を運ぶのは背に袋をくくりつけられたロバの役目でした。それが今はこんな立派な道ができたのです。
「行くぞ」
御者台からテオが冷たく声を投げます。女神さまの同行について、昨夜さんざんやり合った後だから機嫌が悪そうです。
女神さまは特に気にされるふうもなく荷台の上によじ登りました。弓を抱えて荷物の脇に控えたミマスが唇を曲げます。
テオが声をかけると、御者は馬を進めました。荷馬車は歩く速度よりはるかに早く進み始めます。
荷台の上で目線が上がったのがおもしろいのか、女神さまはきょろきょろ左右を見渡します。
「道を作るのに地面を上げたのか。両側の石はなんじゃ?」
「外壁を築くんだ。城壁をつなげて港まで伸ばす」
「はあ?」
女神さまは眉をひそめました。
「そんな大仰(おおぎょう)な。何故そんなことをするのじゃ」
「これから必要になるからに決まってるだろう」
テオは少しだけ荷台の方を見返り、疲れたように言いました。女神さまはまだ当惑した表情です。聞いているのかいないのか、ミマスは無言のままです。
やがて道はどんどん下り坂になっていきます。丘が途切れて、港が見下ろせるようになります。見慣れているはずの港の光景にも、女神さまは驚いて目を瞠られました。港のようすも、様変わりしてしまっていたからです。
荷揚げ倉庫こそ春に訪れた時と変わってはいませんでしたが、その前方に面した波止場には、異様なものが並んでいました。
「なんじゃ、あれは!?」
「クレーンだ」
その名前には聞き覚えがありました。
――クレーンといったか? 重い荷物を持ち上げられるとかいう。
春にここで会ったリュキーノスがそう言っていました。あれが荷物を持ち上げる装置ということでしょうか。
他にも明らかに変わっていることがありました。
以前は浅瀬の岩礁になっていた荷揚げ倉庫の横手にも、大きな屋根の建物ができていました。あれも倉庫なのでしょうか。
道はそのまま港町の大通りにつながっていて、荷馬車は荷揚げ倉庫の脇まで進んで止まりました。蝋板を手にした検査係らしい者が近付いてきます。
テオがその者とやりとりを始めたのを尻目に、女神さまは荷台から飛び降りて波止場へと向かわれます。
目の前のクレーンはそれは大きなものでした。まるで木材でできた大きな馬が首を長く伸ばしているかのようです。歯車や滑車が付いた胴体部分から、長い長い長い木材が、倉庫の天井の高さよりも長く伸びています。
その首の部分に通された綱が先端から垂れ下がり、波止場に横付けされた貨物船の積み荷に括り付けらます。やがて滑車が回って綱が引っ張られ、甲板の上から穀物袋が持ち上げられていきます。
「なんとまあ……」
あんぐりと口を開けてそれを眺めていた女神さまの瞳がおもしろそうに輝きました。四つ並んだクレーンの首は次々とそれぞれの船の甲板から荷を持ち上げ、波止場へと下ろしていきます。
しばらくその動きを見ていた女神さまは、向こう岸の新しい建物の方へと視線を滑らせました。
それは荷揚げ倉庫よりも横に長い大きな建物でした。前方は壁がなく、眼前の水面に向かって丸太で傾斜が付けられています。その上部に横たわる物を見て、また女神さまが声をあげられました。
「なんじゃ、あれは!?」
「軍船だ」
女神さまの後ろについてきていたミマスが低く答えます。
「船じゃと?」
「ああ。なんでも櫂(かい)を三段に配置して百人以上の漕ぎ手を乗せるのだそうだ」
「百人? あの中に?」
またまたあんぐりと口を開けた女神さまを、からかうようにミマスは笑います。
「あんなものを神の御業とやらではなく、人の力で動かそうっていうんだ。もっと頭数は必要だとオレは思うぜ?」
「その通りだ」
追いついてきたテオが冷淡な目で作りかけの巨大な船へと視線を投げました。
「最初は百人とか言ってたが、新しい計算では二百人に嵩増ししたらしい」
「だろうなあ」
「あなたは随分、詳しいじゃないか」
「あ? ああ。ちょうど昨日、城壁の前で行商人たちが話してたからな。まさに御神託に従ってってヤツなんだろう?」
どこか馬鹿にしたようすのミマスでしたが、テオは怒りませんでした。
「そう。神託の解釈をさんざん議論した結論があれだよ」
「あんたたちの神様は本当にそうおっしゃったのかい?」
更に皮肉気にミマスが問います。テオもまた、口元をひきつらせて嘲笑しました。
「神託の山に本当に神がいるとしたら、今頃びっくりしてるだろうよ。自分はそんなことは言っていないってな」
ふたりの会話を聞きながら、女神さまは巨大な軍船をただ見つめておられました。
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