30.禁域

 劇場の奥の行き止まり、切り崩した丘の側面の踏み固めた窪を登って、容易に神殿の裏に行き着くことができました。

「しようのない輩がおるのじゃのう」

 女神さまは嘆かれます。御自分がしていることだってしようのないことですのに。

 崖から少し頭をのぞかせれば、そこが禁域です。もともと丘陵の高い位置にある街のさらにてっぺん。空が近くなったように感じます。


 その禁域の広場で、二十人ほどの少女たちが輪になって合唱しています。天空から降り注ぐ日差しが、めったに表になど出ないだろう少女たちの白い腕を焦がします。屋内や木陰に戻って早く休みたいでしょうに、少女たちは辛抱強く高らかに天上に向かって歌いあげます。

 わたしの目には酔狂としか映らない、これが人間たちが言う「訓練」なのでしょう。そもそも天上に座してこの歌声を聞き入れるべき御方は、ここで覗き見などしていらっしゃるというのに。


「ふむふむ、なるほど。いずれも可愛い顔をしておる。まあ、もう少し育てばだな」

「ねえ、ファニ。もういいだろ? 戻ろうよ」

「待て待て、もう少し吟味してやるゆえ」

 どうやら敬虔な気持ちになったらしいデニスが止めるのに、女神さまは身を乗り出して目を皿にしていらっしゃいます。


 やがて女神さまの視線は、中でもいちばん背の高い大柄な少女に固定されました。

 たっぷりひだをつけた衣をまとった肢体はすらりとして、金に近い茶色の巻き毛が未婚の娘らしく肩を覆っています。男性好みのぽってりした唇といい「もう少し」と言わずとも十分美しい娘です。


「ああ、アルテミシアか。きれいだろ」

 女神さまの視線を追ったデニスが、早く帰ろうと急かしていたのも忘れてうっとりと娘の名前を教えてくれました。が、その後余計なことを言ってしまったのです。

「神殿の女神さまよりきれいだって言われてるんだ」

「なにー!? ふざけるな! そんなことあるものか」

 当然女神さまは怒りだします。

「無責任なことを言いおってからに! 目が腐ってるのじゃないか? うるわしのわら……女神をあんなものと比べるとは!」

「し、知らないよ。女神さまなんて似姿でしか知らないし。なんでそんなに怒るのさ?」


 ぎゃいぎゃい騒ぐ声が禁域に届きます。

「くっそー。あんな乳臭い娘の風下に置かれるとはっ。おまえらは街の守護者たるわらわをなんと心得る!?」

「……なんですの? このちんちくりんな子どもは」

 乳臭いと罵倒した娘の足が目の前にあります。デニスが慌てて女神さまの口を手でふさぎましたがもう遅いのです。


 傲然と見下ろすアルテミシアの足元で、さすがの女神さまも今は分が悪いことを悟られたのか、らしくもなく目を泳がせてしまったのであります。

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