36.助け手
慌てて戸外に走り出て、樹上を見上げるアルテミシアの顔がみるみる青くなっていきます。木陰に隠れて横目にそれを見やりながら女神さまは更におっしゃいました。
「ティア。ミハイルにうまいこと協力させて、ここにエレナを連れてくるのじゃ」
「ええ? どうしてですか?」
「いいから早く」
ひそめた声で女神さまはぴしりとわたしを急かします。もう訳がわかりません。
わたしは混乱したまま急いで劇場に戻り、ミハイルの耳元で囁いて彼にエレナを連れ出してもらいました。
何も語らないミハイルに強引に腕を引かれたエレナが、不安そうな面持ちで禁域に向かいます。
見届けて一足先に戻ったわたしは、相変わらず呆然とオリーブの樹の上にひっかかった聖衣を見上げているアルテミシアを目にしました。
「エレナは?」
「間もなく参ります」
「うむ」
頷いた女神さまがすうっと目を細めて合図を送ると、おもしろがってまだあたりを飛びまわっていた風の妖精たちが聖衣を乱暴に引っ張りました。
ああ、そんなことをしたら……。目を覆う間もなく、びりっと嫌な音が聞こえます。枝からはずれた聖衣が、ふわりと舞い下りてきます。
白い腕の中にそれを受け止め、アルテミシアは泣きそうな顔で確認します。衣の端が無残に引き裂かれていました。
真っ青を通り越し土気色の顔になったアルテミシアがくずおれます。そこへミハイルとエレナが顔を出しました。
「どうしたんですかっ?」
尋常でないアルテミシアのようすに、反射的にエレナが駆け寄ります。禁域に侵入したことを質す余裕もなく、アルテミシアは口元を震わせてエレナを見上げました。
「聖衣が、聖衣が……」
ぎゅっと眉根を寄せて瞳に涙をためながら、アルテミシアはそれしか言えません。
彼女の手の中の物を見て、エレナもさっと顔色を変えました。一瞬にしてすべてを察したのでしょう。こくっと喉を鳴らしたと思ったら、エレナはすっと目を上げました。
「大丈夫です、アルテミシア様。破れてしまったのなら繕(つくろ)えばいいのです」
「あなた何を言ってるの!?」
あまりにあっけらかんとしたエレナの言葉に、我に返ったアルテミシアが声を張り上げます。
「貧乏人の持ち物とは違うのよ! 女神さまに奉納する聖衣よ! 繕えば済む話ではないわ」
言ってしまってから、アルテミシアは恥じらうように目を伏せました。
「あ……ごめんなさい。わたくし、そんなつもりでは……」
貧乏人と言われたことには一切反応せず、エレナは冷静に聖衣の破れを検分していました。
「確かに。これは目立たないように繕うのは難しそうです。織り直した方が良さそうです」
「馬鹿なこと言わないで……」
先ほどの勢いはどこへやら。アルテミシアはすっかり意気消沈してか細い声でつぶやきます。
「これは二十人がかりで一年かけて織りあげたものなのよ」
「奉納の儀式まで六日もあります」
「糸だって極上のものを使用してるわ。予備なんかもうないし、この色はとても貴重なのよ」
「そうですね。同じ色とはいきませんが。かき集めればなんとかなります」
「あなたはさっきから何を言ってるの!?」
再びアルテミシアが顔を上げて叫びます。
今度は彼女と瞳を合わせ、エレナはにこりと微笑みました。
「アルテミシア様。貧乏人は欠けたお皿や壺も上手に繕うことができるのです」
「あなた……」
「わたしに考えがあります。任せてください。元と同じようにとはいきませんが、きっと補修してご覧にいれます」
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