33.癇癪

「えーと。何を言っているのかしら? このおちびさんは」

 眉間を押さえながらも、そこはさすが〈聖衣の乙女〉の威厳は崩さずにアルテミシアは冷静に対処しようと努力しているようでした。


「あなたとテオが約束を交わしているとでも?」

「そのとおりじゃ」

 ぺったんこのお胸を反らせて女神さまは堂々とおっしゃいます。

「わらわとテオは熱い抱擁を交わした仲であるからに」

「はあああ!?」

「ええええ!」

 エレナまで頓狂な声をあげて驚いています。そうですよね。そりゃまあ、そうです。


 折よく、城門まで出迎えに行っていたデニスと一緒にテオが帰ってきてしまいました。

「アルテミシア? ほんとにいるのか?」

「テオフィリス! あなた、このちんちくりんに手を出したんですの!?」

「なんの話だ!」

 青筋を立ててテオは怒鳴ります。


「そんなことより早く帰れ。一人でこんなところまで来るなんて何を考えてる」

「あら、今夜は帰らなくても大丈夫ですわ。わたくしは神殿に泊まり込んでいることになってるのですもの」

「ほほう。神への奉仕を口実に抜け出して男の家に来るなど、やるなあ、そなた」

「ファニは黙ってろ!」


 聴衆の存在に我慢できなくなったらしいテオは、アルテミシアの手首をつかんで身をひるがえしました。路地へ出ていくふたりの後に女神さまがついて行こうとなさいます。その腕を、ミハイルが無言で引き留めました。

「……」

 じっとミハイルに見つめられ、女神さまは肩をすくめられるとわたしに目配せを寄越されました。はいはい。わかっておりますとも。

 わたしははねを動かして飛び上がり、テオの後を追いました。


「テオ。テオフィリス! 待ってよ、話くらいさせてよ」

 引っ張られてほとんど小走りになりながらアルテミシアは必死に叫んでいます。

「テオフィリス! 話を聞いてよ!」

 悲痛な叫びにほだされたのか、テオは歩く速度をゆるめ、居住区の共用の水汲み場である泉のかたわらへとアルテミシアを促しました。


「テオ……」

 肩で何度か息をついてから、アルテミシアは潤んだ瞳でテオを見上げました。

「会いたかったのよ。住んでいる家だってとっくに知ってたわ。でもあなた……」

「おれとおまえはもう関係ないだろう。父が失脚した時点で婚約なんか反故になってる。わかっているだろう?」

「わかってるわ。でも、わたくし……」

「嫁入り前の娘が外を出歩くんじゃない。おまえともあろう者が……」


「好きなのよっ!」

 それまでの威厳をかなぐり捨てて、癇癪を起すようにアルテミシアは叫びます。

「わかってるわよ! 他所の娘たちと同じように、わたくしもそういうふうに躾けられたのですもの。父に言いなりの娘になるように。でも好きなのよ、テオ! 許嫁があなたで良かったと何度も何度も女神さまに感謝したわ。あなたに嫁ぐ日を夢見ていたのよ。なのにどうしてなの? どうして今更ほかの男の妻にならなきゃいけないの? テオ、わたくしは……」

「おまえらしくないぞ、アルテミシア」

 うつむいたままのテオの表情はわかりません。ですが、ぞっとするような声でした。のどをひきつらせるようにしてアルテミシアは黙ります。


「神殿に戻るんだな?」

「ええ……」

「急ごう。姿がないことがわかれば騒ぎになるだろうに。馬鹿だな」

「……ええ。そうね……」

 力なく同意してアルテミシアは頭からかぶった布で表情を隠します。

 テオもうなだれたまま、広場への道を先に立って歩きだしたのでした。

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