第37話 狂える教授の首


 数分かけて辿りついた扉は、いかにも頑丈そうな金属製の物だった。


「おかしいな……テディがいるはずなんだが」


 金剛が周囲を見回し、首をかしげた。


「場所が違うってことはないわよね。一本道だもの」


「もう一度、テディに連絡を取ってみます」


 金剛が携帯を取りだし、操作し始めた。背中で浦野医師が悪夢にうなされてでもいるのか、呻きながら頭を動かすのが見えた。


「……駄目です、通じません」


 金剛があきらめ顔で携帯をしまおうとした、その時だった。


 突然、目の前の扉が何の前触れもなく、音を立てて左右に開き始めた。


「な……何?」


 次第に大きくなってゆく隙間から見え始めた光景に、私は目を瞠った。


 ――演習場じゃ、ない?


 目の前に現れたのは、蘇命会病院の地下にあったのとほぼ同じ造りの手術室だった。


 手術台の一つに大柄な男性が仰向けに横たわっており、その傍らに白衣に身を包んだ人物が立っていた。


「ようこそ裏切り者の処刑場へ」


 大きな鉤鼻の下に灰色の口ひげを蓄えたその人物は、私たちを見据えて言った。


「処刑場だと?」


「さよう。お前さんの背中に乗っているのは、浦野君だろう?彼は裏切り者であり、私の最大の失敗作なのだ」


 男性は、眼鏡の奥の酷薄そうな目を私たちに向けながら言った。


「失敗作って。どういう事?それにあなたは何者?」


「……これは失礼。私は伊丹境三きょうぞう。この施設の責任者だ」


「あなたが……P―77を使って人体実験を始めた張本人ね?」


「良くご存じですな、お嬢さん。蘇命会病院と須弥蔵病院の地下では、随分と暴れてくれたようですな。大変お転婆な所長さんだ」 


「ここはあなたがこしらえた「狂戦士」の演習場じゃないの?」


 私が率直な疑問をぶつけると、伊丹医師はくっくっと含み笑いをしてみせた。


「なるほど、それで不安そうな顔になっているわけだな。面白い。我々が探偵の潜入計画を知らないとでも思ったのかね。お前たちが浦野夫妻を探しに来ることは先刻承知の上だったのだよ」


「……だからなんなの?」


「お前たちが浦野夫妻の居場所だと思っている部屋の通路を挟んで向かい側に、もう一つ、全く同じ間取りの部屋があるのだよ。お前たちが実際に潜入した部屋は、そちらの方だ」


「同じ部屋が二つも?……だって平面図のデータには……」


「お前たちが平面図のデータを盗むであろうことは予測済みだった。それで古いデータの図面を盗ませた後で、夫妻の身柄を反対側の部屋へと移したのだ」


「じゃあ、私たちは反対側の部屋を図面上の部屋と思いこんでたってこと?」


「その通り。夫妻を首尾よく連れ出したお前たちは地上への近道……つまり演習場の方向に行こうとするが、それは真逆の方向だったというわけだ」


「つまり演習場は反対側の突き当りにあるってわけね」


「その通り。だが今さらUターンしようとしたところで、この部屋に足を踏み入れた今となっては無理なことだ」


 伊丹医師はそう言うと、指の先をぱちんと鳴らして見せた。すると手術台の上に身体を横たえていた男性がむくりと上体を起こし、私たちの方に顔を向けた。


「ちょうどこの、最新型の「狂戦士」の戦闘力を測るための犠牲を探していたところなのだ。たまたま君たちが飛び込んできてくれたおかげで、私の唯一の「失敗作」も一緒に始末することができそうだ。……まあ、君たち全員を殺したところで、トレーニングにもならないかもしれないがね」


「失敗作って、どういうこと?」


「そこの巨漢が背負っていいる浦野君……彼は自分が元の身体とPー77の完全融合体だと思い込んでいるが、実は九十九パーセント、元の脳に戻っているのだ」


「なんですって」


「彼は特異体質でね。半分近くまでPー77の浸食を受けた段階で何らかの防衛機制が働き、持ち前の細胞が逆にPー77を食い尽くしてしまったのだ。いわば失敗作だが、それでも私は彼に自分がハイブリッドだと信じ続けさせた。わざわざ偽の脳スキャン写真まで用意してね」


「どうしてそんなことを?」


「すでに実用段階に入っていた「狂戦士」たちが、彼を崇拝していたからだよ。理性を持ったままハイブリッドになったと信じられている彼の命令になら「狂戦士」たちはおとなしく従う。彼の統率力が演習をスムーズに運ぶ上で必要不可欠だったのだ」


「なんてことを……」


「だがその必要ももうなくなった。我々は浦野君なしで「狂戦士」を完全にコントロールする方法を開発したのだ。それで厄介者の探偵たちと一緒に始末することにしたわけだ」


 伊丹医師が説明を終えたところで、待ちかねたように「狂戦士」が手術台から床の上に降り立った。その表情からは、私が以前、目撃したPー77の犠牲者同様、人間らしさというのものが丸ごと失われていた。


「さあ、逃げるなり戦うなり、あらゆる方法で生き延びてみたまえ、探偵諸君」


 伊丹医師がそう言い放つと、「狂戦士」は右腕を私たちに向けて突きだして見せた。その肘から先を見て、私は思わず悲鳴を上げた。「狂戦士」の右腕はそれ自体が鎌を思わせる湾曲した刃物になっていた。


「……ボス、下がってください」


 隣で金剛の押し殺した声が聞こえた。見ると金剛が浦野医師を床の上に横たえていることろだった。


「駄目よコンゴ、こんな怪物、まともにやり合ったって勝てやしないわ」


 私が金剛を押しとどめると、今度は大神が一歩前に進み出た。


「ボスの言う通りだよ、コンゴ。事務所一の弱虫がどうやって化け物を倒せるってんだ」


「……ちっ、犬のお前にいったい何ができる?ここは俺に任せて引っ込んでろっての」


 私は二人をなんと言って止めたらよいかわからず、その場に立ち尽くした。


「ふふふ、麗しい仲間愛ではないか。……いいだろう。一撃で葬ってやろう……やれ!」


 伊丹医師の号令を受けた「狂戦士」が大きく右腕を振り上げた、その直後だった。突然、腕の動きがぴたりと止まり、次の瞬間、信じられないような出来事が起こった。


「狂戦士」はそこから前に進み出ることなく、そのまま体を百八十度反転させると長い「鎌」で、伊丹医師の首から上をすっぱりと切断したのだった。


「……えっ?」


 首から上を失った伊丹医師は、傷口からシャワーのように血を噴き出しながらゆっくりと床の上に崩れた。「狂戦士」は凶行を終えると前のめりに倒れ、そのまま動かなくなった。


「……どういうこと?」


 私が恐怖と混乱でその場から動けずにいると、ふいに背後から声がした。


「それが報いという物だ」


 振り返ると浦野医師がふらつきながら私たちの背後に立っていた。医師の手には煙草の箱くらいの大きさの機械が握られていた。


「浦野さん……」


「私は以前から、この「狂戦士」の意識に伊丹医師への憎悪を植え付けていたのです。私がこの機械で指令を出せば、封印されていた憎悪が蘇るというわけです。伊丹医師もまさか、自分が殺そうとしていた男が自分の用意した「凶器」を使って反撃してくるとは思わなかったでしょう」


「あなた……今まで私に言っていたことは」


浦野夫人が青ざめた顔のまま、医師を問い質した。


「すまない。伊丹医師の計画に気づいた時から、こうして復讐の機会をうかがっていたんだ。そのためには君を含む、あらゆる人間を欺く必要があった」


「浦野さん、こうなった以上、ここにいても意味はありません。脱出しましょう」


 私が言うと、浦野医師は頷いた。こうなったら全員で引き返し、演習場を通って脱出するしかない。


「まだ私の統率力が有効なら、演習場の「狂戦士」たちを脱出するまでおとなしくさせておけるかもしれません。私が先頭になります」


 浦野医師はそう言うと身を翻し、ドアの方へと歩き始めた。私は改めて身が引き締まるのを感じた。事件の黒幕は死んだが、我々にはまだ脱出という仕事が残されているのだ。


             〈第三十八回に続く〉

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