第17話 人間つかい


「超能力って……あの、スプーンを曲げたりする奴?嘘でしょ」 


 予想もしなかった言葉に、私は面食らった。よりによって探偵が超能力とは。


「残念ながら本当です」


 オフィス街のはずれにある公園で、私は体を休めつつ石亀に先ほど漏らした「超能力」という言葉の意味を問い質していた。


「我々は全員が何らかの特殊能力を持っています。一人一人の能力は大したことないのですが、それぞれが弱点を補い合うことで、超人的な活躍が可能になるのです」


「……まさか、それが叔父さんがあなたたちを集めた理由?」


「そうではなく、結果的にそうなったのです。前所長が困難な事件の依頼を積極的に受けていたため、普通の人間では解決し切れなくなったのです」


「だからって、超能力なんて……」


 私は唐突に付きつけられた「超能力」というキーワードを持て余していた。

 確かに現実離れした、映画に出てくるような「敵」に遭遇こそしたが、だからといって超能力で事件を解決するというのはあまりにも突飛すぎる。


「コンゴの場合、自分では出現する場所を選べません。誰かに「呼ばれた」時か、何かに追われた時に無意識にテレポートしてしまうのです。……こんな風に」


 そう言うと、石亀は芝生の上で胡坐をかいている金剛の方を向いた。


「ちょ、ちょっと石さん、まさか……」

「……ワン!」


 石亀が犬の鳴きまねをすると、驚いたことに私の見ている前で金剛の姿が掻き消すようにその場から消滅した。


「嘘……こんなことあっていいの?」

「あいつは犬が苦手でしてね。小さな犬でも吠えられるとああやって無意識に「逃げ」出してしまうのです」


 石亀の話を聞いているうちに、私はふとあることを思いだした。最初に事務所を訪ねた日、面接と称して石亀に特技のことを聞かれたことがあった。

 その最中、いきなり石亀が犬の鳴きまねをして見せたのだ。その後、金剛がぼやきながら事務所に入ってきたのだった。


「……でも石さん。コンゴの能力はわかったけど、いったいどこに飛ばしちゃったの?」


 私の問いに、石亀は心配ないというように顔の前で手を振って見せた。


「私の鳴きまねに反応した時は大体、事務所の近くに飛ぶことになっています。……まあ、一足先に戻ってもらったってとこでしょうな」


「はあ……」


                 ※


 その建物は都心部からほど近い、曲がりくねった細い路地の途中にあった。


「おばちゃん、いるかい」


 いまどき珍しい木の引き戸を潜り、石亀が呼びかけたのは地蔵のように穏やかな顔をした老婦人だった。


「石さんかい。……ひょっとして、この間の「あれ」かね?」


 老婦人はべっ甲縁の眼鏡の奥から探るようなまなざしを寄越すと、短く聞いた。


「そうだ。あんたの腕ならもう分析が終わってると思って、寄らせてもらった」

「ひっひっひっ、おだてたって何もでやしないよ。……奥に来な」


 そういうと、老婦人は駄菓子屋と荒物屋を合わせたような店内の奥へと姿を消した。


「ボス、奥の部屋に見せたいものがあります。私について来て下さい」


 石亀はそう言うと、老婦人の消えた暗がりへと進んでいった。私は戸惑いながらも言われた通り、後に続いた。


「ここから先は研究室だからね。衣替えをしてもらうよ」


 老婦人はそう言うと、私と石亀に白衣とキャップを手渡した。厚いビニールのカーテンを潜った向こうには、驚いたことに実験器具で埋め尽くされた空間が広がっていた。


「ここは、普通の企業や病院じゃ扱えないような物を分析する研究施設です。彼女は粂川園江くめかわそのえさんと言って、博士号をいくつも持つ天才科学者です」


「やだねえ、そういう肩書から入るのはよしとくれっていつも言ってるだろう?」


 園江はそういうと、からからと笑った。


「さあ、どうだい。こいつがあんたの持ってきた「謎の物体」さ。今は動かないけど、一定以上の温度で活性化する特性があるから油断は禁物だよ」


 そう言って園江が私たちに示したのは、ガラス容器に入れられた茶褐色の物体だった。


「ようするになんなんです?これは」


「たんぱく質さ。プリオンみたいなもんだね。ただしこいつは核酸なしで自己増殖する。しかも、ある方法で目的を与えると、その通りの行動を取る。正式名称はP―77と言って現在、国内で研究を進めているのは伊丹っていう医者だけさ」


「やはり……伊丹医師はこいつを使って脳外傷の手術を行っていたんだな」


 私はガラス容器の中の物体を正視し続けることができなかった。「須弥倉クリニック」ではこいつに襲われ、その地下ではこいつに脳を食い尽くされた人間を見たのだ。


「たとえばこいつに患部の出血を止めろとか、ウィルスの増殖を抑えろと命令して体内に流しこむと、患部の組織と融合してその通りにする。それだけなら非常に優秀な外科助手だが、そればかりじゃないのさ、この暴れん坊は」


 園江はガラス容器を持ち上げると、研究者特有の冷たい眼差しで見つめた。


「こいつにラーニングで疑似知性を与え、特定の人間を乗っ取れと命令すると、その通りにする。もちろん、元の人間の知性を保ったままだ。見かけは変わらず、中身だけが全く別の存在にすり替わってしまうというわけだ。どうだい、大した怪談話だろう?」


 私はぞっとした。もう少しで私は、この茶褐色の物体に「乗っ取られる」ところだったのだ。私はあらためてスタンドプレーの恐ろしさを実感した。


「こいつに寄生された人間の特徴としてまず、眠れなくなるというのがある。ついで、自分が自分でなくなるような感覚。最後が自分の意志とは関係なく動きまわる……こうなったもう、宿主の意識なんて欠片も残っちゃいない。ようするに死んだも同然さ」


 私の脳裏に、浦野の妻が聞いたという夫の寝言が蘇った。たしか彼は、こう口にしたのだ。「乗っ取られる」と。


「話は分かった。おばちゃん、もう少しの間、こいつの研究を続けてくれ。俺たちは伊丹医師の背後にいる奴らを調べなきゃならない」


「ひっひっ、わかったよ。……ところであんたの隣に立ってる、その可愛らしいお嬢ちゃんは誰だね。まさか新しい所長だなんていうんじゃないだろうね」


「そのまさかだよ、おばちゃん。彼女が我々の新しいボス、汐田絵梨さんだ」


 石亀が私を紹介すると、園江は「こりゃあ、楽しみだねえ」と眼鏡の奥の目を細めた。


              〈第十八回に続く〉

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