第18話 クライム襲撃
「それでは、本日の調査予定と担当者です。まず、蘇命会病院と伊丹医師に関する調査は石さん、「裏クリニック」に関する調査はテディにお願いします」
私は一日の予定を読みあげながらどこか自分の声が自分の物ではないように感じていた。
「次に……ええと、小峰医師の元同僚で、蘇命病院で伊丹医師の部下として働いていた人物とコンタクトが取れました。コンゴ、ウルフ、そして私の三人で、この医師の話を聞きに行きます。ヒッキは報告があるまでオフィスで待機していてください。……・何か質問がある方、いますか」
私が一同を見渡して言うと、すっと手が挙がり、石亀が前に進み出た。私はおやと思った。今回の予定表は九十九パーセント、石亀が作成したものだからだ。
「先日、ボスを襲った相手の素性が判明しました。カッツェという殺し屋です。その結果も踏まえて我々調査員で協議した結果、今後、蘇命会と裏クリニックに関する調査からボスを外すことにしました」
私は悔しさをぐっと飲み下し、頷いた。それはそうだろう。単独行動を徒った挙句に危険にさらされているのでは、所長である以前に調査員としての資質が疑われる。
「カッツェの背後にいる存在について検討を試みた結果、調査開始時と現在とでは危険度を含め、事態が完全に変わってしまったと考えざるを得なくなりました。心苦しいですが、ボスは基本的にオフィスにいて、我々の報告を待つことに専念していただきます」
石亀は一気に言うと、私の方を見た。いたしかたない。一度失った信用は、容易には取り戻せないのだ。
「私の好奇心から出た軽はずみな行動で、部下を危機にさらしてしまいました。信頼を取り戻すため、今後は勝手なふるまいを慎みます。本当にごめんなさい」
「ボス、悪く思わないでください。あんたに行方不明になられたら、チームがバラバラになっちまうんです」
「……わかっています。もし今度、軽率な行動を取ったら、その時は所長を辞任します」
私が言い切ると、荻原が「わかった」というように片手を挙げて見せた。金剛と大神が「そこまでしなくても」という表情をしたが、そうでもしなければ探偵として、所長代理としての信用は取り戻せないに違いない。
「では各自、調査を開始してください」
私が号令をかけると、調査員たちは一斉に動き始めた。彼らはこれから身体を張って調査に出向くのだ――私が上司の言葉の重さを実感した、その時だった。
「所長さん、いったいこれは何だい?」
ふいに呼びかけられ、振り向くと久里子がボール大の物体を手に私を見つめていた。
「さあ……なんでしょう」
「あんたの机の上にあったんだけど、見覚えないかい」
私は思わず、小首をかしげていた。あいにくと見た覚えも、置いた覚えもない。
「初めてみました。……何です?これ」
「なんだろうね。結構、重いよ」
そう言うと久里子は球形の物体を私の手の平に乗せた。確かに、機械が何かがずっしりと詰まっている感じがする。
私は改めて自分の机の上に物体を置いた。すると、何もないように見えた表面の一部が帯状にするりと動き、レンズらしきものが中に覗いた。
「な、なに?」
私が声を上げると、ファンの回る音と共ににレンズから空中に帯状の光が伸びた。
「プロジェクターだな」
石亀が準備の手を止めて言った。プロジェクターだって?そんな物、持ちこんだ覚えはない。だとすれば……誰かが持ちこんだ?
調査員全員が注視する中、光の帯の中心に突然、小さな人間の姿が浮かび上がった。
「ふふ……おひさしぶりね、絶滅探偵社のみなさん」
人間はオリエンタルな顔立ちをした若い女性で、まるで空中に立っているかのような実在感を放っていた。
「おまえは……ファティマか。するとやはり事件の背後には「
石亀がいつになく緊迫した声音で言った。石亀の口から出た名前は、私にとって全く聞き覚えのない名ばかりだった。
「そういうことになるかしら……ところで今日は折り入ってお願いがあるの」
ファティマと呼ばれた美女は、空中に浮かんだまま思いがけぬ言葉を吐いた。
「なんでしょう。ここの責任者は私です」
私は気が付くと、空中に浮かんでいる数センチほどの人物に向かって話しかけていた。
「今、あなた方の扱っている事件……できれは調査を中止して欲しいの。もし、こちらの要求を呑んでくれるなら、あなた方の探している男性を近日中に家族の元に帰してあげるわ。どう?」
私は息を呑んだ。もしこの提案が本物なら、事件は解決だ。
「ただし、以前とは少し違った人間になっているかもしれない。でもそんなのは些細なこと。依頼者を始め、あなた方全員がこれ以上、失踪の真相を探るのをやめてすべてを忘れてしまえばそれで済むこと……」
「それは……できません。私たちが依頼を受けたのはあなたではなく浦野さんの奥様です。探偵が依頼をキャンセルして、別の形で調査を終わりにするようなことはありません」
「……いずれにせよ、私の話はこれで終わり。ボスが会いたがってるから、代わるわ」
そう言うと空中から女性の姿が消え、代わりに男性の物らしきシルエットが現れた。
「くっくっ……久しぶりだな、探偵諸君」
出現したのは禿頭の、サングラスをかけた老人だった。老人は頭部が異様に長く、険しく結ばれた口元さえ見なければ福禄寿と見まごうような風貌だった。
「蓬莱翁!」
「あの目障りな所長がいなくなって、てっきり絶滅したと思っていたが、なかなかどうしてしぶといな……相変わらず厄介な話にばかり首を突っ込んでいるようだが、そろそろやめてもらわんと、こちらとしても煩わしくて仕方がないのだ」
そう言うと、蓬莱翁という老人は、足元に半分ほど姿を覗かせている猿に似た動物の頭を撫でた。鼻の大きいその生き物は、人間のように「ふん」と鼻を鳴らしてこちらを見た。
「畜生、あのエテ公め、調子に乗りやがって……」
敵意をむき出しにして見せたのは、大神だった。歯ぎしりしている大神の表情を盗み見た私は一瞬、目を見開いた。大神の頬のあたりから、猫のような長い髭が三本ほど突き出していたからだ。
「……ウルフ、やめとけ。こんなところで「変わっ」て、どうするんだ」
石亀に窘められた途端、大神の顔から動物のような髭が消えた。いったい、何だったんだ、いまのは?
「穏やかな暮らしを送りたければ、愚かな真似は控えることだ。……ではごきげんよう」
蓬莱翁は皺だらけの口元をさも可笑しそうに歪めると、空中から姿を消した。人物の姿が消えると、プロジェクターもほどなく動きを止め、あたりには再び静寂が満ちた。
「くそっ、やっぱりでてきやがった。……石さん、これはいよいよ、ボスを外に出すわけにはいきませんよ」
金剛が興奮冷めやらぬ口調で、言い放った。私の頭は疑問符ではちきれそうだった。
「しかしね、相手が「奴ら」なら、ここにいようと外にいようと大して変わらないぜ」
荻原が覚めた口調で言い、石亀が「残念だが、そういうことだ」と重い声で続けた。
「……ねえ、教えて。「蓬莱翁」って何?みんな知ってるんでしょ?お願いだから教えて」
私が懇願すると石亀がふうと息をつき、「話さないわけにもいかないな」と言った。
「『蓬莱翁』は麻薬物質の取引で財を成した、犯罪組織の親玉です。太平洋のどこかに麻薬物質の原料となる植物のプラントを持ち、近年は化学兵器や生物兵器の開発にも手を染めているらしい。
うちの前所長が関わった事件と何かと縁があって、事業の邪魔をされたと目の仇にしているんです。うちは向こうを潰そうとか、そういう事はしとらんのですがね」
「犯罪組織の……」
私は絶句した。まさか叔父がそんな恐ろしい人物と敵対関係にあったとは。
そして、ただの失踪事件とばかり思っていた依頼が、そんな剣呑な相手と繋がっていたとは。
「最初に出てきた女はファティマと言って、翁の秘書です。なんでも世界中の諜報組織を渡り歩いたらしく、油断のならない人物です」
「あの猿……ペットみたいな動物は?」
「あれはハマヌーンとかいう名前で、翁のペットです。まあ、一種の猿でしょうが、噂では遺伝子を操作して人工的に作られた動物とも言われています」
石亀の説明に、私は眩暈を覚えた。私の部下たちは、そんな得体の知れない相手とこれまで戦ってきたと言うのか。
「蓬莱翁には三人一組の腹心の部下がいます。『蓬莱翁トリニティ』と言って、リーダー格のアーサー、不死の巨人と呼ばれるゴレム、そして性別不明の殺し屋、カッツェです」
「カッツェ……」
「ボスは二度ほど会っていますね。奴はどんな人間にでも化け、相手が気を許した隙に殺してしまうのです。もしかしたら翁への忠誠さえ、見せかけかもしれません。
ゴレムは燃えさかる炎に包まれても、岩に押しつぶされても死なないといわれる巨人で、ジャングルで暮らしていたところを翁に発見されたと言われています。
アーサーは元は貴族階級の人間でしたが、身内に売られて外人部隊に入り、両手両足を失いました。ですがその部分を強力な武器の塊につけ変えています。一人で一個師団に匹敵する戦闘能力を有するといわれる男です」
石亀の話は、とても現実に存在する人間のエピソードとは思えなかった。
「ゴレムの大きさは……そうだな。俺の頭に石さんを乗っけたぐらいだと思ってくれ」
金剛が珍しくこわばった表情で言った。恐らく実物を思い浮かべているのだろう。
「そんな怪物たちと、どうやって戦えっていうの?……わたし、一週間前まで家事の手伝いをしながらお年寄りの相談をする仕事を探してた女の子よ。いきなりそんな映画に出てくるような人たちと戦えるわけ、ないじゃない……お願い、この依頼、キャンセルして」
なりふり構わず取り乱す私の腰を、なぜか久里子がぽんぽんと叩いた。
「なあに、なんとかなるって。……だってあんた、叡人さんの姪っ子だろ?あんたにはきっと、悪人たちを退治する「正義の血」が流れてるって」
驚いたことに、久里子の言葉に石亀までもが頷いていた。
「まあ、いよいよ危ないとなったら尻尾を巻いて逃げだすってのも、選択肢の一つです」
「うちはさ、探偵が仕事であって、別び悪人と戦う組織じゃないんだよ」
大神と金剛が、代わる代わる私を宥めた。……そうだ、その通りだ。べつに犯罪組織など倒さなくても、わが社は困りはしないのだ。
「ただ、先代所長は、降りかかる火の粉から逃げたりはしなかったけどね」
そう言って椅子から立ちあがったのは、荻原だった。
「私に、怪物たちと戦えと?」
「……そこにいて、俺たちの報告を受けてください。それがあなたにできる「戦い」です」
荻原はそう言うと、口笛を吹きながら廊下に消えていった。
私は呆然と机の前にたたずみ、混乱した頭でなぜ叔父は、私にこんな途方もない仕事を託したのだろうと思った。
〈第十九回に続く〉
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