第19話 実験なんて怖くない
「お姉さん!ちょっと寄ってって!今日は穴子が安いよっ」
声をかけてきたのは頭に鉢巻をした鮮魚店の店員だった。
「せっかくですけど、うちじゃあまり穴子は食べないんです」
「じゃあ、アンコウはどう?コラーゲンたっぷりだよ」
私は笑顔とは裏腹に手をひらひらさせて店員の前を通り過ぎた。テント地の庇が連なる市場を、私は金剛と大神を引き連れて歩いていた。
「なんていうお店だっけ、探してるのは」
「
そう言って金剛が指で示したのは、荒っぽい墨書で「深実水産」と書いてある立て看板だった。私は看板の前まで来ると、足を止めて店の奥を覗きこんだ。
「奥さん、ブリのいいのが入ってますよ、旦那にどうです」
陽気に声をかけてきたのは、髪を短く刈り込んだ年配の男性店員だった。
「奥さんじゃないです。学校出たての家事手伝い娘です」
「ありゃあ、じゃあ今から魚の下ろし方を覚えといた方がいいよ。鯵とか……」
「あの、実は先日、ここの尾藤さんていう店員さんに、とてもおいしいお魚を教えていただいて……きょうはいらっしゃいます?」
「ああ、尾藤か。いるよ。ほら奥で発泡スチロールを片付けてるだろ」
年配の店員が目で示した先に、四十前くらいの細面の男性がいた。
「すみません、呼んでいただいていいですか」
「ああ、構わないよ。……おーい、尾藤。お得意さんだぞう」
しばらくすると、尾藤という店員がきょとんとした顔で店頭に現れた。
「私が尾藤ですが……ええと、いついらっしゃいましたっけ」
尾藤は記憶を弄るように眼鏡の奥の瞳を動かすと、すまなそうに言った。
「……いえ、謝らなければならないのは、私たちの方です。実は以前、接客していただいたというのは嘘で、本当は尾藤さんから以前の職場に関するお話を伺うために来たのです」
私が用件を単刀直入に述べると、尾藤の目が険しいものに変わった。
「……どういうことです?」
私は名刺を出し「絶滅探偵社の物です」と言うと、尾藤は怪訝そうに首を傾げた。
「……たしかに、話を聞かせるという約束はしました。でもそれは明後日じゃないですか」
同僚には聞かれたくないのだろう。尾藤は急に声を潜めた。
「ええ。でも明後日では危険なのです」
「危険?」
「伊丹医師の背後にいる連中は、我々があなたにコンタクトを取ったことをすでに嗅ぎつけているはずです。予定通りこのままだと、今日か明日中にもあなたを拉致しかねません」
「伊丹医師の……」
私が核心に切り込んだ途端、尾藤の顔がさっと青ざめた。恐らく転職してから今日まで、前職の話を聞きに来た人間は皆無だったのだろう。
「突然で驚かれたでしょうが、敵を出し抜くにはこういったゲリラ的な方法を取らざるを得ないのです。……ここから南に二区画ほど行ったところに「ハイぺリオンホテル」という建物があります。そこのラウンジで待っているので、何とか都合をつけていらしてください」
かなり強引な話だと思いつつ、私は要求を口にした。
「……わかりました。片付けなきゃいけない仕事があるので、一時間後でいいですか」
私は背後を見た。金剛と大神が頷いたのを確かめると、私は尾藤に了解の意を伝えた。
「では一時間後に」
※
「伊丹医師がひそかに進めていた研究とは、何だったのですか?」
私は人目をはばかるように身をすくめ、落ち着きなく視線を動かしている尾藤に遠慮なく問いかけた。
「それは……あるたんぱく質の研究です」
「Pー77ですね」
私が言うと、尾藤はぎょっとしたように目を見開いた。
「なぜそれを……」
鮮魚店の時とは打って変わってカジュアルないで立ちの尾藤は、苦し気な表情になって頭を掻きむしった。
「そうです。そこまで知っているのなら、何も私を呼びだす必要はないでしょう」
「我々が知りたいのは伊丹医師がPー77を使って最終的に何をしようとしていたか、です。それを明らかにすることが、今回、失踪した浦野医師の居場所を特定することにもつながるのです」
「表向きには……脳外科手術を安全に行うために使用する物質……という研究でした」
「本当はそうではなかった、と」
私が切りこむと、尾藤は苦し気な表情のまま、こめかみに汗を滲ませて頷いた。
「私が伊丹医師の元で働いていたのは、二年前までです。その間、脳外傷の手術を手伝いながら、もう一つの仕事……蓬莱病院の地下にある「裏クリニック」でPー77に「完全適合」する人間を選別する作業に携わっていたのです」
「完全適合?……なんです、それは」
「Pー77がその人間の秘めた能力を目覚めさせ、人格を奪った後もその能力を自在に操れるようになる……そうした要素を持つ人間です」
「秘めた能力とは?」
「……詳しいことは知りませんが、俄かには信じられないような能力です。たとえば脚が速くなるとか、ジャンプを高く跳べるようになるとかそういった普通の能力ではなく……遠くにある物を燃やすとか、トラックを手を使わずに持ち上げるとか、そういう能力です」
「嘘……」
私は一瞬、金剛の方を見た。一週間前までの私であれば、超能力などはなから信じなかったに違いない。だが、実際にそれらしい能力を目の当たりにした今となっては、信じざるを得ない。
「つまり、Pー77は人の超能力を目覚めさせる物質だという事?」
「ごく、限られた人間だけです。「完全適合」できなかった人間はPー77に脳を乗っ取られ、最悪の場合、脳そのものを食い尽くされて死亡します」
私の脳裏に「須弥倉クリニック」のあったビルの地下で見た光景が蘇った。
「その、限られた人間を集めて伊丹医師は何をするつもりなのかしら」
「私も詳しくは知りません。ただ「完全適合」した人間は「裏クリニック」から別の場所に移され、何らかの訓練を受けているようでした」
「訓練?……何の?」
私がさらに問いを重ねると、ふいに尾藤の目を逡巡するような光がよぎった。
「これは……単なるうわさに過ぎないのですが「戦闘」とか「戦争」とかいう言葉を耳にしたような気がします。「完全適応」を果たし、Pー77に人格のすべてを乗っ取られた後は、それまでの古い存在から生まれ変わり、新たに超人的な存在「狂戦士」になるのだと」
「狂戦士……」
「すみません、それ以上のことはわかりません」
「適合した人材がどこで訓練を受けているかも、知らないんですね」
「はい。知っているのは恐らく伊丹先生か、小峰君だけでしょう。私はこれ以上、恐ろしいことに深入りする前にと、病院を去りましたから」
私は唸った。まさかPー77が超能力と繋がっていたとは。
「貴重なお話を、ありがとうございました。あなたの身柄はうちの調査員が責任を持って安全な場所まで誘導します。できれば今日中に敵に察知されない場所に避難してください」
「……はい、お願いします」
隠し続けた秘密を打ちあけてしまったからか、尾藤の表情は憔悴しきっていた。
「よし、それじゃあ、行くとするか」
金剛が勢いよく椅子から立ちあがると、大神が「あんまり目立つなよ」と窘めた。私たちは追っ手の気配がないことを確認し、尾藤を囲むような形でホテルのラウンジを出た。
〈第二十回に続く〉
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます