第20話 大胆な妖女


 ホテルの裏手を走る通りに出た直後、大神が「車を持ってくるから、あそこのバス停で待ってて」と最寄りの停車場を示した。私が頷くと、大神は駆け足で通りを渡り始めた。


 私たちがバス待ちの客を装ってたたずんでいると、ほどなくあちこち錆の浮いたワゴン車が、近くに停車した。近寄ると窓が開き、大神が顔を覗かせた。


「尾藤さん、乗ってください。我々が使っている「隠れ家」にご案内します。……コンゴはボスを事務所まで送っていってくれ。間違っても途中で「飛ぶ」んじゃないぞ」


「ふん、いったん飛びだしたらどこに行くかわからないのはお前も同じだろう、ワン公」


 ひとしきり軽口の応酬を交わした後、ワゴン車はボディを震わせながら走りだした。


「さて、我々はアジトに戻るとしましょう、ボス」


 大神と尾藤の乗った車を見送ると、金剛はすっきりした顔で言った。


 私は先を歩く金剛の、岩のような背中を見ながらどこか物足り無さを覚えていた。


 確かに重要な話をいくつか聞けたし、首尾としては上々なのかもしれない。しかしこれで今日の仕事が終わりというのは、何ともすっきりしない気分だった。


「ねえ、コンゴ」


 最寄り駅への道を、公園を突っ切るコースを選んで歩いていると、私の中でふいにある疑問が沸き起こった。


「なんです、ボス」


「前に私がピンチになった時、自分でもよくわからないうちに「飛んで」来てしまったって言ってたわよね。私がピンチになる予感みたいなものがあったの?」


 私が問いかけると、金剛はふと足を止めてゆっくりと振り向いた。


「なるほど、そりゃあもっともなご質問だ。……ですがあいにくと、こればかりは自分でも説明できないんですよ。火花が散るって言うんですか、とにかく全身のアンテナが「ボスのいる場所へ飛べ」って命令するんです」


「ふうん。……頼もしいけど、できればもう一、二分くらい早く着いてくれると嬉しいな」


 私は多少、気安くなりかけていることも手伝って、思わずわがままを口にした。


「どうですかねえ。身体に聞いてみないとわかりませんな」


 金剛は肩をすくめると、前を向いて歩き始めた。あと少しで駅前の目抜き通りに出る、というところで、また金剛が唐突に足を止めた。なんだろう、そう思って金剛の身体の横に回ると、前方から犬の散歩中らしい老婦人がやって来るのが見えた。


「コンゴ、まさかあの犬が怖いの?」


「……まさか、怖くなんかありゃしません。……知らんふりをしてすれ違いましょう」


 金剛が震える声で、私に囁いたその直後だった。まだ距離があるにもかかわらず、老婦人の連れていたモップみたいな小型犬がいきなり吠え始めた。


「わあっ」


 急に私の傍らから人の気配が消え、私はぎょっとして隣を見た。本来、金剛がいなければならない空間には何も存在せず、前に視線を向けると老婦人が目を大きく見開いたまま、蝋で塗り固められたようにその場に立ち尽くしていた。


――コンゴ。私を送っていくどころか自分が「飛ばされ」ちゃったのね……


私はがくりと両肩を落とすと、事務所に電話を入れた。


「もしもし、ヒッキ?絵梨です。コンゴが散歩中の犬に驚いて消えちゃったので、一人で帰ります」


 私は苦笑しながら通話を終えると、一人で公園を出て再び駅への道を歩き始めた。


 ――よく考えたら、就活の時だって一人で一日中歩き回ってたんだもの、たまたまトラブルで「お伴」が消えたからってびくびくすることないわ。子供じゃあるまいし。


 私は交差点で信号待ちをしている人波に紛れると、ぼんやりあたりを眺めた。すると一区画ほど離れた斜向かいの路上に、見知った人物の姿が見えた。

 

 ――テディ。


 私は思わず前の人の陰に身を隠した。荻原の隣に、すらりとした美しい女性の姿があったからだった。


 ――誰?


 私は訝りながら、二人がどちらの方向に歩いてゆくのかを見極めようとした。

 二人は向かい側の通りを進み、私の前を横切ると一区画先の建物の角を曲がって姿を消した。


 信号が変わると、私は思わず駆け出していた。駅への道は左だったが、私は迷わず反対の右を選んで進んだ。二人が曲がった角を数分遅れで曲がるとちょうど、二人が数軒先のカフェの入り口に入って行くところが見えた。


 私は困惑した。まさか後に続いて入るわけにもいかない。それに、荻原だって調査中なのだ。何かしら理由があって、話を聞く場所が必要なのかもしれない。


 どうしよう。私は無意識にその場で足踏みをした。本来ならそれぞれの調査員の活動には首を突っ込まないのが不文律だ。だが、このまま事務所に戻っても、もやもやを持て余すことは確実だった。


 諦めきれずにうろうろしていると、カフェの二階の窓に荻原たちの姿が見えた。

 どうやら窓際の席を選んだらしい。私は周囲の建物を見回した。そして、ちょうど車道を挟んで向かい側の建物にハンバーガ―・ショップがあることに気づいた。


 ――しめた、二階席がある。


 私は自分でも驚くほどの身のこなしで道路を渡ると、向かいの建物へと飛び込んだ。


 コーヒーとポテトを買い求め二階に移動すると、ちょうど向かいのカフェの二階席が少しだけ異なる位置に見えた。私は二人から微妙に外れた、それでいて様子がしっかりと捉えられる席に腰を据えると、カウンターに突っ伏すような姿勢を取った。


 ――なにやってんだろう、私。こんなことしたって何を話してるかわかるはずないのに。


 私は気のせいかリラックスした表情の荻原と、プロポーションの良い、エキゾチックな顔立ちの美女を交互に眺めた。一瞬、美女の顔に見覚えがあるかのような感覚が過ぎったが、思いだすことはできなかった。


 二人の間には和気あいあいとした空気が流れ、調査員と協力者という関係とも違うように思われた。やがて、女性がポーチから小さな物体を取りだした。私は思わず窓に顔を近づけた。物体は、なんとネックレスだった。女性の大人びたイメージとは裏腹に、ネックレスには小さなビーズの熊があしらわれていた。


 ――なんのつもりだろう。あんな可愛らしいアクセサリーなんか見せて。


 私が首をひねっていると、荻原が予想もしなかった行動を見せた。なんと、荻原は女性から手渡されたネックレスを、自分の首に着けて見せたのだった。


 ――嘘っ。あのデリカシーとは無縁のギャンブル野郎が?


 私は見てはいけないものを見てしまったように思い、目をそらした。目をそらす直前、一瞬、荻原の目がこちらを見たように思えた。そのままカウンターに突っ伏していると、ふいに隣から声が投げかけられた。


「どこか、具合でも悪いのですか?」


 ハスキーな声は性別も年齢もよくわからなかったが、私は相手を見ずに「大丈夫です」と応じた。


「そうそれはよかった。……これからもっといい気分になれますよ」


 えっ、と驚いて身を起こすと、隣で眼鏡をかけた色白の人物がこちらを見ていた。


「あなた、カッ……」

「お仲間から離れちゃだめでしょ、ボス」


 謎の人物――カッツェはそう言うと、私に向けて小瓶に入った霧状の液体を吹きつけた。


 みるみる意識が薄れるのを感じた私は、必死でその場を逃げだそうと試みた。


 だが、席から立ちあがりかけたところで、私の身体はなすすべもなく床の上へと崩れていった。


            〈第二十一回に続く〉

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