第24話 キャンディのゲーム


「遊ぶ?……遊ぶって?」


 私は腫れた瞼や、溶けだしたアイラインを見られるのもお構いなしに少女を見返した。


 小動物を思わせる丸顔に丸い瞳、表情だけなら小学生かと思うほど幼い感じの少女だ。


「何でもいいよ。お姉さんの好きな事で。どんな遊びが好き?」


 現実離れした提案を投げかけてくる少女に戸惑いつつ、同時に私の中である懸念が膨らみ始めた。


 ――そう言えば調査から外されたとはいえ、今、私は一人だ。


 私は改めて少女の全身を眺めた。カッツェにしては身長が足りない。いくらカッツェでも小柄になるのは無理だろう。敵に狙われたのではないかという疑いを払拭できぬまま、私は少女への返答を模索していた。


「そう言えばお姉さん、お名前は?」


「私?私は汐田絵梨。あなたは?」


「私は、うーん……とりあえず「キャンディ」って呼んでもらおうかな」


「キャンディ?」


 私は一瞬、面食らった。本名を知られるのが嫌なのか、とにかく怪しいことこの上ない。


「私ね、実は駅の近くで下を向いているお姉さんを見かけて、あんまり悲しそうだったから追いかけて来ちゃったの。だから、遊ぼうよ」


 私は唐突にあらわれた奇妙な少女をどう扱っていいかわからず、途方に暮れた。

 とりあえず敵の類ではなさそうだが、だからと言って警戒心を解くこともためらわれた。


「遊ぶって言っても、今、そんな気分じゃないのよね。……それより、あなた学校は?」


「学校かあ。どうでもいいじゃない、そんなこと。……それよりどうしてさっき、あんな暗い顔をしてたの?」


 私は会ったばかりの見知らぬ少女に何をどう説明したものか、当惑した。だが、気が付くと私は目の前の少女に思いのたけをぶちまけていた。


「お姉さんね、実は探偵だったの。でも、いろんなルールを無視しちゃって、家でおとなしくしてろって事務所を追いだされちゃったの」


「へえー。探偵だったんだ。カッコイイ!」


 キャンディと名乗る少女は目を丸く見開き、高く結った髪をゆらしながら飛び跳ねた。


 溜まっていた鬱憤を吐き出したことですっきりした半面、私は己の軽率さに改めて気付き、愕然とした。処分通り自宅に帰らず寄り道した挙句、会ったばかりの見知らぬ他人に守秘義務すれすれの話を打ち明けている。やっぱり私は、大事なところが抜けているのだ。


「なあ、何して遊ぶ?追いかけっこ?かくれんぼ?」


 私はふと、ここ数日のことを思い返した。追いかけっこもかくれんぼも、考えてみたら探偵の仕事と似ている。何か違う物の方がいいだろう。


「――ラーメン、食べに行きたいな」


 私は気づくと自分でも驚くような提案を口にしていた。


「ラーメン?いいね、さっき来た駅前の通りに「磯や」があったよ」


「本当?行ってみたいな」


 私は思わず声のトーンを上げていた。「磯や」は海鮮系の味が人気の店だ。


「じゃあ、行こう!レッツUターン!」


 キャンディはそう叫ぶとくるりと踵を返し、私の返答を待たずに歩き始めた。


 キャンディの後を追いながら私は、これはペナルティの上にさらにペナルティを重ねていることになるのだろうか、と思った。


「今日は家でおとなしくしてなきゃいけないのに、こんなことしてていいのかな」


「気にしない、気にしない。……わかりゃしないって」


 キャンディは私のためらいなど無視するかのようにどんどん先に進んでいった。


 やがて、交差点を挟んで一区画先の並びに「磯や」と文字の入った看板が見えた。


「あ、やってるやってる。……あの行列の長さだったらそんなに待たないで済みそうね」


 赤に変わった信号の手前で足を止めると、キャンディが興奮した口調で言った。


 のんびりとラーメン店の軒先に並ぶ人波を見ながら、私はここ数日の、ジェットコースターのような日々が遠ざかってゆくのを感じた。結局、私には危険と隣合わせの日常など向いていなかったのかもしない。そんなふうに思いかけた、その時だった。


 ――あの車……


 「磯や」の二軒先のレストランに入ってゆく黒塗りのセダンに、私の目は吸い寄せられていた。私は反射的に信号待ちをしている人の背中に身を隠した。車の中に、見知った顔を見た気がしたからだった。


「どうしたの、お姉さん?……もうすぐ信号、変わるよ」


 私の不審な行動に気づいたのか、キャンディが首を曲げて問いかけてきた。


「あの、レストランに入っていった車に……知ってる人が乗ってたの」


「ふうん。……あ、青になった。渡ろう」


 交差点を渡り終え、ラーメンを待つ列の後ろに連なると、ちょうど前の人の肩越しにレストランに入ろうとする男女の姿が見えた。……間違いない。


「ねえキャンディ。……これから大事な秘密を打ち明けるから、絶対ほかの人には漏らさないでね」


「うん、わかった。……何だか知らないけど、面白そう」


 私は一体、何をしようとしているのだろう――そう思いながら、私はキャンディに車に乗っていた二人が一緒にいてはいけない組み合わせであること、場合によっては職場に報告しなければならないことなどを、要点をぼかしつつ語った。


 車に乗っていた二人のうちの一人は、依頼者である浦野夫人だった。そしてもう一人は、なんと小峰医師だった。今回の事件を依頼した張本人と、少し前に私をモルモットにしようとした恐ろしい医師が、親し気に歩いている――放っておくことなどできそうにない。


「……ね、後をつけちゃおうか」


 突然、キャンディが振り向いて悪戯っぽく囁いた。冗談じゃない。私が勇み足を踏んだ結果、どれほど滅茶苦茶な目に遭ったか、この子にどうやって伝えたらいいのだろう。


「駄目よ。私は謹慎中の身だし、他の仲間たちの仕事をかき乱すようなことはできないわ」


 私が諭すと、キャンディは少し考え込む素振りを見せた後、口の両端を上げてみせた。


「じゃあ、こういうのはどうかしら。今から、私があなたのボスになる」


「えっ」


「お姉ちゃんは私の命令に従っただけ。何の責任もなし」


「ちょ、ちょっと。そんないい加減な……」


「私ちょっと「足」を取ってくるね。お姉ちゃんはこのまま行列に並んでて。じゃあ後で」


 キャンディはそう言うと列から飛び出し、いずこともなく走り去っていった。


 私は唖然としながらも、仕方なく言われた通りに行列に並び続けた。それにしても、いったい「足」とは何だろう。まさかあの年で車の運転をするとは考えにくい。


 ぼんやりしていると、店員が私のすぐ前の客を店内に誘導し始めた。まずいな、そう思った瞬間、ふいに横合いから声がした。


「はあい、お待たせ」


 声のした方に顔を向けると、キャンディが片手にヘルメットを携え、小ぶりのバイクに跨ってこちらを見ていた。


「さ、乗って。……ほら、ちょうど二人が出てきたでしょ」


 キャンディがそう言って背後を目で示した。視線の先に、食事を諦めたのか、二人がレストランから出てくるところが見えた。


「まさか……この原付で後をつけるつもり?」


「そんなオモチャじゃないって。……いいから、乗って」

 

 押しつけられるようにヘルメットを持たされ、仕方なく私は頭を押しこんだ。


「さあて、行きますよ」


 私はキャンディの後ろの、後部席かどうかも分からない部分に腰を据えた。エンジンがかかり、確かに原付とは思えない爆音があたりにこだました。


「原付、病みつき、保証付きってね」


 唐突に親父ギャグを飛ばし始めたキャンディに唖然としつつ、私は己の行く末を案じた。


 ――原付二人乗り、しかもドライバーは無免許だ。下手をすると探偵社の所長が道路交通法違反で現行犯逮捕、なんて洒落にならない事態にもなりかねない。


 私が黙っているとキャンディが「あ、車が出てきた」と言った。


「ねえ、本当に追いかけるの?」


「覚悟を決めなさいよ。……いい?これはボスからの命令よ」


 キャンディはそう言い放つと、走り出した黒いセダンの後を追ってアクセルをふかした。


             〈第二十五回に続く〉

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