第25話 次の危機に続く
キャンディの運転は、思っていた以上の「暴走」だった。
セダンが法定速度で走っている間は穏やかな走行だったが、いざ幹線道路に入るとなりふり構わぬ車線変更で私の度肝を抜いた。
小峰医師のセダンもまた、車線変更を繰り返しながら速度を緩めることなく走り続けた。私は振り落とされないよう小さな背中に必死でしがみつきながら、キャンディの提案に乗ってしまったことを後悔し始めていた。
――それにしても、どこまで行くのだろう。
私は余裕のない頭で思考を巡らせた。驚いたことに小峰医師のセダンはどこにも寄ることなく、一心に郊外を目指しているようだった。二十分も走ると徐々に住宅がまばらになり、交通量も減っていった。キャンディはセダンとの間にトラックなどを巧みに挟み、振り切られることなくテールを追い続けていた。
道幅が狭くなり、勾配がきつくなり始めると、私の鼓動も早くなっていった。
……いったい、浦野さんをどこへ連れていくつもりなの?
周囲の緑が濃くなり、私の不安がピークに達した時、セダンが突然、速度を落とし始めた。思いがけない展開に私は不安がさらに膨らむのを感じた。
――嘘。だってこのあたり、雑木林以外、何もないみたいなのに。
私の不安をよそに、セダンはどんどん速度を緩めていった。すると右前方に何かの入り口らしい空間が見え始めた。さらに接近すると、右手に入ってゆく道とそれを塞いでいるバリケードが見えた。小峰医師はセダンを右に寄せると、バリケードの手前で停めた。
キャンディは向かいの道路わきに放置されていた軽トラックの陰に入ると、小峰たちからは見えないようにそっとバイクを停めた。
「ふうん、こんなところがゴールだったんだ」
キャンディはバイクを降りてトラックの陰にしゃがみこむと、ヘルメットを脱いだ。
「あ、降りるみたい」
キャンディに倣ってトラックの窓越しに反対側をうかがっていると、セダンから小峰医師と浦野夫人が降車するのが見えた。
「どうもここ、潰れたゴルフ場の跡みたい。見て、看板がある」
キャンディに目で示された方向を見ると、たしかに木製の立て看板らしきものがあった。
看板には「
「ねえ、入って行くと思う?」
ふいにキャンディが耳元で囁いた。バリケードのロープには、何か文言の書かれた札が下がっており、侵入を禁ずる内容であることは間違いなさそうだった。
「入るとしたら、何のために?」
「ゴルフ場じゃないなにかが、奥にあるとかさ」
「ゴルフ場じゃない何か……」
ふと脳裏に「訓練施設」という単語がよぎった。もし伊丹医師だか蓬莱翁だかが経営不振のゴルフ場を買い取り、そこに「狂戦士」の訓練施設を秘かに作っていたとしたら。
「私、事務所に電話する。ここから先は本職に任せた方がいいわ」
私は厳しい顔を作ってキャンディに言った。自分とて本職だが、探偵失格を言い渡された身としては、これ以上の「真似事」は許されない。
「あっ、ロープ跨いだ。……ね、後を追いかけなきゃ」
キャンディに袖を引かれ、私は閉口した。無邪気さにも限度というものがある。ロープの向こう側に侵入したとして、もし何かあったら当然、年長者である私の責任になるのだ。
「駄目よ。とにかく電話して……」
携帯を取り出し、事務所を呼び出した瞬間、私の隣で空気が動いた。キャンディが突然、トラックの陰から飛び出し、道路を横断し始めたのだった。
「ちょっと、戻りなさいっ」
私はやむなく電話をあきらめ、駆け出した。小峰医師たちはすでに木立の奥に消えており、キャンディが二人を追ってバリケードを超えるであろうことは容易に想像がついた。
――どうしよう。まさかここまでする子だなんて。
私が道路を渡り切った時には、キャンディはもうロープを潜り終えていた。戻れと叫んだところで戻る子とも思えない。私は躊躇した挙句、ロープを乗り越えることを決意した。
――もう駄目だ。不法侵入の最中に誰かに見咎められでもしたら、一発でアウトだ。
私は目の前が暗くなるのを覚えながら、脚を進めていった。舗装されているとばかり思っていた小道は手入れがなされていないせいか、少し行くと丈の長い植物に覆い隠され、獣道同然になっていた。
キャンディはこの中を追いかけていったのか。通せんぼをするように前を塞いでいる植物を掻き分けて進んで行くと突然、周囲が明るくなって開けた場所に出た。
――なんだここは?
そこはちょっとした児童公園くらいの広場で、すぐ鼻の先にキャンディが背中を見せて立っていた。歩み寄ると、キャンディはさして驚く風もなく私の方を振り返った。
「ねえ、もうやめようよキャンディ」
私が声をかけてもキャンディは反応せず、遠くを見るような眼差しのまま口を開いた。
「……お姉さん、逃げて。やばいのが来る」
「え?」
私が言葉の意味を今一度、聞き直そうとした、その時だった。広場を囲んでいる木立の一角から、一台の軽トラックが飛びだしてきた。トラックには前輪が片方しかなく、私たちの手前で大きくカーブを切ると、そのまま横転した。
「……どうしよう!助けなきゃ」
私がトラックに駆け寄ろうとしたその時、上を向いた助手席のドアが開いて子供くらいの生き物が飛びだしてきた。
「え、嘘っ」
生き物は地面に降り立つと一、二度身体を震わせ、こちらを見た。
「あの時の……ワンちゃん」
トラックの傍で私を見つめているのは黒い犬だった。間違いない、「裏クリニック」で私を助けてくれた犬だ。黒い犬は一言「クウン」と鳴くと、私に駆け寄ってきた。
「どうしてあなた、こんなところにいるの?ここはどこ?」
私が飛びついてきた犬の頭を撫でていると、開いた助手席のドアからもう一つ、大きな影が姿を現した。
「畜生、トラックを玩具扱いかよ、あの化け物め」
私は思わず目を瞠った。作業着に身を包んではいたが、現れたのは紛れもなく金剛だった。黒いワンちゃんに、金剛……どういうこと?
金剛は私が近くにいる事にまだ気が付いていないらしく、トラックから這い出てくると顔をしかめ、右足を庇うようにして立ちあがった。どうやら足を痛めているらしい。思わず駆け寄ろうとした私の目に次の瞬間、信じがたい光景が飛び込んできた。
トラックの後方の茂みががさがさと音を立てて揺れ、めきめきと木の折れる音がこだました。なおも音のした方を見続けていると、丈の高い立木が二本、左右に分かれてその間から家ほどもある人間が姿を現した。
「来やがったな、ゴレム……」
金剛の憎々し気な呟きが、風に乗って私の耳に届いてきた。
――ゴレム……あれが?
私が見上げた途端、四メートルほどもある上半身裸の怪物は、天を仰いで雄叫びを上げた。黒い犬が私の足元で震え、金剛が足を引きずりながら二、三歩後ずさるのが見えた。
〈第二十六回に続く〉
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます