第12話 幼馴染期の終わり


「絶滅探偵社……とおっしゃるんですか」


 浅葱色のブレザーを着たその女性は、勤務先のIDカードをぶら下げたまま、私が手渡した名刺を覗きこんだ。


「ええ。私は所長の汐田といいます。隣が調査員の荻原です」 


 私が紹介すると荻原は「よろしくお願いします」と頭を下げた。今日の荻原は正直、目を疑うほどの「変身」ぶりで、私も正直、どう調子を合わせていいか戸惑っていた。


 なにしろぼさぼさの髪をオールバックに、無精髭を綺麗に剃り、タイトなスーツで身を固めているのだから、普段の彼を知っている身からすると「どうしたの?」と思わざるを得ない変貌ぶりだ。


「あの……失礼かもしれませんが、あまり縁起のよい会社名ではありませんね」


 彼女――久谷一美くたにひとみの感想はあまりにもっともで、私は笑いを噛み殺すのに苦労した。


「いやいや、そうでもありません。この社名は前所長の命名に拠る物で、この世の悪を倒し、不遇な立場に身を置いている方々を救う、そう言った意味があるのです」


 荻原が滔々と語る由来は、私にとっても初耳のエピソードだった。が、荻原の今日の化けっぷりを考えるとどこまでが本当なのか疑わざるを得ない。


「久谷さんは、行方不明になっている浦野さんの幼馴染という事ですが、小さいころの浦野さんについて伺ってもよろしいですか」



「はい。私と浦野君とは学童保育の施設で知り会ったんですが、浦野君はすごく頭が良くて、私に算数の解き方をを教えてくれるほどでした。中学を卒業する直前、彼が私に「今度、お医者さんの養子になるんだ」と打ち明けてくれたことをよく覚えています。その時の彼はどこか誇らし気で、そのくせ何とも言えない寂し気な様子でした」


 一美の語る浦野は内気で優しい、それでいてプライドの高い少年のように思われた。


「浦野君が念願のお医者さんになってからは、お互いに社会人ということもあって会う機会が減ったのですが、二年ほど前にSNS上で再会してからは、また連絡を取り合うようになりました。でもその会っていなかった時期に浦野君はいろいろあったみたいで、SNS上で聞かせてくれたエピソードにはショッキングなものもありました」


「ショッキング、というと?」


「一番驚いたのは、彼が交通事故を起こしていたということです」


 二番目は……結婚していたことかな、と一美は続けた。私は彼女なら、事故前の浦野と事故後の浦野の違いに気づけるのではないか、とほのかな期待を抱いた。


「浦野さんは事故のことをどんな風に言っておられましたか」


 横合いから荻原が問いを挟んできた。私と同様、重要な点だと思っているのだろう。


「浦野君の話によれば高速道路を走行中に突然、意識が朦朧となったらしいです」


 「運転中に……浦野さんは何か、持病のようなものがあったのでしょうか」


 私の問いに、一美は即座に首を振った。


「いえ、私が知る限りそんな持病はなかったと思います。事故後も精密検査を受けたようですが、何も異常は見つからなかったそうです」


 ううん、と私は唸った。どこがどうとは言えないが、怪しい臭いのする話だった。


「かなり大きな事故だったのですか」


「そうみたいです。何時間にも及ぶ手術をしたそうです。あと、これは私の思い過ごしかもしれないんですが……SNSの文面を見て、昔の浦野君と感じが少し変わったかなと思ったんです。……結婚で生活も変わっただろうし、事故とは無関係かもしれませんけど」


「奥さまとは面識はないんですよね」


「はい。奥さんとは最初の職場で知り合ったといっていました。同じ病院の技師だったそうです。事故の後、浦野君は小さな病院に職場を移したらしいんですけど、その時に奥さんも仕事を辞めて家庭に入ることにしたそうです」


「なるほど。……では他に浦野さんが呟かれていたことで、気になった事はありますか」


「気になった、というか……再会して、しばらく経った頃でしょうか、彼が奥さんから自分の寝言を指摘されて、それが覚えのない言葉なので不思議だと言っていました」


「憶えのない言葉……」


「なんでも「乗っ取られる」と言っていたそうです。何に乗っ取られるのかと奥さんに聞かれ、「自分でもわからない」と答えたそうです。」


「乗っ取られる、ですか。……どうもありがとうございました。また何か、思いだしたことがありましたら、ご連絡いただけますか」


 私は一美に連絡先を手渡すと、丁重に礼を述べた。


「こちらこそ、あまりお力になれなくて、残念です。……あ、そうだ、もう一つだけ、思い出しました」


「なんです?」


「さっきの寝言の話の後、こんな話を続けてしたんです。「今、大学時代の友達がいる病院に通ってるんだけど、最終的には「裏クリニック」に頼ることになるかもしれない」って」


「裏クリニック……本当ですか?」


「はい、確か……私が冗談半分に「裏クリニック」なんて一体どこにあるの?と聞いたら「そりゃあ「裏」クリニックだもん、裏口から入るのさ」って笑いながら答えてました」


「その「裏口」がどんな場所かまではうかがっていないんですね」


 私は思わず身を乗り出していた。探偵として少々、軽率だとは思ったがいたしかたない。


「はい。それが浦野君との最後の会話になりました」


 私は思わず首をかしげた。浦野の妻が捜査の依頼をしに来た時、ここまで詳細な話はしていなかった。一美が語った内容は妻なら当然、真っ先に口にすることのように思われた。


「貴重なお話、ありがとうございました。我々はこれで失礼いたします」


                ※


「どう思う?今の話」


 最寄り駅へと向かう道すがら、私は荻原に尋ねた。


「怪しい臭いがぷんぷんだね。もう今の話だけでうちの力量を超えた調査だってことがわかるくらいだ」


「やっぱりそう思うか。……でもやれるところまではやらなきゃね。協力してね、テディ」


 私は珍しくしおらしい言葉を口にした。深く入りこめば入り込むほど、二十歳を少し過ぎたばかりの女の子がどうこうできる事件じゃないことがいやでも身に染みてくるのだ。


「ねえ、テディ」


「……何です?ボス」


「どうして「テディ」って呼ばれてるのか、まだ聞いてなかったんだけど、教えてくれる?」


 私が聞くと、荻原は鼻から息を吐き「そんな事か」という顔をした。


「俺は探偵になる前は、大統領をやっていたんですよ。そん時のあだ名です」


「大統領ですって?……上司相手に悪質な冗談はやめてくれない?」


「お嬢さん、セオドア・ルーズベルトを知らないんですか」


 逆に問い返され、私は返答に窮した。ルーズベルトくらいは知っている。アメリカの大統領だ。それ以上のことは知らない。


「小さい頃、オランダで暮らしてましてね。近所の小母さんから「セオドア」って呼ばれていたんです。ルーズベルトは愛称が「テディ」って言って例の「テディ・ベア」の名前の由来にもなった。……で、日本に帰ってから誰かが「テディ」って呼びだしたわけです」


「ふうん……そんな可愛らしいあだ名で呼ばれてた子が、どうしてギャンブル狂いのサボり魔になったのかしら。不思議だわ」


 私が嫌味を口にすると、それまで一歩遅れて歩いていた荻原が突然、歩を止めた。


「お嬢さん。人には皆、事情や歴史ってもんがあります。上っ面だけ見て、人格を評価するのはやめた方がいい」


「じゃあ、どうして事務所に出てこないの。上司として部下の行動を把握できてないってことが、どれだけ不安かわかる?」


 私がなりふり構わず噛みつくと、荻原はなぜか表情を緩めた。


「そいつは申し訳ない。……だが俺だって事務所に顔を出していない間、単にさぼっているわけじゃない。俺には俺流の動き方ってもんがあるし、皆もそれで納得してる。確かにご精勤たあ言えないが、こう見えても調査で手を抜いたことは一度だってありゃしません」


 荻原は私の顔を正面から見据えると、凄みをきかせた声で言った。


「……わかったわ。でも私は新米だし、甘える気はないけど叔父さんの真似はできない」


「なるほど。……で、どうすりゃいいんです?毎日定時に来て、タイムカードを押せば安心するんですか?」


 私は少し考え、頭を振った。部下の資質を尊重できないようでは上司とはいえない。


「出退勤の時間はこれまで通り、やり易い形でやってもらって構いません。その代わり……」


「その代わり?」


 私は訝る荻原の前に拳をつき出すと、小指を立てて見せた。


「重要なことを知り得たら、必ず行動する前に私に報告して。くれぐれもスタンドプレイはしない……どう?約束できる?」


 荻原はしばし私の小指を見つめ、きょとんとしていたがやがて、ぷっと噴き出した。


「こいつはいいや、探偵社のボスが指切りかい。……いいぜ、約束しやしょう、ボス」


 荻原はそう言うと、自分の小指を私のそれと絡めた。


「ゆーびきーりげーんまーん、うーそつーいたーらはーりせーんーぼんのーます!」


 私が唱えている間中、荻原はそっぽを向いて顔をしかめていた。まあいい。これで上等だ。


「……ところで約束した矢先に何ですが、ちょっと調べたいことがあるんで、ここで別行動ってことにしていいですか、ボス」


 いきなり言われ、私は面食らいながらも頷いた。


「ええ、いいわ。でも今約束したとおり、何かわかったら必ず報告するのよ、いい?」


 私が念を押すと荻原は「はあい」と気のない返事をして、くるりと背を向けた。


 私はなんとなく取り残された気分になりながら、再び駅への道を急ぎ始めた。


 私の足が再び止まったのは、駅の入り口が見え始めた時だった。交差点の反対側にたたずんでいる人影に突然、目が吸い寄せられたのだった。


「あの人……」


 人影は、眼鏡をかけた年配の女性だった。ほんの一、二度しか会ったことはないが、私はその人物に確かに見覚えがあった。


 ――どうしよう。こんなチャンス、二度とないわ。


 信号が変わり、女性が交差点を渡り始めた。駅へ行くのとは逆の方向だ。私は気が付くと身体の向きを変え、女性が車道を渡り切るのを視線をそらして待ち構えていた。


 ――尾行なんて、やったことない。……でも探偵だもの、きっとできるはず。


 今しがた、荻原にスタンドプレイを控えるよう、釘を刺したばかりなのに、いったい私は何をやっているのだろう。こんなことではみんなに示しがつかないではないか。


 心のどこかで自分の行為を恥じつつ、私は既に女性の後をつけることを決意していた。


 ――だってあの人……私が「須弥倉クリニック」を受けた時、事務をしてた人だもの!


              〈第十三回に続く〉

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