第39話 石さんと武器男爵


 エレベーターが到着した先は、無人のクラブハウスだった。


 すでに陽が落ちており、私たちは人気のないロビーを横切って外に出た。


「この先の放置されたコースを横切って南に行くと、幹線道路に戻れるはずだ」


 荻原があたりを見回しながら言った。


「石さんは……どこにいるのかしら」


 私が誰に言うでもなく、問いを放った時だった。私たちの身体をヘッドライトの光が薙いだ。振り向くと、一台のゴルフカートが滑るように近づいてくるのが見えた。


「……石さん!」


「やあ、無事でしたか。……そのなりだと、どうやら無傷ってわけでもなさそうですな」


「石さん、そのカートは?」


「近くで拾いました。これでヒッキを探しに行こうと思ってたんですが……」


「まだ見つからないの?」


「この敷地のどこかにいるのは間違いないんですが、何せこの暗さですし、最悪の場合も考えておかないと」


 私は金剛の言葉を思い出した。完璧な暗闇の中に一定時間放置されると、彼女は仮死状態になってしまうのだという。


「探しましょう、すぐに」


 私たちは虫のすだく声を聞きながら、芝生の上を連れ立って歩き出した。


 石亀を先頭に広いファエアウェイを進んでゆくと、突然、前方から強い光が私たちを照らし出した。


「なんだっ?」


 私たちは足を止め、光の出所をみやった。どうやら十メートルほど先のラフに投光器が据えられ、その前に何者かが仁王立ちになっているようだった。


「あっはっはつ。ぼろぼろだねえ、探偵さん達」


 ライトを背にした男も女ともつかないシルエットには、見覚えがあった。


「カッツェ!」


「相当愉快な冒険をしてきたようだねえ。でもここまでさ。あれを見るがいい!」


 カッツェはそう言うと指で背後を示して見せた。投光器の後ろに立ち木があり、その太い枝に人間が吊り下げられていた。


「……ヒッキ!」


 頭部に鳥籠のような仮面を被せられてはいるものの、吊り下げられているのは紛れもなく古森だった。


「あんたたちを探してたら、ちょうどおあつらえ向きにふらふらしてたんで、捕まえさせてもらったのさ」


 私は歯噛みしながらカッツェを睨んだ。これではうかつに近づくことができない。


「私ねえ、今日はたまたまナイフしか持ち合わせていないんだよ。ナイフ投げは得意な方じゃないんだけどね」


 そう言うとカッツェは左手の指に二本のナイフを挟み、右手で持った一本を古森の方につきつけた。


「――やめて!」


 私が叫ぶと、カッツェは薄笑いを浮かべ、私の方に刃先を向けた。


「……じゃあ、あんたが的になるかい?」


 ――駄目だ、何もできない!


 私が絶望に打ちひしがれた、その時だった。


 足元で地鳴りのような不気味な音がし始めたかと思うと、いきなり木の周囲の地面が隆起し始めた。


「……うっ?何だっ」


 見ていると木の周囲の土が放射状に掘り起こされ、大量の土くれと共に木が根元から抜け始めた。やがて木は完全に宙に浮き、数メートルほど上昇したところで制止した。


「……くそっ」


 カッツェはナイフを持った手を振り被ると、頭上に浮かんでいる古森に狙いを定めた。


「やめてっ」


 私は思わず自分のローファーを脱ぐと、カッツェの顔面めがけて投げつけた。


「ぐえっ」


 ローファーはカッツェの顔面に見事にヒットし、体勢を崩したカッツェはそのまま、木の根が抜けた後の穴に倒れこんで見えなくなった。


「……石さん、ゆっくり下ろしてくれ」


 背後で金剛の声がした。……ということはあの木は石亀が念動力で浮かせているのか。


 呆然と見つめていると、金剛が私の横をすり抜けて木の方に近づいてゆくのが見えた。


 金剛が木の真下に辿りついた、その時だった。めきめきという不吉な音がして、古森を支えていた枝が折れ始めた。


「まずい!」


 金剛が両手を広げた瞬間、枝がぼきりと折れ、古森の身体が落下した。

木が轟音と共に地面に激突したのは、金剛が古森の身体を抱きとめた直後だった。


 背後で石亀が息を吐く気配があり、不安げな表情の金剛がこちらを向くのが見えた。


「石さん、こいつを外してくれないか」


 金剛が古森の頭部を覆っている仮面を目で示しながら言った。石亀は疲れているのか、よたよたした足取りで二人の元に近づくと、仮面についている金属の錠をあらためた。


「……ふん、どうってことないな。よくある南京錠だ」


 石亀はこともなげに言うと、針金のような物を取りだして錠に差し込んだ。解錠を始めて数秒ほどすると、カチリという音がして仮面が二つに割れた。


 仮面の下から現れた古森の顔は色こそ白かったが、眠っているような穏やかさだった。


「……ヒッキ!」


 私たちが駆け寄り、声をかけると古森がうっすらと目を見開いた。


「……ここは?」


「まだ施設の敷地の中だ、ヒッキ。立てるか?」


 石亀が言うと、古森は弱々しく頷いた。全員が古森の周囲に集まると、荻原がカッツェの落ちた穴を目で示しながら口を開いた。


「さあ、次の敵が現れないうちに、ずらかりましょう」


 私は頷き、古森に手を貸しながら立ちあがった。荻原がフェアウェイ全体を見回し、外に出る方角を確かめようとした、その時だった。闇の中から、太い男性の声がした。


「随分と乱れた格好だな、テディ。男前が台無しだ」


 荻原が声のした方に一歩進み出ると、それに合わせて闇から溶け出すように一人の男性が姿を現した。


「……アーサーの旦那か。性懲りもなく俺たちの進路を妨害しに現れたってわけか」


「手負いの獲物を狩るのは心苦しいが、この前の借りを返さなければならないのでね」


 アーサーはそう言うと、軍服を思わせる上着を脱ぎ棄てた。右腕の肘から先には汎用機関銃が取りつけられ、ベルト状の弾帯が地面にまで伸びていた。


「こいつはまた、たいそうなものをくくりつけてきたな、旦那。丸腰の人間を狩るにしちゃあ、ちょいとばかし趣味が悪すぎないかい」


「ふん、お前さんくらい小賢しい奴には、このくらいでちょうどいいのさ。……いくぞ!」


「テディ、気をつけて!」


 私が叫ぶのとほぼ同時に、荻原の姿が動いた。一呼吸置いて、アーサーが機関銃を乱射する音がこだました。


 ――こんな物で狙われたら、どうしたって逃げきれないわ。


 私が荻原の身を案じていると、突然、芝生の一部が明るくなり、炎のような揺らめきが出現した。するとそれに合わせてアーサーの連射の音が響き渡った。


 連射が一通り収まると、今度はまた別の場所に炎が現れた。炎が現れるたびにアーサーは身体の向きを変え、銃を連射した。炎と銃が追いかけっこを始め、いつしかアーサーの周囲に炎の輪が出現していた。


「……いったい何の真似だ、坊や」


「熱源にばかり頼ってると標的を見失うぜ、貴族の旦那」


 闇の中に荻原の声がこだましたかと思うと、次の瞬間、アーサーの「ぐっ」と言うくぐもった呻き声が聞こえた。やがて、闇に目が慣れ始めた私たちの前に、アーサーを羽交い絞めにしている荻原の姿が浮かび上がった。


「きさま……いつの間に」


「こんなごつい玩具を腕に着けてたら、狙いが鈍るに決まってるだろう。武器のチョイスがなってねえな」


 そう言うと荻原は噛んでいたガムを口から吐き出し、機関銃の給弾口に押し込んだ。


「今回のガムはちょっとばかし硬化時間が短いんだ。試しに撃ってみな。腕が吹き飛ぶぜ」


「ほざけっ」


 荻原が言い終わらないうちに、アーサーが身を翻した。同時に荻原の身体を紙一重で何かが掠め、サスペンダーが切断された。


「おいおい、ズボンが落ちたらどうすんだよ」


 荻原がシャツの裂けた部分を手で覆いながら言った。


「今度はやられんぞ、テディ」


 アーサーはそう言い放つと、左腕の先から伸びたサーベルで荻原の胸を示した。


「そうかい。今度は闘牛の牛になったってわけか。いいぜ、来な。貴族対マエストロのおつな見世物と洒落こもうじゃないか」


 荻原はそう言うとポケットから競馬新聞を取りだし、身体の前で広げて見せた。


「ふっ、貴様らしいな。そのみすぼらしい紙屑で、私の突きをかわそうというのか」


 アーサーは言うが早いか、サーベルを構えると荻原に向かって突進した。


 新聞紙の破れる音が聞こえ、アーサーの身体と荻原のそれとが交錯した。


「ぬっ……これは」


 アーサーが呻いた。サーベルの刃に千切れた新聞紙が張り付き、模様を作っていた。


「自慢の刃物の切れ味を鈍らせて申し訳ない。その新聞紙には金属と親和性の高い接着剤を染み込ませてあるんだ」


「……ちっ」


 アーサーはひるむことなく刃先を繰りだし、そのたびに破れた新聞紙がサーベルの表面を覆っていった。


「あきらめな、そんななまくらじゃあ、豆腐も切れないぜ」


「……なら、これはどうだっ」


 アーサーが吠えると、サーベルの刃が高速で回転を始めた。


「これなら切れ味は関係ないだろう、坊や」


 アーサーはドリルのように唸りを上げるサーベルを荻原に向け、二度、三度と矢継ぎ早に繰りだした。


「……くっ」


 紙一重でかわし続けているとはいえ、荻原のシャツもまたぼろぼろになり、胸が大きくはだけていた。荻原は後ずさりを余儀なくされ、気が付くとカッツェを落とした穴の手前まで追い詰められていた。


「さて、どうする?穴に落ちるか、自分の身体に穴を開けるか」


 アーサーは頬に残忍な笑みを浮かべると、回転する刃のついた腕を振り上げた。


「……どっちもごめんだぜ、貴族の旦那」


 荻原はアーサーの突きが繰りだされたタイミングでシャツを脱ぐと、袖を握って勢いをつけ、アーサーのサーベルに巻きつけた。新聞紙の接着剤とシャツが絡み合い、サーベルは瞬時にして巨大な綿棒のようになった。


「……くそっ」


 アーサーの顔が屈辱と憤怒で赤く染まるのを見て、私は荻原の勝利を確信した。よし逆襲だ、テディ。そう口にしかけた時、隣で誰かがすっと立ち上がる気配があった。


「……ヒッキ?」


 意識を失っていたはずの古森が、いつの間にか立って二人の戦いに見入っていた。


「アーサー、こっちを見なさい!」


 突然、古森が叫び、二人の動きが止まった。アーサーが肩越しに振り返ってこちらを見た瞬間、古森がおもむろに自分の眼鏡を外した。


「あ……」


 アーサーの視線と古森のそれとが空中でぶつかった瞬間、アーサーの動きが止まった。


「なに?あれは」


 いったい何が起こっているのかわからず、私は誰にともなく問いを放った。


「あれがヒッキの「二つの邪眼じゃがん」の一つ、「メデューサの目」です」


「メデューサの目?」


「ヒッキはもう一つの人格「アンジェ」になった時、銀色に光る「メデューサの目」と金色に輝く「サラマンダーの目」を持つのです。「メデューサの目」は見るものの中枢神経を麻痺させて運動能力を奪い、「サラマンダーの目」はあらゆるものを燃え上がらせるのです」


 私は探偵社の屋上で、古森が見せた能力を思い出した。もう一つの力が今、アーサーに向けて使われているというわけだ。


「この力は下手をすると呼吸中枢を麻痺させ、相手を死に至らしめる危険もあります。だから彼女はむやみに眼鏡を外さないのです」


 そうだったのか……私が呆然と固まっているアーサーを見つめていると、ふいに古森が「石さん、アーサーの身体を持ち上げて」と言った。石亀が一瞬、戸惑ったような様子を見せ、首を傾げたかと思うと次の瞬間、アーサーの身体がふわりと空中に浮きあがった。


「テディ、仕事中だけど、今日に限ってゲームを許可するわ。この「景品」を穴に落として頂戴」


 古森からの思わぬ「指令」に、荻原は一瞬、怪訝そうな顔をした後、笑い出した。


「オーケー、ヒッキ。やってみるぜ。……石さん、まずはこいつを水平に移動だ。俺が三つ数えたら、止めてくれ」


 荻原が叫ぶと、アーサーの身体が水平にすっと動いた。


「一……二……よし、そこでストップ。次は奥に二つだ」


 荻原がそう告げると、今度はアーサーの身体が奥へと動いた。


「ようしストップ。ちょうど穴の上だ。下に落としてくれ」


 荻原がそう言い放つと、アーサーの身体は吊り下げていた糸を切られたかのように、穴の中へと落下した。


「ようし、今日の戦果は殺し屋と貴族の人形だ」


 荻原は満足げに言うと、戦いを追えたぼろぼろの姿で私たちの方に戻ってきた。


            〈第四十回に続く〉

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