第40話 あのオジサンが花柄を
「全員そろったわね。急ぎましょう」
私たちはトリニティの二人をその場に残し、再び歩き出した。フェアウェイを抜けて木立の中の遊歩道に入ると、再び周囲が暗くなった。
先頭を行く石亀が突然、足を止めたのは、ちょうど暗闇に目が慣れ始めた頃だった。
「……何か来ます」
「何か?」
私はふと、いやな予感を覚えた。カッツェ、アーサーと私たちの前に立ちはだかったトリニティは二人だ。となると……
そこまで考えた時、ふいに前方の梢が、がさりと大きく揺れるのが見えた。
「石さん、あいつだわ。ゴ……」
私が最後まで言い終わらないうちに、右手の歩道脇に植えられていた木が数本、めきめきとへし折られ、後方から見覚えのある巨人が姿を現した。
「――ゴレム!」
私が叫ぶと、一同に緊張が走った。
「ボス、俺が行きます」
最初に口火を切ったのは、金剛だった。……が、前に進み出ようとする金剛を押しとどめる者がいた。大神だった。
「待てコンゴ。お前、さっき「分身」を使って戦ったばかりだろう。あのデカブツ相手に分身能力で戦ったら五分と持たないぞ」
「まあ確かにあれはひどく疲れるがな。仕方ないだろう」
「僕が行く。犬じゃ勝ち目はないかもしれないが、狼だったらそこそこ戦える」
「三分以内に片を付けられる自信があるのか?」
金剛が牽制すると、大神は黙り込んだ。すると石亀が振り返り「俺が行く」と言った。
「石さんが?でも見た感じ、念動力はもうほとんど使い切って……まさか」
言い澱む大神の目を見返し、石亀はふっと笑った。
「まさか「裏の能力」を使うんですか、石さん」
「こんな状況だ。否も応もあるまい」
「……でも、ボスが見てますよ。いいんですか」
大神の意味不明の言葉に石亀は「仕方ないさ。いずれは知るんだ」と険しい目で返した。
「ねえ、「裏の能力」って何?」
「表の能力はボスも知っての通り念動力ですが、石さんにはもう一つの秘めた力
――本当の能力があるのです」
「本当の能力?」
やきもきした私が石亀に直接、問いを投げかけようとした、その時だった。
石亀が両脚を大きく開いて地面を踏みしめ、腰を落として唸り始めた。
「ぬううううっ」
こめかみに血管が浮き、石亀は歯を食いしばると両手の拳を強く握り締めた。
やがてベルトのバックルが突然、音を立ててはじけ飛んだかと思うとズボンが下にずり落ちた。
石亀のずり落ちたズボンの下から現れたものを見て、私は思わず息を呑んだ。
ズボンの下から現れたものは、フリルのついたスカートとエプロンだった。
「ぐおおおおっ」
石亀がたまりかねたように上着を脱ぎ棄てると、その下から愛くるしいエプロンドレスが現れた。
「ぺリポレピレパレ ポピピンパッ!」
石亀は一声吠えると、どこからともなく花の意匠が施されたステッキを取りだした。
石亀はステッキを一振りすると、その場でターンを決めてから勢いよくジャンプした。
着地した石亀の全身がみるみるうちに柔らかなシルエットへと変化し、最後に顔面の皮膚がつるんと伸びて少女のそれへと変化した。
「お待たせっ!夢と癒しの無敵少女、キャンディ登場よ!」
私たちの前に現れたのは、元が石亀とは到底信じられない少女――キャンディだった。
「……可逆性変態人格!」
隣にいた裸の大神が、ふいに立ちあがって言った。
「変態人格?」
「石さんのもう一つの力……細胞を変化させて別の人間になる能力です。日常では奇異な目で見られる力ですが、探偵にとっては最強とも言える能力です」
「……まさか石さんがキャンディだったなんて」
私が絶句しているとキャンディがおもむろに振り向き、ウィンクをしてみせた。
「随分長い間、出番がなかったけど、ここからは暴れちゃうわよ。覚悟はいい?」
キャンディはポケットから、以前にも使用した葦笛を取りだすと口に当てがった。
「があっ!」
ゴレムはキャンディの意図を察したのか、威嚇するように大きく吠えた。
キャンディはゴレムの牽制にも動じることなく、聞き覚えのあるメロディを奏で始めた。
「……これって前にゴレムをおとなしくさせた曲よね。今度もうまく行くかしら」
私が尋ねると、金剛は「さあ、ここはキャンディに任せるしかありません」と返した。
曲が木立の間に流れ始めると、ゴレムの動きが一瞬、緩慢になった。私は一瞬、成功かと胸を躍らせた。……が、次の瞬間目の前で繰り広げられたのは、私の期待とは裏腹の出来事だった。ゴレムがひと声吠えると、キャンディに向けて大きく足を踏みだしたのだ。
「……キャンディ!」
葦笛が功を奏さないとみるや、キャンディは素早く吹くのを止め、後方に飛び退った。
「おおおん!」
ゴレムはキャンディを仕留めそこなった悔しさからか、天を仰いで咆哮した。
「ボス、あれを見てください!」
金剛が突然、叫んでゴレムの方を指さした。視線を向けるとゴレムの両耳に栓のようなものが埋まっているのが見えた。
――耳栓か!
私は思わず唸った。原始的だが効果的な方法だった。
ゴレムは再び吠えると、今度は右腕を振り上げ、固めた拳をキャンディに向けて繰りだした。するとキャンディはどこから取り出したのか、花柄模様のついた大きな絆創膏を取りだすと、それを携えたまま大きく跳躍した。
ゴレムの拳が地面にめり込むと、キャンディはゴレムの腕の上を駆け上って肩のあたりに絆創膏を素早く貼りつけた。
異変を感じたゴレムが身をよじると、キャンディはその動きを逆に利用するかのように反対側の肩にも絆創膏を貼りつけた。そしてゴレムの左腕の上を、まるで滑り台を楽しむかのように滑り降りると、空中で一回転して地上に降り立った。
「……はいっ、お手当完了っ」
キャンディが叫んで振り返ると、ゴレムの動きが突然、ぎこちないものになった。
「いったい、何をしたの?」
「あれはキャンディの技の一つ、フラワー・ヒーリングです。鎮静剤と麻痺剤を染み込ませた絆創膏を、敵の身体に貼り付けて動きを鈍らせるのです」
ゴレムの動きは次第に緩慢になり、やがて地面にがくりと膝をつくと、大きな音と共に頭から地面に倒れこんだ。
「いい子ね――。それじゃあご褒美に素敵な夢を見られるアロマをプレゼントするわねっ」
キャンディはそう言うと、ボトルに入ったミストのようなものをゴレムの鼻と口のあたりに噴霧した。するとゴレムの下がりかけていた瞼がゆっくりと閉じられ、やがてごうごうという寝息のような音があたりに響き始めた。
「おやすみ。ゴレムさん」
「……キャンディ、そろそろ石さんに戻った方がいい。その状態で体力を使い切ったら、今度は石さんが動けなくなる」
「え――。せっかく表舞台に戻ってきたのにい。もう少し、遊んでいたかったなあ」
「俺たちはこれから事務所に戻らなきゃいけないんだ。聞き分けのない事言わないでくれ」
「……しょうがないなあ。あっちも「私」だもんね。……わかった、今日はこれで帰るね」
そう言うとキャンディは再びステッキを取りだし、その場でくるくると回り始めた。
「ゴクラクゴクラク コレコレチミチミ……この辺で、ドロンしますうっ!」
そう叫ぶと、キャンディの顔面が見る見るうちに日焼けした中年男性の物に変化した。
頭髪が頭に貼りつくようなスタイルに戻る頃には、もはやそこにいるのは少女ではなく、エプロンドレスに身を包んで荒い息を吐いている石亀でしかなかった。
「……石さん!」
私が駆け寄ると、石亀はにやりと笑って「どうです、ボス。私の能力は」と言った。
「すごいわ、石さん。……あの時も、事務所を馘首になった私を見守っていてくれたのね」
私がこみ上げるものを堪えながら言うと、石亀は答える代わりに別の言葉を口にした。
「へへ……原付、病みつき、保証付きってね」
石亀はいつかキャンディが私に言った言葉を口にすると、地面に大の字に倒れこんだ。
「石さん……お蔭で助かりました」
いつの間にか傍らにきていた裸の大神が、石亀が脱いだ上着を体にかけながら言った。
「……さあ石さんが動けるようになったら行きましょう。出口はそう遠くないはずよ」
私は満身創痍の仲間たちを振り返ると、疲れきった自分に言い聞かせるように言った。
〈第四十一回に続く〉
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