第3話 たったひとつの地味な特技
「どうしました?所長が見込んだ能力に、心当たりはありませんか?」
石亀のさりげないプレッシャーに、私は履歴書に記載した「趣味・特技」を片っ端からそらんじていった。
「ええと、精神保健福祉士、漢検二級、ワープロ検三級、お惣菜検定二級……」
思いつく限りの特技を暗唱しながら、同時に私は「いったい何を必死で並べているんだろう」と当惑していた。
「うーん。何と言ったらいいのかな。教えて欲しいのは、お持ちの特技なんですよ」
私は内心、失望を覚えていた。普通に言って特技と見なされる物が、ここでは役に立たないというのか。じゃあ、特技って何?
私がもやもやを口にすべきか否かを逡巡していた時だった。
「わおん!」
「わっ……なんです、今のは?」
犬の鳴き声は、石亀の物真似だった。予想外の展開に私はのけぞり、目を白黒させた。
「……特技の一例です。こういった芸を何かお持ちではないか、と思いまして」
「あの、それって特技というより「一芸」って奴ですよね。そういうのが探偵に求められているんですか?」
「探偵は特殊な業種です。したがって求められる能力も、一般企業などとは多少、ことなる物と考えてください。……そう、例えば、業務中に急にトイレに行きたくなったとします。周囲にトイレがなかった場合、どんな場所でも用を足すことができますか?」
「ええと……大学でスキー部のマネージャーをしていたので、周囲に人影がなくて、身体を隠せるだけの木があれば……できます」
私はいったい、何を真剣に説明しているのだ。別に「どこででも寝られますか」という質問だってよかったのではないか。
そもそもこんなたとえを持ちだして来ること自体、悪趣味だ。よく面接で女子学生が嫌がらせの質問をされるという噂を聞くが、叔父は一体何のつもりでこんな性格の悪い部下のいる職場に私を放りこもうとしたのだろう。
「……いいでしょう。合格です」
私が首をひねっていると、唐突に石亀が強い口調で言い放った。合格?何の話だ?
「所長が見ぬいたあなたの素質は不明ですが、とりあえず打算のない、馬鹿正直な性格であることは間違いないようです。癖の強い調査員を束ねるうえで、必要な資質です」
石亀の口調はいたって真面目だったが、私はなんだか馬鹿にされているように思えて仕方がなかった。
「正直だからって、そんな……所長なんてどう考えても無理です。リーダーなんかしたことがないし、そもそも探偵がどんなお仕事なのかも知らないし」
私は立ち去ろうとする石亀の背中に思わずすがった。リクルートスーツの女の子が「無理なので白紙に戻してくれ」と主張する構図は、我ながら滑稽としか言いようがなかった。
「つまり……所長代行は務まらないので辞退したいと、そうおっしゃるのですね?」
「え、ええ……」
「困りましたね。我々としては所長の見立てに間違いはないと思っています。ご自分で気づかないだけで、何らかの資質は持っている……そう考えることはできませんか」
「そう言われても……」
強硬な石亀の誘いに思わず口ごもった、その時だった。
「……え、もう来てる?困るなあ」
隣のフロアで大きな声がして、石亀の目が動いた。私は身体を伸ばしてそっと声のした方を覗きこんだ。フロアにいる四人のうちの一人、血色の悪い、陰気な顔つきの青年が誰かと電話で話していた。
「お受けしたいのはやまやまですが、うちは今、事情があってリーダーが不在なんですよ。なので、お受けするにしても一度、調査員一同で合議してからでないと……は?」
陰気な青年が言葉を切るのとほぼ同時に、ドアが開け放たれる音がした。
全員の視線が入り口に集中し、私もつられて目を遣った。立っていたのは、眼鏡をかけた知的な風貌の女性だった。
「来ちゃいました。……だって、いくら電話でお願いしても、のらりくらりとはぐらかされてばかりなんですもの。直接、お会いするしかないじゃないですか」
女性はまなじりに力を込め、一歩も引きさがらないぞと言わんばかりの気迫で立ちはだかっていた。
「しょうがないなあ……今、新人さんの面接中なんですが、どこか外で相談するわけにはいきませんか」
血色の悪い青年がそう応じると、女性は即座にかぶりを振った。
「そうやってまた体よく追い返すつもりなんでしょうが、今回は引きさがりません。何が何でも今日中に、依頼を引き受けていただきます」
女性はどうやら梃子でも動かないらしい。探偵というのも大変だ、これは早々に引きあげた方がよさそうだ。私がそう思っていると、石亀が私に向かっておもむろに口を開いた。
「ではこうしましょう。今日から一週間後にまた、連絡を差し上げます。その時にあなたのお気持ちに変化がなければ、我々もご縁がなかったものと潔く諦めます。どうです?」
「うーん、まあ、そのくらいでしたら……」
私がやり取りに疲れ、思わず譲歩しかけたその時だった。再び女性の声が響いた。
「私の気持ちがわかります?夫に、通院先の病院ごと消えられてしまった私の気持ちが」
「ええ、まあ……
青年が病院の名を口にした瞬間、私は全思考が停止するのを感じた。気が付くと私は返答を待っている石亀の横をすり抜け、会話を交わしている二人の前へと移動していた。
「あの……いま『須弥倉メンタルクリニック』とおっしゃいましたね?消えたとか何とか」
私が思わず横合いから問いをさしはさむと、それまで一触即発ムードだった二人が表情を止め、同時に私の方を見た。それはそうだろう。いきなり関係ない人間に口を出されて驚かないはずがない。
「あ……すっ、すみません、突然。あの、その病院って、私がこの春から就職する予定だった病院なんです」
私はこの機会を逃すものかとばかりに一気にまくしたてた。フロア中の目が自分に注がれている事はうっすら気づいていたが、喋っている間、私の頭からは石亀のことも叔父のことも、綺麗さっぱり拭われていた。
「……そうなんですか。あの、失礼ですが、ここの職員の方ですか?」
「違います。ここの所長だった叔父の推薦で、面接を受けに来ただけです」
「へえ……そんな偶然があるのね。じゃあ、ますますこの依頼、受けていただかないと困りますわ。だって、私の他にも病院が消えた経緯を知りたいと願っている人がいるんですもの」
そういうと女性は一通の封筒を青年の前に押しやった。
「これ、一週間分の調査費用です。前払いいたしますので、どうかお収め下さい」
女性は啖呵を切ると、青年の暗い目を見据えた。青年は困惑した表情で、石亀の方を見た。石亀は困った物だと言わんばかりに指で眉間を抑えると、青年に小さく頷いて見せた。
「では、これはとりあえずお預かりしておきます。ですが、先ほど申し上げたようにうちには現在、責任者たる所長がおりません。なので必ずしもご期待に沿えるとは限りません」
「構いません。どういう結果になろうと、納得する覚悟はできています」
女性がそう言って微笑むと、青年はほっとしたように肩の力を抜いた。
石亀は「やっと片付いたか」という表情になると、やおら私の方に視線を向けた。
「じゃあ汐田さん、一週間後に」
「それじゃあ遅いわ」
気が付くと私は、首を横に振っていた。
「えっ?」
「一週間も待っていたら、病院の謎が解決されちゃうかもしれない。この件だけは、私も調査に加えてもらわないと」
職員全員が再び、私の方を見た。
「では所長代理の件、お受けいただけるんですね?」
「……皆さんの賛同が得られれば」
私は気が付くと、背筋を伸ばしてフロアを見渡していた。いったい何をやっているのだろう、私は。
「では、この件に賛成の職員は挙手してください」
石亀が言うと一人、また一人と手が挙がるのが見えた。驚いたことに、調査を依頼に来た女性までがどさくさに紛れて挙手していた。
「では一応、この場で内定します。汐田絵梨さん、今日付で我が「絶滅探偵社」所長代行に就任していただきます」
石亀が言うと、職員全員がなぜかその場で気をつけの姿勢になった。私が戸惑っていると、石亀が近づいてきて私に囁いた。
「OK、今からあんたが俺たちのボスだ。何でも命令してくれ」
〈第四話に続く〉
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