第4話 我が名は調査員
「まずは、職員の紹介から始めさせてもらいます。私、石亀はここで最も古い調査員で、前所長と共にこの探偵事務所を立ち上げた当事者の一人です」
石亀はそう言うと、主のいない所長の席を感慨深げに眺めた。
「次に……おや、コンゴはどうした?さっきまでいた気がするんだが」
石亀が訝りながらフロアを見回し始めると、陰気な青年がおずおずと手を上げた。
「コンゴさん、さっき石さんが「飛ばし」ちゃったじゃないですか」
意味不明の指摘に石亀は、虚を突かれたような表情になった。
「あ、もしかしてさっきの「あれ」か。……どうりでいないわけだ。悪いことをした」
石亀は私の方を向くと、ばつの悪そうな表情を見せた。
「すみません、ボス。一人調査員が席を外してしまいました。紹介はまたの機会に……」
石亀がそう言いかけた時だった。いささか乱暴にドアが開く音がして、荒い息遣いと共に一人の巨漢が入ってきた。
「ひどいな、石さん。トイレに入ってたのに、何の前触れもなく「外勤」させるなんて」
「いや、すまん。つい気が付かなくて……それよりコンゴ、こちらが今日付で所長代理に就任した汐田さんだ」
石亀に紹介され、大男は目だけを動かして私の方を見た。身長は二メートル近くあるだろうか、顔も手足も全てが大きく、岩が入ってきたのかと思うような人物だった。
「ふうん、今日付けでね……ひょっとすると、ボスが推薦したとかいう姪御さんのことかい」
「ひょっとしなくても、そうです。汐田絵梨です。よろしく」
私は背筋を伸ばすと、大男の顔を見据えた。こういう時だけは、体育会系のサークルで培った度胸が出るのだ。
「いったいいつの間に承認されたんだ。俺が「外勤」している間か?」
大男は落ちくぼんだ眼窩の奥から、石亀を鋭い眼差しでとらえた。石亀が無言で頷くと小さな舌打ちと共に「納得できないな」と言った。
「まあ、気に入らないなら積極的に関わらなくてもいい。自己紹介ぐらいはしてくれ」
石亀に促され、大男は「
「うちは少々、個性が強いのが特徴なんで気にしないで下さい。……ええと、次は経理の
石亀はそういうと、伝票の束が乗っているデスクの女性を見た。
「あ……はい、経理兼、調査員の古森です。ええと、目が悪いです。それから、脚も遅いです。時々、独りごとを言うことがありますが、聞こえても無視して構いません。どうぞお手柔らかにお願いします」
ぼそぼそと呟くように言うと、古森という女性はぺこりと一礼した。フレームの太い眼鏡をかけており、顔つきだけでは若いのか、意外と年齢が行っているのかまるでわからなかった。私は唯一の同性に嫌われては元も子もないと、精一杯の笑顔で「よろしくお願いします」と返した。
「次は営業の大神君だ。今、この場にいる人間では彼が最後になる」
石亀が紹介すると、大神という陰気な青年は「どうも、大神です」と言った。
「一応、営業と調査員とを兼ねてますが……はっきり言ってどちらも得意じゃないです。他に務まる仕事がないからやってるだけで、あまり期待はしないで下さい」
大神はぶっきらぼうに吐き出すと、視線を足元に落とした。いったい、これはどういうことなのか。叔父はなぜこんな覇気の無い人間ばかりを選んで採用したのだろう。
「あともう一人、調査員がいるんですが、四六時中、外を飛び回ってる奴でしてね。うちの調査員の中では一応、エース級といえる人間ですが、そのうち、会えたら紹介します」
石亀は一通り紹介を終えると、私の方を見て「頼もしい奴ばかりでしょう」と言った。
私が返答にためらっていると、またドアの開けられる音がした。見ると、禁煙パイプを咥えた三十代後半くらいの男性が、手に大きな紙袋を携えて立っていた。
「くそっ、何て日だ今日は。馬も玉もみんなそっぽを向きやがる。しまいにゃ玩具にまで舐められる始末だ。……あーあ、これなら仕事でもしてた方がよっぽど有意義だったぜ」
男性はひとしきりぼやくと、ぼさぼさの髪を掻きむしった。いまどき珍しいサスペンダー付きのスラックスに緩んだネクタイといういで立ちは、アウトローそのものだった。
「おう、
石亀が促すと、荻原という男性が疎んじるようなまなざしで私を見た。
「所長代行だあ?……誰がそんなこと、決めたんだよ」
「全員の合議だよ。それ以前に、ボスからの委任があった」
「何だって……」
石亀から委任という言葉を聞いた途端、荻原の表情がさらに険しいものになった。荻原は私の方にずかずかと歩み寄ってくると、いきなり値踏みするように私の顔を凝視した。
「何かの間違いじゃないのかい」
私は恥ずかしさと怒りで頭に血が上るのを意識した。そんなこと、誰に言われなくても私自身が一番、思っていることだ。
「あいにくと本当だ。自筆の委任状もある」
石亀が言うと、荻原は「ま、いっか」と言って紙袋を床に置いた。
「見た感じ、コンビニでレジでも打ってんのが似合いそうなお嬢ちゃんだが、本当に探偵が務まんのかね。張り込み中にやれ眠いだのトイレだのと喚かれても困るんだがな」
荻原はそう言うと、無精ひげだらけの顎を撫でさすった。気が付くと、私は荻原の前に仁王立ちになっていた。トイレの話はもうたくさんだ。
「あの、私だって自信があって引き受けるわけじゃないんです。あなただって生まれた時から探偵だったわけじゃないでしょ。それに、勤務中にさぼって賭け事をしてるような人に好き放題、言われたくないです」
拳を震わせながら一気に吐き出すと、荻原は一瞬、あっけにとられたような表情を浮かべた。それから二、三度小首を傾げた後、いきなり大声で笑いだした。
「こいつはまた、すっとぼけたお嬢ちゃんだ。いいだろう、やってみな。……ただし、勤務中にしょんべん漏らしても、俺はお世話しないからな」
そう言うと、荻原は古森の方を見て「出かけてくる。今日は直帰するから、適当にカードを押しといてくれ」と言った。
「またですか。たまには自分で押してください」
古森の苦言を荻原は「まあ固い事言うな」と軽く受け流し、私たちに背を向けた。
「ちょっと待って。またさぼる気ですか」
「ああ?」
「さっき任命されたばかりですけど、所長である以上、部下のさぼりを見逃すわけにはいきません」
私が勇気を振り絞って注意を促すと、荻原は肩を揺すって笑い始めた。
「こりゃあ悪かった。……だがね、うちにはうちのやり方ってもんがある。ここの人間になったからには、そういう事にも慣れてもらわないと話にならない」
いきなりすごまれた私はうまい返しをすることもできず、俯いた。確かに私は叔父の会社のことを何も知らない。ここでは私はまだ、部外者なのだ。
「まあ、気を悪くしたのなら謝るよ。……こいつをやるから機嫌を直してくれ」
そういうと荻原はポケットから丸い物体を取りだし、私に向けて放った。受け取った物体をあらためると、それはスーパーなどで見かけるカプセル入りの玩具だった。透明なカプセルの中には、ずんぐりした愛敬のあるロボットが封じ込められていた。
「まったく今日はひでえ日だよ。何回ハンドルを回しても出るのはロボットばかり。愛しのカイジューちゃんは箱の中だ」
荻原はそう言うと、大股でドアの方に歩き去っていった。私がその場に呆然とたたずんでいると、いつの間にか石亀が近くにやって来ていた。
「調査内容は我々が後でまとめておきます。今日のところは、自由にしていてください」
私は頷くと、廊下に消えようとしている荻原の背に向かって呼びかけた。
「調査が始まったらちゃんと来るのよ、いい?」
せめてボスらしい言葉の一つも、という私の思いを無視するかのように、荻原の姿が廊下に消えた。私が落胆の溜息をつきかけると、オフィスの壁越しに短い返事が聞こえた。
「OK、ボス」
〈第五話に続く〉
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます