第32話 暗闇のスナイパー


「随分と思い切ったことをしましたな、ボス」


 石亀は私が荻原に下した処分の話を聞くと、険しい顔で息を吐いた。


「ごめんんさい。つい、許せなくて……私の判断は間違っていたと思う?」


「何とも言えませんな。いずれにせよ、判断自体は気に病む必要はありません」


 私は頷きながら、それでも解雇は行き過ぎだった、と思わずにはいられなかった。

 部屋には石亀の他にも、調査を終えた部下たちがいた。金剛は私の話を聞いて絶句し、大神は「そんな」と一言言ったきり、へなへなとその場にへたり込んだ。


「石さんだったら、どんな判断を下す?」


「様子を見るでしょうな。何か訳があるのかもしれないし、本当にスパイだったのかもしれません。この世界じゃ、良くあることですから」


「私にできる埋め合わせがあれば、なんとかしたいところだけど……」


「どんなことができます?ボス。テディの抜けた穴は、テディにしか埋められません。あれこれ取り繕うより、今後のことを考えるべきだと思いますが」


 私はがっくりと項垂れた。全くその通りだ。


「いずれにせよこうなった以上、また作戦を練り直さなければなりません。一旦、頭を切り変えた方がいいでしょう。本来なら潜入の具体的な打ち合わせに入る時期ですが、今日のところは全員、帰宅した方がいいと思います」


 私は「そうね、そうしましょう」と返すのが精いっぱいだった。


 定時になり、皆が一様に肩を落として部屋を出てゆくのを見て、私は一層、いたたまれない気持ちになった。荻原がいないというだけで、ここまで雰囲気が暗くなるものなのか。


「ボスも、早く帰ってくださいよ」


 帽子を被りながらそう釘を刺す石亀に、私は「わかってるわ」と硬い口調で答えた。


 古森と久里子が出てゆくと、オフィスは私一人きりになった。私は無人のフロアを見回し、肩を落とした。皆がいないと、ここはこんなにも冷え冷えとした場所になるのだ。


 私はエアコンを切り、窓が施錠されていることを確かめると、帰り支度に取り掛かった。

 

 ――ねえ、テディ、どうして私の解雇宣告を素直に受け入れたの?本物のスパイだったから?あなたにとって探偵って、何だったの?


 私は何度となくこみ上げてくる疑問を飲み下すと、照明のスイッチを切った。私の足が止まったのは、真っ暗になった部屋から出ようとドアを開けかけた時だった。


 ふと背後からぶうん、というパソコンを起動する音が聞こえ、私は思わず振り向いた。


 闇の中で私が目にしたのは、誰もいないはずの室内で灯っているモニターの光だった。

 

 ――あれは、私のパソコンだ。……どうして?


 私は照明をつけるのも忘れ、自分の机に駆け寄った。驚いたことに操作している人がいないにもかかわらずパソコンが勝手に動いていた。


 ――なんなの?これ。誰が動かしてるの?


 画面を見続けていると、私が保存したあるファイルが自動的に開かれようとしていた。


「え?……まさか!」


 固唾を呑んで画面に見入っていると、突然、見覚えのある建物の平面図が表示された。


 ――これは……テディが送ってきたデータだわ。


 平面図の上では矢印や記号が動き、何かを説明しようとしているようにも見えた。やがて唐突に画面が二分割され、一方には拡大された平面図、もう一方には横書きのテキストが映し出された。


 ――ボスへ。これを見ているのは恐らく潜入の直前だと思います。なぜそう言い切れるかというと、調査の最終段階が来るまで、この隠しファイルは開かないようになっているからです。


 ――隠しファイルですって?いったい何のこと?


 現在、我々の潜入計画は九割がた、敵に漏れています。そしてその多くは、私が意図的に敵に漏らしました。


 ――なんですって?


 これには理由があります。これまでの潜入計画は敵にリアルタイムで読まれ、このままでは罠をしかけられる可能性が濃厚でした。これを回避するため、私は敵に接近することを決意しました。この作戦は敵にはもちろん、味方にも知らせず進める必要がありました。


 ――テディ……知らなかった。


 私の真の目的はこちらの情報を提供すると見せかけ、敵の弱点に関するデータを入手することにありました。そして仲間にはそれまでの計画が駄目になったと思わせ、新たな潜入計画を立ててもらうことにしたのです。


 私はようやく、荻原がなぜ敵の幹部と接触していたかを理解した。目的を果たすには、味方に「裏切った」と思われることが不可欠だったのだ。


 私が仲間を裏切ったと見なされ新しい計画から外されていたなら、ある意味、計画は成功したといえます。可能ならこのデータを元に数日以内に突入してください。そしてくれぐれもこのファイルのことは外部に漏らさないで下さい。我が優秀なる探偵たちの、成功と幸運を祈って。  荻原


 テキストを読み終えた私は、愕然とした。今さらこんなことを打ち明けられて、私は一体、どうしたらいいの?


 私は一通り表示が終わったファイルを閉じ、照明をつけるために席を立った。スイッチのある方向に足を踏みだしかけた時、暗闇の中で私の目は奇妙なものを捉えた。


 それは、黄色い二つの「目」だった。人間の物とは微妙に異なるその眼差しは、一度合わせるとどういうわけかそらすことができなくなるのだった。


 ――な、なんなの、あれは?


 私は膝から下の力が急に抜けていくのを感じた。同時に部屋の中に妙に甘ったるい臭いが漂い始めた。私は思わず息を止め、身を固くした。……この匂いは麻酔……薬。


 早く逃げなければ、そう思いながらも私の身体はもはや自分の意志では動かせない状態になっていた。やがて部屋全体がぐにゃりと歪んだかと思うと、バランスを失った私はなすすべもなく床の上に崩れていった。


                   ※


 私を不自然な眠りから呼び戻したのは、ひんやりとした夜気だった。


 目を開けた私は一瞬、そこがどこなのかを把握できなかった。視界には広々としたコンクリートの床と遠くに瞬くビルの明かりが見えるだけで、屋外ということ以外、何の手がかりもなかった。


「お目ざめかい?所長さん」


 ふいにどこからか声がした。声の主を探ろうと身じろぎをしかけ、私は自分が立ったまま太い柱のようなものに拘束されていることに気づいた。


「ふふん、初めまして……と言いたいところだけど、あなた、私を「別の顔」の時に見てるのよね?」


 そう話しかけながら目の前に現れたのは、ファティマだった。


「ファティマ……」


「そう。覚えていてくれて嬉しいわ。トリニティの三人も言ってたけど、あなたって本当にやすやすと捕まるのね」


「ここはどこ?」


「あなたの仕事場のすぐ近く……屋上よ」


 私ははっとした。一度も訪れたことはないが、ここは探偵社のあるビルの屋上らしい。


「私をどうするつもり、ファティマ」


「さあて、どうしようかしら。私をコケにした男にお仕置きをしてあげたいんだけど、来てくれるかしらね、あなたの王子様は」


「……テディのことね?おあいにく様、テディはもう私たちとは何の関係もないわ。私がつい数時間前に、馘首くびを言い渡したの」


 私が強気の牽制を試みると、ファティマはさもおかしそうに笑い始めた。


「それはどうかしらね。大事なボスの命が危機にさらされても、知らん顔をしていられる男だと思う?」


 ――お願い、テディ。絶対に来ないで!


「もし彼が私を助けに来たら、こう言って追い返すわ。ここはあなたの職場じゃないって」


「うふふ、思ったより腹が据わってるわね。いいわ、それじゃあ確かめてみましょうか」


 ファティマはそう言うと、どこからか細長い筒状の物体を取りだした。


「この子は性格はおとなしいけど、その代わり一分とかからずに天国に行けるほどの毒を持ってるわ。だからあまり興奮させない方がいいわよ、うふふ」


 そう言ってファティマは筒の蓋を開けると、開いた口を地面に向けた。


 やがてごそごそという音が聞こえたかと思うと、一匹の極彩色の蛇が姿を現した。蛇はゆっくりと体をくねらせながら私に近づいてくると、動けない私の足を螺旋を描くように這い上り始めた。


             〈第三十三回に続く〉

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