第7話 勤務医は疑似科学の夢を見るか?


「主人が「須弥倉クリニック」を利用したのは全部で三回、三度目の通院の朝が、私が彼を見た最後になります」


 調査という形で人払いをしたオフィスで、浦野鞠絵うらのまりえはそう語った。


「ご主人と「須弥倉クリニック」の小峰こみねという勤務医は、知り合いだったと伺いましたが、ご主人もお医者様ですよね?わざわざ知り合いのクリニックを受信された理由は何だったのですか?」


 私が疑問に感じた点を指摘すると、鞠絵は「そう思いますよね」と頷いた。


「実は主人たち医療従事者の間で、小峰先生が睡眠障害に関する独自の研究を発表したと話題になっていたらしいんです。それも画期的な研究だからではなく、あまりに突飛だという理由で」


「突飛と言いますと?」


「いわゆる生活リズムの障害の他に、かつて脳にある処置を施された人間だけに起こる、特殊な障害があるという主張だったようです」


「ある処置……外科手術のことですか」


 私が尋ねると鞠絵は「仄聞なので真偽のほどは定かではありませんが」と前置きした。


「主人や小峰先生の師匠筋に当たる伊丹いたみ先生という医学博士がいて、ある特殊なたんぱく質を利用することで、困難な脳の外科処置が魔法のように成功すると主張していたそうです」


「ご主人がその処置を受けた……と?」


「わかりませんが、十年ほど前に交通事故で脳外傷を負った時、その伊丹先生が勤務する病院で手術を受けました。小峰先生は伊丹先生の弟子に当たり、その謎のたんぱく質が睡眠障害などを引き起こすという説をインターネットなどで時々、公開していたようです」


「つまりそのたんぱく質の存在も、それを使った外科処置が行われていたかどうかもすべてが想像、仮説の域を出ていないということですね?」


「そうです。主人は睡眠障害になってから、そのことが気になって仕方がないようでした。伊丹先生にもメールで問い合わせましたがきちんとした返答はなかったそうです」


「それで弟子筋にあたる小峰先生のクリニックへ……」


「はい。どのような診察が行われたかは詳しく教えてくれなかったのですが」


「でも、三回目の診察の日に行方を絶ってしまった。あなたに何の連絡もなしに」


「ですから、突然の閉院と関係があるかと言われると何とも言えないのですが、他に思い当たる出来事がないのです。

 警察に捜索願を出そうかと思っていたとき、以前、知人から聞いた「事件が奇妙であればあるほど力量を発揮する探偵社」の存在を思いだしたのです」


「奇妙であればあるほど……」


「応対してくださった大神さんは「事件そのものは大変、興味深いのだけれど、あいにくと今、うちは所長が不在で……」と難色を示されました。そこにあなたがいらっしゃったというわけです」


 私は腕組みをすると、鼻からそっと息を吐き出した。ある意味、絶妙なタイミングだったわけだ。


「わかりました。我々の力でご主人や小峰医師の行方をつきとめられるかは、今の時点では何とも言えませんが、これから調査方針を決めて、できる限りのことはするつもりです」


 私がいっぱしの探偵めいた言葉を口にすると、鞠絵は深々と頭を下げた。


「ありがとうございます。じつは主人が初めて「須弥倉クリニック」を受診してから三か月、主人の何かが少しづつ変わっていったように感じて仕方がなかったのです。思い切って主人が処方された薬の袋も覗いてみましたが、名前も聞いたことがないような薬ばかりで……」


「さぞご心配でしょうね。もしかしたらその、処方された薬もいずれ、調査の手がかりとしてお借りすることになるかもしれません」


「それはもちろん構いません……あ、それと最後の通院の直前に、主人がちょっと気になることを言っていたのですが」


「なんです?」


「『こうこじれると、最後には「裏クリニック」の力を借りることになるかもなあ』と呟いていたのです。私の聞き違いかもしれませんが」


「裏クリニック……」


「すみません、かえって混乱させるようなことを言ってしまって」


「いえ、貴重なご発言、ありがとうございました。もしかしたらその「裏クリニック」の存在をつきとめることが解決への近道になるかもしれません」


「そうでしょうか……」


 私は不安げな表情の鞠絵に私は「大丈夫、ご主人はきっと見つかりますよ」と、にっこり微笑んで見せた。もちろん本心でもあったが、同時に心のどこかで、これがいわゆる「業務用スマイル」という奴になるのかな、とも思っていた。


              〈第八回に続く〉

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