第8話 「溢れよ、我が才能」と探偵は言った


「ええ、それでは今から各調査員に業務を振り分けます。コンゴとウルフは須弥倉クリニックと、経営母体だった「蘇命会」の聞きこみ調査、ヒッキは小峰医師の身上、経歴調査、それと、テディ……」


 石亀がそこまで言った時だった。奥の席から「俺はフリーでよろしく」と手が挙がった。荻原だった。最初の打ち合わせだけは、さすがに姿を見せているようだが、フリーとなればあまり意味がない。


「荻原さん、フリーでも報告だけはちゃんとしてくださいよ」


 私が釘を刺すと、荻原は「了解、ボス」と言って早々に席を立った。


「……というわけで、私とボスは行方不明の浦野氏及び、小峰医師の知人から聞きこみを行う。以上、質問のある者はいるかな?」


 全員が無言で了承するのを確かめると、石亀は私の方を向き「ボス、指示を」と言った。


「それでは今から「浦野医師失踪及び須弥倉クリニック消滅事件の調査を開始します!」


 私の号令に、見た目とは裏腹の統一感溢れる「了解ラジャー!」の声が響き渡った。


                 ※


「なるほど、奥さまが捜査の依頼をね……そうなると協力しないわけにはいきませんな」


 そう言うと、白衣の年配男性は小太りの身体を揺すった。千尋が勤務する「西江総合病院」の勤務医、八嶋やじまに話を聞くことが、この日の最初の仕事だった。


「まあ、大きな声で言うのは憚られますが、小峰先生はあの伊丹先生の弟子筋ですからね。これまでにも怪しげな噂はありました……」


「というと?」


 私はいささか身を固くしつつ、初の聞きこみに臨んでいた。サポート役の石亀は、私の隣でお手並み拝見とばかりに気配を消していた。


「オカルトとまでは言いませんが、噂になった謎のたんぱく質に関する論文など、ほとんど創造の域を出ないフィクションのような物でしたね。実験データすらないんですから、仲間内では「伊丹先生の頭の中にしかないんじゃないか」とまで言われていました」


「脳外傷手術の噂についてはどうですか」


「それは確かめようがないですね。立ちあった看護師にも会ったことがないですし。本当に行われていたら大問題でしょう」


「でも小峰医師は信じていた。……だから自分のクリニックを訪ねてくる患者に、手術の有無を尋ねていた」


「うーん、ですから小峰医師がどんな診断をしてどんな処方をしていたか、こればかりは「須弥倉クリニック」の人間じゃないとわからない。……ただ、妙な噂が立っていたことも事実です」


「噂、ですか」


「ええ。同じビルにある調剤薬局では扱っていない薬を、「裏クリニック」と呼ばれる場所で独自に保健外処方していたとか」


「裏クリニック……」


 私は思わず復唱していた。話が核心に近づいてきた。


「それがどのような場所にあるか、みたいな話は広まっていませんか」


 私が身を乗り出して尋ねると、八嶋医師はあっさりと首を横に振った。


「聞いたことはないですね。それ以上、想像を膨らませるのは危険です。クリニックが消えたという話を聞いた途端、みんな、小峰医師と「須弥倉クリニック」に関する噂をぴたりと止めたくらいですから」


 私は頷いた。それはそうだろう。私と石亀は八嶋医師に礼を述べると、病院を後にした。


                  ※


「どう思う?石さん」


 雨が上がり、雲間から晴れ間が覗く空を仰ぎながら私は言った。


「どうって、まだ始まったばかりでしょう。「裏クリニック」というくらいだから、まともな医療従事者に聞いたって知ってるはずがない」


 私は閉口した。それはそうかもしれないが、こうあっさりと敗北宣言をされると気持ちが収まらない。


「じゃあ、ボスが色々、訊ねてみたって言う調剤薬局に、聞きこみに行きますか?」


「まあそれもありだけど、もうちょっと情報を得られそうな関係者はいないもんかしらね」


「それじゃ、師匠の伊丹医師を直接、訊ねて聞いてみますか?「裏クリニックの場所を知りませんか」って」


「待って。それはまだ早いわ。浦野さん以外にも睡眠障害で「須弥倉クリニック」を訪れていた人はいるはずよ。そっちを当たりましょう」


 私が思いつきを口にすると、石亀は「ふふん」と鼻を鳴らした。


「どうかしたの?」


「しょっぱなから冴えてるじゃないですか、ボス。さすが所長の見立てだけのことはある」


「おだてないで。本当のことを言うともう、パンク寸前なんだから。……そうだ、やっぱり調剤薬局にも行ってみましょう。「須弥倉クリニック」の患者さんで、今は別の病院に通院中の患者さんがいるなら、薬局で何かわかるかもしれない」


「ついでに、もぬけの殻になったという「須弥倉クリニック」の入り口でも覗いてきますかね。誰か戻ってきたところと鉢合わせるかもしれない」


「うーん、それは期待できそうにないけど……いいわ、行きましょう。それでわからなかったらSNSにでも頼るしかないわ」


 私と石亀は、スマートフォンで「須弥倉クリニック」のあったビルを確認すると、最寄りの地下鉄駅へ足を向けた。時計を見ると、まだ十一時半だった。


 ――朝からパチンコにいそしんでいる誰かさんより、よっぽど探偵っぽいじゃない。


 私は意外に早い石亀の足取りに驚きつつ、たった今、知り得た事実を頭の中で整理した。


               〈第九話に続く〉

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