第26話 絶滅の優しい巨人
「コンゴ、危ない!」
思わず叫んだ瞬間、振り向いた金剛と私の目があった。
「ボス……どうしてここに?」
金剛は震える声で言うと、信じられないという表情をした。
「……ボス、こっちに来ちゃいけません!」
金剛は私に向かってそう告げると、怪物から守ろうとするかのようにその場に立ちはだかった。
私は改めてゴレムの巨大さに目を瞠った。金剛がかつて「自分の背丈に石さんを足したぐらい」と言っていたが、私の目には金剛二人分くらいはあるように見えた。
ゴレムは二、三歩歩いて止まると、おもむろに身を屈めた。そして横転しているトラックの下に両手を入れると、低い唸り声と共に易々と胸の高さに持ち上げた。
「何をする気だ!」
金剛が叫んで一歩前に進み出た、その時だった。金剛の顔に苦悶の色が見えたかと思うと、そのままバランスを崩し、地面に肩口から倒れ込んだ。
「……コンゴ!」
私が思わず身を乗り出して叫ぶと、私の傍らから金剛に向かって黒い影が飛びだした。
「来……るな」
金剛の元に駆けていったのは、黒い犬だった。犬は金剛の制止を無視して傍に行くと、トラックを抱えている巨人に向かって威嚇するかのような唸り声を上げた。
ゴレムは手にしたトラックをさらに高々と掲げると、首を曲げて眼下の金剛と犬を見た。
――トラックを投げつける気だ!
私も気が付くと、我が身の危険も忘れて駆け出していた。そして金剛を守るように威嚇を続ける犬の前に来ると、犬と金剛を自分の背で隠して、ゴレムの前に立ちはだかった。
「ボス……駄目だ、そんなことをしちゃ……」
背後で微かに金剛の声がした。私は改めてトラックを振りかざしている巨人を見た。近くで見るゴレムの大きさには、恐怖を通り越した非現実感があった。
私は脚に力を込めて地面を踏みしめると、両手を大きく広げた。そして巨人の感情をどこかへ置き忘れたような瞳を見据えると、大声で叫んだ。
「私は絶滅探偵社の二代目署長、汐田絵梨です。殺すなら殺しなさい!」
「ウウ……?」
巨人の肩のあたりが盛り上がり、両腕の筋肉に力が込められるのがわかった。
「もしかしたら今日で探偵社は終わりかもしれません。だけど、所長としては……」
私は巨人の腕が自分に向かって振り下ろされるのを、覚悟した。
「……部下を、先に死なせるわけにはいきません!」
自分でも驚くほどの大声で言い放った瞬間、背後で「ワン!」という犬の鳴き声が聞こえた。私は死んでも目をそらすまいと、巨人のガラス玉のような目を見据え続けた。
――さあ、いつでも来なさい!
私が心の中でそう呟いた、その時だった。巨人の手の中で、トラックがアイドリング音と共に身を震わせはじめた。
「……があっ?」
私は思わず目を瞠った。……トラックの中に、誰かがいる!
トラックの車輪が回り出し、巨人は虚を突かれたように両手を体の前に下ろした。次の瞬間、トラックが片輪走行のように車体を傾けながら、巨人の膝を伝って滑り降りてきた。
「……ワン!」
また犬が吠えた。同時にトラックが鼻先から地面に激しく激突し、なぜか私の目の前に金剛が倒れこむような格好で「出現」した。
「ぐおおっ」
手の中の玩具が急に暴れて逃げだしたことが悔しいのか、巨人は歯を剥き出し、雄叫びを上げて私たちの方を見た。
「……ボス、早まっちゃいけません。身体を張るのは部下に任せてください」
「だってコンゴ、脚が……」
私がそう言った時だった。巨人がくるりと背を向け、数メートルほど離れた場所に生えていた木を握り、力任せに地面から引き抜いた。金剛の背丈より高い木も、怪物にとっては棍棒程度の大きさにしか見えないのだろう。
ゴレムは再び私たちの方に向き直ると、根のついた丸太を手に近づいてきた。
――もう駄目だ。私には何の力もない!
私が観念しかけた、その時だった。ゴレムの動きが急に鈍くなり、同時にどこからともなく笛の音のような音が聞こえ始めた。
はっとして音のする方に目を遣ると、私たちのいる場所から少し離れた木の傍で、キャンディが何かを吹き鳴らしているのが見えた。
キャンディが手にしているのは管状の物を貼り合わせた
――キャンディ。……一体何をしているの?
私はそう訊ねたい衝動に駆られた。笛の音は美しく、微かに哀愁を帯びた子守唄のような旋律だった。ふと巨人を見ると、驚いたことにゴレムもまた、キャンディの奏でる笛の音に聞き入っているかのように動きを止めていた。
やがてその目に憂いともとれる色が微かに浮かんだかと思うと、右手から丸太が落下し、地面の上に転がった。
「キャンディ!」
私が呼びかけると、キャンディは笛から口を外し、私に向かってウィンクをして見せた。
なぜこの曲を吹くとゴレムがおとなしくなるという事を、彼女は知っていたのだろう。
疑問で頭を一杯にしながら私がその場を動けずにいると、突然、ずしんという響きと共にゴレムが地面に膝をついた。そして上体を二、三度前後に揺らすと、スイッチを切られたかのようにうつぶせに倒れ伏した。
私が呆然としていると、いきなり犬が巨人の方に駆け出し、顔のあたりで足を止めて飛び跳ね始めた。よく見ると、巨人は目を閉じて眠っているようだった。
危機が去ったことを知った私は、キャンディの姿を探し始めた。だが、キャンディの立っていた木の周りはもちろん、周囲のどこにもキャンディの姿は見当たらなかった。
私が困惑していると、ふいに背後で金剛の声がした。
「ボス、今のうちに逃げましょう。これだけ深く眠っていれば、俺の足でも何とかなる」
「でも、私をここに連れてきた女の子が……」
「あいつのことならたぶん、大丈夫です。ボスよりよほど危険に慣れてるはずです」
「あいつ?あの子のことを知ってるの?コンゴ」
私が訝っていると、黒い犬が足元に駆け寄ってくるのが見えた。
「さ、ボス早く。あいつが眠っているからと言って、ここにいては危険です」
金剛に背中を押され、もやもやしたものを胸中に残しつつ、私はやむなく入り口の方に引き返し始めた。
獣道を逆にたどる道すがら、私は金剛に尋ねた。
「コンゴ、あの巨人がゴレムなの?」
「そうです。密林に住む部族の一人で、蓬莱翁が子供の時から目をつけて育ててきたのです。本来はおとなしい性格のようですが、特殊な洗脳プログラムで凶暴性を植え付けたんでしょう。さっきの笛の音は奴を本来の性格に戻す効果があったんだと思います」
「本来の性格……」
「暗示で怒りに火をつけられ、熱くなった頭に水をかけて冷やすことで、元の泥のような存在に戻るというわけです。身体が大きすぎるというのも、いいことばかりではないって事でしょうね。……俺はつくづく、チビでよかったと思いますよ」
私は蓬莱翁のやり方に、ふいに得も言われぬ怒りを覚えた。きっと叔父も同じようなことを感じていたのだろう。そんなことを考えていると、前方にバリケードが見え始めた。
「見て、出口よ」
私がそう口にした時、急に傍らを歩いていた黒い犬が駆け出した。犬はバリケードを乗り越えると、あっと言う間に道路の方に姿を消した。
「どうしたのかしら、急に」
「あいつのことなら心配いりませんよ。……それより、道路に出たら少しその場で待っていてください。車を呼びますから」
「車を?こんなところに、タクシーなんか来るの?」
「いえ、タクシーってわけじゃあ、ないんですがね」
そんな会話を交わしているうちに私たちはバリケードを超え、気が付くと看板の前にたどり着いていた。
「ほら、車なんて全然走って……あっ」
私がぼやきかけた、その時だった。一台のくたびれたワンボックスカーが私たちの前に滑りこんできた。運転席を見ると、驚いたことに大神が乗っていた。
「さあ、帰りましょう、ボス。お宅までお送りします」
矢継ぎ早の展開に事態を飲みこめぬまま、私は大神の運転する車に乗りこんだ。
「……峠道はカーブが多いからな、気をつけろよ」
走り出してほどなく、後部席に大きな身体を押しこめている金剛が言った。
「……うるさいなあ。こう見えても運転は得意なんだってば」
「俺が言ってるのはカーブそのものじゃない、ミラーを見過ぎるなと言ってるんだ」
「……わかってるって。一瞬しか見なくても、ちゃんと安全に曲がれますって」
「ちょっと、カーブでミラーを見るなって、逆じゃないの?」
「ミラー自体が危険なんじゃあありません。丸いのがいけないんです」
大神と金剛の意味不明のやり取りに戸惑いながら、私は暮れ始めた風景に誘われるように深い眠りへと誘われていった。
〈第二十七回に続く〉
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