第30話 雑居ビルの魔女


「もしもし……あ、テディ?……えっ、例の施設に関するデータを?……こっちのPCで受け取ればいいの?……どのPC?」


 電話の相手は荻原だった。調査の経過をまとめたファイルを送るという内容だった。


「共有PCから私のPCに移せばいいのね。わかったわ。……えっ、今日も直帰?……ちょっと、たまには自分でタイム……あっ」


 荻原は性急に用件を伝えると、話は終わりだとばかりに一方的に通話を終えた。


「……ヒッキ、テディは今日も直帰だって」


「わかりました。早退扱いにして押しちゃいます」


 ヒッキが「ささやかな仕返しだ」と言わんばかりに冷静に言い放った。


 私は自分の机の前を離れ、応接セットの近くにある共有PCの前へと移動した。

 メールソフトを立ち上げるとほどなくして着信表示が現れた。私はテディからのメールを開くと、添付されていたファイルを自分のメモリーにコピーした。


 席に戻り、ファイルを自分のPCに移して中をあらためると、強大な構造物の平面図が現れた。どうやらこれが「訓練施設」の図面らしい。


 ――いったい、テディはどうやってこれを入手したのだろう。


 テディの手腕なら十分に可能な仕事だろうと思いつつ、私は不思議に思った。

 いずれにせよ、最終的にはここに突入するのだ。重要なデータであることは間違いない。


 私は重要なデータをしまうことになっている「楽しいレク」というフォルダの深いところにファイルを移した。


 一仕事終え、急に空腹を感じた私は壁の時計を見た。針はちょうど正午を過ぎたところを指していた。私はふと思い立ち、席を立つとヒッキの机に近づいた。


「ねえヒッキ、このビルにお茶とか軽い食事のできるお店ってあるかしら?」


「食べに行かれるんですか?」


 古森は漫画のキャラクターがよくやるような、眼鏡のフレームを指でしごく動作を交えながら言った。


「ええ、適当な場所があったらね。私が見た限りだと、あまりなさそうだけど」


「……ないこともないです。一つ下の階に床屋さんがあって、その隣に「招来しょうらい」っていう中華食堂があります」


「じゃあ、そこで一緒に員食べない?……久里子さんも一緒に」


「いいんですか?誰もいなくなりますよ」


「いいじゃない、一時間やそこら。女子会しましょ。……ね、久里子さん」


 いきなり私に話を振られ、久里子は湯呑みを漂白する手を止めた。


「仕方ありませんね。ボスの命令となれば、断るわけにもいかないし」


 久里子はそう言うと、歯を見せて笑った。


「よし、決まり。探偵だってお昼くらいのんびりしなきゃね」


 私はそう言うと、マスターキーを壁から外し、バッグに忍ばせた。


               ※


「あー、なんかほっとするわね、こういうの」


 久里子がおしぼりで手を拭きながら、弾んだ声で言った。


「招来」はテーブル席が二つとカウンターしかない狭い店だったが、古いビルの割には綺麗な内装だった。


「私、ここに来るの三度目です」


 古森がお茶の入った湯飲みを両手で持ち上げながら言った。


「そう言えば私、ヒッキのこと、よく知らないんだけど……毎日、伝票やら書類やらとにらめっこしてて、退屈じゃない?」


「いえ、別に……元々引きこもりだし、じっとしてるのって、苦手じゃないです」


「そもそも、どういういきさつで探偵社なんかに入ったの?」


「私はテディと同じように外国生まれなんですけど、色々あって周りにうまくなじめなくて、ほとんど友達もいないまま子供時代を送ったんです。大人になってからは図書館なんかで働いてたんですけど、ある時、同僚から一方的にある事件の犯人にされてしまって。その時、たまたま仕事で関わりがあった前の所長さんに濡れ衣を晴らしてもらったんです」


 私は思わず頷いていた。ここの調査員たちは皆、似たような経緯で入ってきているようだ。

 叔父というのはそれほどすごい人だったのだろう。そう思わせられる話ばかりだった。


「私が父の教えを守らなかったのがいけないんです。……地に足をつけろってあれほど厳しく言われたのに……」


「どういうこと?遊んでたってこと?」


 私が声を潜めて聞くと、古森は笑いながら「違います」と首を振った。


「とにかくここで働くようになってから、気持ちが楽になったんです」


 古森はそう言うと、仕事中はあまり見せたことのない晴れやかな顔になった。


「ふうん。みんなそうなのかしらね。……久里子さんは?」


「私ねえ、こう見えても昔、女優だったのよ」


「女優?」


「……って言っても、出るのは三流のアクション映画ばかりで、ぱっとしなかったけど」


「それでもすごいじゃないですか。アクション映画なんて」


「でもねえ、無理な撮影が祟ったのか、死亡事故が起きちゃったの。たまたま目撃したのが私一人だったから、色々と悪い噂が立っちゃってね。辞めざるを得なくなったってわけ」


「ひどい話ですね」


「でも同じころ、前の所長さんと知り合ってね。困ってるのなら、うちに来なさいって。……だからあの人は私にとって恩人であり、スターでもあるの」


 私が相槌を打ちながら聞き入っていると、突然、古森が口を挟んだ。


「所長はスターなんですか。……じゃあ、荻原さんは?」


 いきなり問いかけられた久里子は、面食らうどころか待っていましたとばかりに歯を見せると、小声で「コ・イ・ビ・ト」と言った。


               ※


 私が驚くべき光景に遭遇したのは、食事を終えて事務所のある階の廊下に顔を出した時だった。あまりのことに私はその場で固まり、しばらく動くことができなかった。


 ――なに、あの人?


 私の目に映ったのは、無人のはずのオフィスから一人の女性が出てくるところだったのだ。


 ――どうして?ちゃんと施錠して出たはずなのに。


 私が目を疑った理由はそれだけではなかった。出てきた女性は以前、荻原と一緒にいた女性だった。女性は不法侵入を終えたばかりとは思えないようなゆったりした動作でエレベーターに向かうと、やってきた箱に乗って姿を消した。


「ボス、どうかしたんですか」


「今、うちの事務所から人が出てきたの」


「人が?」


「ちゃんと施錠してあったから、不法侵入よ、きっと」


「どんな人です?」


「女の人よ。綺麗な……いや、そうじゃなくて私、見たことあるのよ、その人を」


「えっ、本当ですか?……どこでです?」


 私たちは事務所に戻ると、作戦会議でもするかのように応接セットのテーブルを囲んだ。


 私は二人に女性が荻原と一緒にいたこと、妙に親し気だったことなどを打ち明けた。


「……ってことはその人、テディから合鍵を貰ったんじゃないですか」


「事務所の?……自分の部屋のならわかるけど、一体何のために?」


「さあ……そこまでは」


「事務所荒らしが目的にも見えなかったし、なんだか気味が悪いわ」


 私は立ちあがると、資料のファイルや映像記録のロムが並んだキャビネットの前に移動した。鍵はかかったままだったが、だからと言って誰も触れていないという証拠にはならない。コピーが目的なら、何もなくなっていない可能性だってある。


 意味もなくフロアをぐるぐる歩きまわっていると、ふと、自分の机の近くに何かが落ちていることに気づいた。つまんで拾いあげてみると、それは三角形の金色のピアスだった。


「なにこれ……ヒッキ、これあなたの?」


 私が目の高さに掲げて見せると、古森は即座に首を振った。


「私のでもないよ。仕事中はアクセサリーは禁止だからね」


 久里子も同様に否定の言葉を口にした。私はピアスを自分の机の引き出しにしまうと、そのまま椅子に腰を落ち着けた。


 ――まさか、あの女性が落としていった?


 私は頬杖をついたまま、とりとめもない考えを巡らせた。だが、考えれば考えるほど胸の中に黒々としたいやな想像がわだかまるばかりで、気分は一向に晴れなかった。


 どうしよう。みんなにはどう話したらいいんだろう。考えあぐねていると、突然、廊下の方で大きな物が落下するような音が聞こえた。何だろうと思っていると、ほどなくドアから泥まみれの金剛が姿を現した。


「ど、どうしたの、コンゴ」


 私が問うと、金剛は作業帽の庇の下から憤怒に満ちた目を覗かせた。


「どうもこうもないです、ボス。訓練施設の周りで様子をうかがっていたら突然、警備員に取り囲まれたんです。幸い、袋叩きに遭う直前で逃げおおせましたがね」


 金剛はそう言うと、口をへの字に曲げて見せた。よく見ると金剛の顔には無数の擦り傷があった。私が何と言ってねぎらったものかためらっていると、金剛に続いて大神が姿を現した。大神のシャツとスラックスもまた、擦り切れてあちこちにかぎ裂きができていた。


「僕もやられました。先にコンゴを「飛ばし」たまではよかったんですが、逃げ遅れて……あいつら変ですよ、まるで僕らがいつやって来るかを知っていて、待ち伏せしてたみたいだ。……どこから漏れたんですかね?」


「俺たちの行動が筒抜けだとすると、潜入方法も考え直さねえといけないな。……くそっ」


「そんな、筒抜けだなんて、まさか」


 二人が荒い息を落ち着かせ、やっと席に戻った時だった。今度は石亀がふらふらと覚束ない足取りでドアから入ってきた。


「ふう、参ったぜ」


「どうしたんです、石さん?」


「蘇命会病院についてちょっと聞きこみをしてたら、いきなり職質を受けてな。なんだかんだと理由をこじつけて所轄署まで引っ張っていきやがった。おまけに昔の記録まで出してきて「入れそうな家を物色してたんだろう」なんていいがかりをつけてきやがった」


「……石さん、その職質、もしかしたら偶然じゃないかもしれませんぜ」


「なんだって。……コンゴ、どういうこった」


 金剛が先ほどの経緯を話すと、石亀の目が険しくなった。


「こいつは、身も回りに今まで以上に気をつけないといけませんな」


 石亀の言葉に、私ははっとした。荻原は今、どこにいる?


「誰か今、テディと連絡が取れる人、いる?」


「誰でも取れますが……呼んでみますか?」


 大神がそう言うと、率先して携帯を操作し始めた。


「……あれっ、電源が入ってない。珍しいな、どうしたんだろう」


 私はふいに背筋が寒くなるのを覚えた。……荻原と連絡が取れない?


 私が荻原のことを思いだしたのには、理由があった。先ほど事務所から出てきた女性と、ある人物との間に共通する特徴があることに気づいたのだ。


 それは、二の腕の黒子だった。以前見たある人物と、侵入者の二の腕にとてもよく似た、三角形の黒子があったのだ。顔立ちが微妙に異なっていたので気がつかなかったが…… 


――メイク次第では、あのくらい変わるわ。……でももし二人が同一人物だったとしたら?


 私が以前見た人物とは蓬莱翁の秘書の、ファティマという女性だった。


           〈第三十一回に続く〉

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