第22話 皆殺し軍団長


 荻原の軽口に私の緊張が一瞬緩んだ、その直後だった。荻原の背後にいた助手の一人が、メスを振りかざすのが見えた。


「危ない、テディ!」


 私が叫んだ瞬間、フロアのあちこちで破裂音がして、いくつかの機器が火を噴いた。


「な、なんだあ?」


 小峰を始めとする男たちが一斉に取り乱し始め、その隙をついて荻原が小峰医師を羽交い絞めにした。


「急げ、エレベーターに飛び込むんだ!」


 荻原にどやされ、私は頷くと踵を返して走りだした。エレベーターにはすでに黒い犬が乗りこみ、私を急かすように飛び跳ねていた。

あと一歩と言うところで足を止めて振り変えると、私を追ってきた助手を荻原が蹴散らしているのが見えた。


「テディ、早く!」


「先に乗るんだ、ボス!」


 荻原は点滴スタンドで追っ手を二人まとめて跳ね飛ばすと、私を押しこむようにしてエレベーターに乗りこんだ。


「早くボタンを!」


 ドアの前で仁王立ちになっている荻原を横目に、私は一階のボタンを押した。

 上昇を始めた箱の中で、私は荻原に疑問をぶつけた。


「でもどうして停電が起きたり、急に手足のバンドが外れたりしたのかしら」


「そいつは、俺がやったのさ。ボス」


「えっ……あなたが?」


「俺の能力は、離れた場所の仕組みを破壊すること……そう、餓鬼の頃からね。それで大人たちには「物が壊れる子供」って、随分と忌み嫌われてね。自分じゃどういうきっかけでそうなるのか、さっぱりわからないのにね」


「うまく使えば人助けだってできるのに……さっきみたいに」


「ボス、あいにくとそれも運がよかっただけでね。自分じゃ狙った物体を壊すことはできないんです」


「でも、実際に私を……あっ、そうか。コンゴの能力と同じ……」


「そういうこと。ボスの危機に身体の方が勝手に反応したってわけ。礼には及びませんよ」


「理由なんてどうでもいいわ。結果的に助けられたんだもの……あっ、着いたみたい」


 ずしんという重い響きと共に箱が止まり、やがてドアがゆっくりと開いた。真っ先に私が目にしたのは病院内の風景ではなく、四角い空間だった。

 コンクリートで固められたの内壁は殺風景そのもので、真四角な空間の隅には大小のゴミが大量に積み上げられていた。


「ここは……ゴミ収集所?病院じゃないの?」


 どうやらその空間には、ゴミと分別用のコンテナ以外は何も存在しないようだった。


 私と荻原、そして黒い犬はゴミ収集所と思しき空間から、鉄製のドアをくぐって外に出た。


「病院内に、本来秘密の施設である「裏クリニック」への入り口があったら大変でしょう」


「それで別棟のゴミ収集棟の中にエレベーターを作ったってわけ?……でも変ね、「須弥倉クリニック」の近くにこんな場所、あったかしら」


 私たちの周囲は、だだっ広い駐車場だった。すっかり日は落ち、アスファルトが雨の名残で黒く光っていた。


「ここは「須弥倉クリニック」のビルじゃありませんよ、ボス。この駐車場と建物は「蘇命会病院」……つまり敵のお膝元のど真ん中です」


 私は絶句した。まさかそんなところに連れて行かれていたとは。


「困るんですよねえ、せっかく石さんたちが「蘇命会病院」絡みの調査からボスを外したってのに、一足先に潜入してちゃあ」


「私だって好きで潜入……ごめんなさい。私また、みんなに迷惑をかけちゃったのね」


「まあ、学習してもらうほかないですね。こう道草ばかり食われると、ボスに監視をつけなくちゃならなくなる」


 私が項垂れていると、ふいに黒い犬が「ワン!」と泣いて飛び跳ねた。


「あ、そうそうワンコちゃん、あなたが助けてくれたんだものね。……でもあなた、いったいどこから地下に侵入したの?」


 私が身を屈めて問いかけると、黒い犬は「う~」と困ったように唸った後、二、三度飛び跳ねて私たちの元を去っていった。


「まあ、彼には彼なりの救出計画があったんでしょう。あまり聞かないでやってください」


 私はもっともだと納得しつつ、妙に事情を分かっているような荻原の物言いに苦笑した。


「とにかく早くここを出なくちゃ。誰かが追ってこないとも限らないし」


 私は冷静さを取り戻すと、駐車場の出口を求めて視線をさまよわせた。と、荻原がふいに口を開いた。


「ボス、離れててください」


「えっ」


「どうやらもう一人、敵がいたようです。巻きこまれないよう、近くの車の陰に隠れていてください」


 そう言い置くと荻原は私の傍らを離れ、駐車場の開けた一角へと移動した。


「……久しぶりだな、テディ」


 闇の中で、低い男性の声がこだました。私は言われた通り、近くに停車してあったミニバンの陰に身を潜めると、そっと端の方から顔を覗かせて様子をうかがった。


「毎度毎度、飽きもせずにせずに探偵の邪魔かい、アーサー」


 荻原が「敵」に向かって呼びかけると、黒々とした闇の奥から染み出すように長身の男性が姿を現した。顔立ちは明らかに外国人で、なぜか片方の目にスコープのついたゴーグルを装着していた。


「私が出るまでもないと思っていたが、早い段階で潰しておいた方がいいと思ってね。何しろ君たち「探偵」ときたら諦めが悪いからね」


「よく言うぜ。今日はどんな新しい「オモチャ」を着けてきたんだい、旦那」


 荻原が距離を保ったまま呼びかけると、アーサーと呼ばれた男性はやおらジャケットを脱ぎ、タンクトップ姿になった。アーサーの露わになった腕を見て、私は思わず声を上げそうになった。右も左も、両肘から先が金属製の義手になっていたのだ。


「貴様の息の根をあっと言う間に止められるよう、面白い仕掛けを用意してきたよ。玩具は好きだろう?」


「あいにくと俺の好きな玩具は数字をそろえたり、金を産んでくれる類の奴でね。人を殺す仕掛けに興味はない」


「そうか。じゃあ、自分が生きるか死ぬか、せいぜい賭けを楽しむんだな。行くぞ!」


 アーサーが叫ぶのと同時に、荻原の姿が消えた。次の瞬間、あたりにしゅっと風を切る音が響き、私の近くで固い物が跳ねるような音がこだました。


「……ニードルガンか。住宅地に配慮して静かな武器を選ぶとは、近頃はマフィアも公共性を重んじるようになったかい」


 荻原が車両の影から姿を現すと、ほぼ同時にアーサーも向かい側から姿を現した。


「最初の一撃をかわしたのはなかなかだったな。だが、次も避けられるかな」


 アーサーが右手を前につき出すのと同時に、荻原の身体がすっと沈んだ。


 ――テディ、危ない!


 私が心の中で叫んだ瞬間、荻原の姿がふっと消え、次の瞬間、アーサーが後方に突き飛ばされるのが見えた。


「ぬうっ」


 アーサーが踏みとどまるような形で体勢を整え、至近距離で身がまえている荻原に再び右腕をつきつけた。


「飛び道具に頼りすぎて基本を忘れたかい、旦那。そろそろ引退のしどきじゃないか?」


 荻原の軽口に改めて自分の腕を見やったアーサーが、はっとしたような顔になった。金属の腕の表面に、緑色の物体がペースト状に貼りついていた。


「射出口を塞ぐとはな。単細胞な貴様らしい戦法だ」


「最近、禁煙を始めてね。ガムの捨て場所に困っていたのさ」


 荻原がしれっとして言うと、アーサーはふんと鼻を鳴らし、嘲るような目になった。


「いいだろう。そんなに近接戦が好きなら、遊んでやろう。こいつでな」


 そう言ってつき出されたアーサーの左腕から、楕円形の金属がせり出し始めた。

 目を凝らして見ると金属が高速で回転を始め、同時に耳障りなうなりがあたりの空気を震わせた。


「今度はホラー映画まがいのチェンソーかい。……いいだろう。来な」


 荻原がそう言い放つのと同時に二人の姿が消え、闇の中で金属がぶつかり合う音がこだました。


「ふふっ、動きが鈍ったんじゃないのか、テディ。女の子のお相手もほどほどにしたらどうだ」


 アーサーの声と共に、再び闇の中から両者が姿を現した。アーサーの左腕から飛び出ているチェンソーは唸りを上げ続け、荻原のサスペンダーが片方、ちぎれてぶら下がっていた。


「ひでえなあ、残った方まで切られたら、ご婦人の前に出られなくなっちまうぜ」


「ほざけっ」


 アーサーの姿が再び消え、荻原が前傾姿勢を取った。私は反射的に目を閉じていた。


 ――テディ。なぜ逃げないの?


 私がそう思った瞬間「うっ」という呻き声と、ばきりという何か固い物の折れる音がした。私が恐る恐る目を開けると、地面に膝をついているアーサーと、背を向け、肩越しに振り返って見ている荻原の姿があった。


 アーサーは顔面に何かを貼りつけているようで、必死で取り除けようともがいていた。


「いつもは当たらねえ新聞も、こういう時だけは役に立つな」


 荻原の言葉に、私ははっとした。アーサーの顔に張り付いているのは、濡らした新聞紙だった。


「……さて、おいたもほどほどにしないと、痛い目を見るぜ、貴族さんよ」


 いつの間にかアーサーの傍まで歩み寄っていた荻原が、どこから調達したのか鉄パイプのような物をアーサーの胸元につきつけていた。


「……むっ?」


 突然、風を切る音が聞こえ、荻原が後方に飛び退るのが見えた。


「近接戦を忘れているのはどちらだね、テディ坊や。それでも元、庸……」


 アーサーが言い終わらないうちに、荻原が動いた。……が、二人の間の空間を何かが切り裂き、荻原の動きが止まった。


「なるほど、クラシックな武器ならお手の物ってわけかい」 


 荻原が幾分緊張を含んだ声で言った。よく見ると首の上にうっすらと血の筋ができていた。アーサーに目を遣ると、ブーツの先端からナイフの刃が飛びだしていた。


「避けきれるかな、私の蹴りが」


 不気味に言い放つと、アーサーが目にも留まらぬ速さで回し蹴りを繰りだし始めた。


「……くっ、畜生っ」


 荻原がじりじりと後ずさるのが遠目にもはっきりと見えた。やがて、車止めに躓いたのか、「わっ」と声を上げて荻原がアスファルトの上に後ろざまに倒れた。


「くくく、いいざまだテディ。いささか物足りないがとどめを刺してやろう」


 アーサーは勝ち誇ったように言うと、ナイフの付いたブーツで荻原に狙いを定めた。


「……死ね!」


 もう駄目だ、私がまたしても目を固く閉じた、その時だった。「がっ」という呻き声がしてアスファアルトの上で足踏みする音が聞こえた。


「……とどめを刺す時は、相手の切り札がもうないか確かめておくもんだぜ、貴族の旦那」


 私は恐る恐る目を開けると、二人を見た。アーサーのスコープに、何か丸い物体がめり込み、ゴーグル全体がショートしたように火花を散らしていた。


「なんせこれまで散々、貢がされてきたからな。たまにはこいつにも役に立ってもらわないと」


「くそっ……こんな子供だましの攻撃で……」


 アーサーのスコープにめり込んでいるのは、パチンコ玉だった。


「テディ、今のうちに逃げましょ!」


 私が叫ぶのと同時に、アーサーの両腕から火花が散った。どうやらゴーグルが全身の武器の制御装置らしい。


「オーケイ。ボス」


 荻原が頭を抱えてうずくまっているアーサーを尻目に、駆け出した。背後から「今度会った時はこうはいかないぞ、小僧」というアーサーの憎悪に満ちた声が追いかけてきた。


 私たちは全力で駐車場を横切ると、料金所のバーを潜り抜けて往来に飛びだした。


「助かった……テディ、首の怪我は大丈夫?」


 私の問いに、荻原は「ああ、おかげさまで」と首をさすって見せた。


 さて、どうしようかと考えていると、ふいに一台の車両が私たちの横に滑りこんできた。


「ああ、よかった。無事だったんですね。二人とも。……さ、乗ってください」


 開いた窓から顔を出したのは、大神だった。


「大神さん、どうやってここを?」


「どうやってって……ひどいなあ、さっき僕が身を挺して……あ、そうか」


 突然、荻原がくすくすと笑いだし、大神が詰まらなそうな表情を浮かべた。


「ま、いいや。とにかく乗ってください。今日は色んなことがありすぎたから、明日からまた、調査方法の練り直しです」


 大神にうながされ、私と荻原は年代物の車両に乗りこんだ。車が動きだし、窓から空を見上げると、不穏な夜に似つかわしい満月が白い光を放っていた。


「おい、見ろよウルフ。満月だぜ」


 荻原が言うと、ウルフは「勝手に見たらいいでしょう。ご免ですよ、お月見なんて」と吐き捨てるようにように言った。


 奇妙なやり取りを聞きながら、私は車の後部席で自分の浅はかな行為が思いがけぬ事態を引き起こしてしまったことを、ひたすら後悔していた。


             〈第二十三回に続く〉

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