第23話 ボスに無慈悲な部下の所業
「おはようございま……えっ?」
午前八時三十分。いつものように無人のオフィスを思い浮かべつつドアをくぐった私は、予想外の光景に目を瞠った。
「みんな……何でこんなに早く、来てるの?」
私は思わず壁の時計を見た。自分が勘違いして遅刻したのではと思ったからだ。
「おはようございます、ボス」
石亀が席を立って挨拶すると、他の調査員たちも席を立ち、石亀に倣った。驚いたことに、その中には荻原の姿もあった。
「お、おはよう……今日はいつもと感じが違うけど、何かあったの?」
私は自分の席にたどり着くと、近くの石亀に聞いた。石亀は一瞬、眉を寄せて宙を見た後、おもむろに咳払いをして見せた。
「……ボス。これから私が言う事をよく聞いて下さい」
そう言う石亀は全調査員に目線をやった。私は胃のあたりが重くなるのを意識した。
「ボス、これから申し上げる内容は、我々調査員一同の合議による統一見解だと思ってください。……汐田絵梨所長代理を、今日付をもって「浦野医師失踪事件」の調査より解任します。加えて複数回に及ぶ単独行動により、一週間の出勤停止と自宅謹慎を申し渡します。……よろしいですか?ボス」
私は一瞬、状況が把握できず、頭の中が真っ白になるのを感じた。他の調査員たちを見ても、皆、一様に表情は硬かった。金剛は幾分、不服そうではあったが黙って項垂れ、大神は私と目が合うと気まずそうに下を向いた。
――そうか、やっぱりそういうことなのか。
私はこみ上げるものをぐっと飲み下すと、石亀に向かって頷いた。
「わかりました。謹慎処分ということですね」
「そういうことです。決して悪意からではなく、状況自体が深刻になっているための苦渋の決断でもあるのです。ここから先は浦野医師がいると思われる「訓練施設」への潜入が中心となります。そうなると正直、我々にもボスを守れる保証はなくなります。ここまで来て無念の思いもおありでしょうが、そう言う次第ですのでどうか悪く思わないで下さい」
私は黙ってうなずいた。石亀は決して悪くない。もちろん、同意した他の調査員もだ。
「ええ、わかってます。あれだけ勝手なことをして、皆を危険な目に合わせて、何がボスだって自分でも思ってます。でも……」
私は嗚咽を堪え、言葉をついだ。言うべきことも言えないようでは本当にダメ人間だ。
「ようやく探偵という仕事の空気にもなれて、自分なりに努力しようとはしてました。……ただ、軽はずみな行動が多かったことも事実です。本当にごめんなさい」
私は深々と頭を下げた。金剛と大神が何かいいたげに顔を見合わせたが、石亀が目で制した。
「……ボス、そういうわけで申し訳ありませんが、このまま退社願えますか。ここからは私が代理の代理という形で指揮を取ります」
私は頷かざるを得なかった。浦野医師の居場所を特定するところまで関われたのだ。上出来と思うしかないではないか。私はのろのろと帰り支度を始めた。
たった一週間で馘首同然の扱いを受けるなんて、社会人としても最低だ。家に帰っても家族に笑われるに違いない。
「それじゃあみなさん、あとはよろしく」
私は今一度、「部下」たちに頭を下げた。
「……ボス!」
身を乗り出しって口を動かしている金剛に、私は最後の注意を告げた。
「私が言えた義理じゃないけど……命を大切にしてね」
私はそう言うと身を翻してオフィスを出た。
※
まっすぐ家に帰るつもりが、気が付くと私は探偵社から駅二つ分しか離れていない地区で下車し、訪れたこともない児童公園でベンチに座っていた。
――私が探偵なんてやっぱり、無理があったのかな。
半分脱げかけたパンプスをつま先に引っ掛け、ぶらつかせているとまるで自分がいっぱしのOLだったかのような感覚になった。
――なにが後継者よ。その気にさせて、突き落とすなんて。
私はこの一週間の我が身を振り返り、溜息をついた。ボスなんて呼ばれていい気になって、聞きこみや尾行の真似事なんかして……やっと仲間のこともいくらかわかってきたっていうのに、あと一歩ってとこで……それとも、あと一歩だから?
私は空を見上げた。大小の鳥がそれぞれ群れを成して行き交っているのを眺めていると、またしても嗚咽がこみ上げてきた。
――鳥にだってそれぞれ、目的地があるんだ。私は一体、どこに行けばいいんだろう?
感情が堰を切ったように溢れ、気が付くと私は両手に顔を埋め、大声で泣いていた。
――馬鹿だ、私は。なんてことをしてしまったんだろう。せっかく信用してもらっていたのに、それを自分から台無しにしてしまった。何がボスよ。ボスなら真っ先に部下のことを考えて行動するものじゃない。私は好奇心に負けて先走ってしまった。まるで子供だ。もっと部下を信じて大きく構えていればよかったのだ。
脳裏に金剛や石亀の顔が次々と浮かび、後悔の念が波のように押し寄せてきた。
――もう辞めよう、探偵なんて。所詮、、私はただの女の子だ。みんなのようなすごい力があるわけじゃない。このまま続けていれば、どのみち足手まといになるに決まっている。叔父さんには申し訳ないけれど、見込み違いだ。私はボスと呼ばれるような人間じゃない。
私が俯いて自分を極限まで卑下しきった、その時だった。ふと気づくと傍に誰かが立っている気配があった。顔を上げると、見覚えのない中学生くらいの女の子が立っていた。
「……お姉さん、たくさん泣けた?お家に帰れないのなら、しばらく私と遊ばない?」
〈第二十四回に続く〉
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