6話 追憶を抱えて進む

 拓深が着せかけた毛皮が咲織の姫を少しでも隠してくれることを願いながら、ふたりは神喰の軍の後ろを進んだ。

 拓深は倒れた神喰の手から鉄の剣を拾いあげる。


 板塀の下を通る水路は、五つの門からそう離れてはいない。

 門を挟むようにして、十の水路。それぞれが五つある貯水池へ流れ込むようになっている。


 雪の深い季節は使用せず、家や道からかきわけた雪を、ここに落とす。

 水路は腰ほどの深さだが、今はすべて雪に埋まっている。


 板塀を焼く炎は広がっていく。

 剣や槌を振るう音が響く。

 神垣の兵がそれに応戦しているが、燃える板塀はもろく、神喰が踏みこむのも目前だった。


 水路を支える板木の杭が、土塀の近くに、少しだけ雪の上に顔を出していた。

 身をかがめてそこへ近寄ると、拓深はおもむろに剣を地面に突き刺した。

 何度か繰り返してようやく、人ひとりがそこへもぐりこめるだけの道ができる。


 神喰たちに踏み固められた雪を、鉄の剣を杖のかわりに突き刺して砕きながら、かきわける。

 深い雪をかきわけながら進むのに慣れているトリでも、身を隠しながら進むには困難だった。


 手助けをしようとする咲織の姫を、彫り越した雪のわずかな隙間に屈ませて、拓深は剣の柄を握り締める。


「いいからあんたは何もするな。隠れてろ」

 咲織の姫にできるのは、拓深がかき分けた雪を、邪魔にならないよう後ろへおしやるくらいだった。

 剣を淡々と振るい、道を切り開く拓深の背を見上げながら、咲織の姫は考えていた。


 何故、名を教えたのだろう。


 ――あなたが春を謡う日が楽しみだ。

 ふいに、誰かの声が聞こえた気がする。


 力強い笑みが好きだった。

 時々意地悪でひとを振り回すけれど、心根がまっすぐなひとだった。

 いとおしむ気持ちと悲しみがあふれてくる。


 人のためにあらねばと頑なな自分を受け入れてくれた。

 勝手にわたしを助けて、そのせいでいなくなって、ずるい。思ってから、咲織の姫は首をかしげた。


 剣をふるう拓深の背を見上げる。

 いなくなったなんて、会ったばかりの拓深に思うなんておかしなことだ。

 それなのに、水の宮で目を覚ましてから、心の奥で眠っていた何かも目を覚まそうとしている気がする。

 魂の奥底で眠っていた何かが。


 この神垣に生まれ落ちて、皆の期待を背負って、できることを懸命にやって来た。

 それが務めだと信じていたし、自分の望みだった。生まれた時から、ずっと変わりはない。


 けれどそれだけじゃない。ずっと、違和感があった。

 何かを待っている気がしていた。そのために生まれた気がしていた。

 ずっと抱いていた疑問が、強くなっている。


 ――もしこの地を去ることがあっても、また帰ってくるわ。必ず。


 誰かへ言った言葉だ。

 果たして本当に自分が口にしたのか、相手が誰だったのか、曖昧だけれど。


 ――わたし、またあなたに会うわ。今度はただの人として、あなたと出会うわ。


「お前ら、何やってる!」

 突然、声が降って来た。

 見上げる前に、拓深が立ち上がる。咲織の姫を後ろに隠すようにすると、自分の頭巾を目深にかぶって顔を隠し、神喰へ言った。


「珠纒の兵を脅して聞きだした。ここに水路があるから、門を破らずとも中に入れると」

「なんだと」


 神喰が、拓深が掘り進んできた雪の跡を見て、水路の先を見た。

 その隙に、拓深は手にした剣を両手で持ち、神喰の腹に突き刺した。

 少しの迷いもなかった。神喰が声を上げる暇すらなかった。


 血が剣をつたい、柄から雪の上に滴り落ちる。

 踏み荒らされ、血と泥に汚れた雪の上に。

  拓深が剣を引き抜くと、支えをなくした神喰の体が、咲織の姫の近くに倒れこんでくる。


 例え神垣を襲った敵でも、人の死はつらい。

 声を無くした咲織の姫に、拓深はちいさく笑った。


 彼が何も言わないのは、覚悟を決めているからだった。

 咲織の姫は、その背中に庇われて、今は何もできなかった。唇を噛みしめる。


「頭を下げろ。少し待たないと、先に進むのは無理だ」

 拓深が木枠にもたれるようにして、咲織の姫を引き寄せた。


 ひときわ大きな音と喚声があがる。

 間近の門が破られたようだった。神喰たちが一気に門へと押し寄せていく。


 焦りに手が震えるが、拓深を急かすことなどできない。

 水路を進んで板塀へ近づくほど、危険が増す。水路に屈みこんでいると、頭上間近を神喰たちが駆けて踏み荒らして行くようだった。


 彼らが少しでも間近からいなくならないと、見つからずに先に進むのは難しい。

 けれどそれは、神垣の危険が増すのを待つことになる。もどかしくて、悔しい。


 この争いを、なんとしても止めなければならない。

 かつて国を滅ぼしたような争いへと広がる前に。


 ※


 鋼牙は門扉を破った神喰たちに紛れて、神垣の内側に駆け込んだ。

 燃える家々の間を、足を引きずるようにして歩く。


 火矢が容赦なく降り注いで、家々が黒煙を上げている。

 燃える家に雪をかけ、打ち壊して、炎を防ごうとする神垣の人々と、神喰を向かえ討つために駆けていく兵たちと、逃げ惑う人々で混乱していた。

 悲鳴をあげて、内に内にと人々は駆けていく。


 炎にあおられた戦の亢奮こうふんが膨れ上がっていた。

 縄をうたれた垣離えんりの少女を連れた鋼牙のことなど、周囲の大人たちは気にしていない。

 鋼牙たちを追いこして、ただただ剣を掲げて、前へ前へ駆けていく。


 突然、胸を強い衝撃が突いた。立っていられなくて、雪の上にひっくりかえる。


 なんとか目を動かしてみると、矢が胸に突き刺さっていた。

 もう痛みの感覚がない。息を吸うと、血が口からあふれる。


 満秀のところに、神垣の兵が駆けてくる。

「大丈夫か!?」

 手にした青銅の剣で縄を切って叫んだ。

「早く逃げろ!」

 雪崩のように駆けこんでくる神喰の軍へと向かっていく。


 足音が地響きのようだ。

 けれど満秀は、鋼牙のところで立ち止まったまま、見下ろしている。


「どういうつもりだ」

 自分でも分からない。


 ただ、俺は。

 これ以上、何かを奪うのは、いやだった。ただの罪悪感だとしても。

 いま庇ったところで、満秀がこの混乱を生き延びることができるのかわからない。でも目の前で殺されるのはいやだった。


 今まですべてが悪事だったなんて思いたくない。それはあんまりだ。

 ただ、やり方を間違えた。俺たちは、やり方を間違えだけだ。


 国がよみがえるためだと信じていた。

 この思いには嘘はない。大人たちが何を考えていようとも関係ない。


 雪は清めだと巫女姫は言った。

 何が本当かもうわからない。巫女姫の言うことが正しいかどうかなんて、たぶん誰も分からない。


 だが国はよみがえるのだとも、巫女姫は言った。

 それならもう、なんでもいい。


 いつか昇る太陽を見ることはかなわない。それだけが心残りだ。


 ※


 自由になった手を握り締めて、満秀は立ち尽くしていた。

 動かなくなった少年のうつろな目を見下ろして、ただただ苛立ちが心の中に満ちている。

 答えがないのなんて分かっているのに、吐き捨てた。


「償いのつもりか」

 そんなことに何の意味もない。鋼牙が分かっていなかったとは思えない。

 ふつふつと腹の底に怒りが湧きあがってくる。


 里を滅ぼされ、たったひとつ残った守夜を殺され、もう失うものなんてない。

 もう望みなんてない。生きたって何になる。それなのに、こんなことをするなんて、本当に腹が立つ。

 残った命ひとつで、どうしろというのだ。


 周りの喧騒が膨れ上がって、地響きが聞こえた。

 怒涛のような音は、満秀の横を通り抜けた。神喰の軍の、馬に乗った者が何人か、神垣の内側へ駆けていく。


 その中に見覚えのある男がいた。頬の紋様のほかに、額に印のある男。

 王と呼ばれていた男。


 満秀はもう一度、鋼牙を見下ろす。

 虚ろな目を見て、歯をかみしめ、踵を返す。雪を蹴り上げて、駆けだした。


 馬を追いながら、雪の上に落ちていた弓と矢を拾い上げる。

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