6話 望郷と決意

 応えない都波に、拓深は小さく溜息をついた。都波の凍った髪を、いつものようにくしゃくしゃにかき混ぜて言った。


「どうする、このまま帰るか」

 帰りたい。

 椿の玉垣に囲まれた、小さな神垣に。大池のそばの、鎮守の森の社に。いつも都波を守ってくれる司のそばに。

 神垣の皆は都波に遠慮がちでよそよそしいけれど、都波を陥れたりはしない。


 でもあの神垣は、神喰に襲われて焼けてしまった。帰ることは、神垣が滅びるのを受け入れることになる。

 何より、帰っても、颯矢太はいない。トリの旅に出たのではなくて。だから帰ってこない。おかえりを言えない。


 ――何のために、ここまで来たの。

 ここに来て得た結果は、颯矢太と離れ離れになっただけ。何よりも大事な手を失っただけ。

 ――そんなことのために、ここまで来たの?

 そんなわけがない。


「……まだ帰れない」

 都波の願いをかなえてやりたいと、颯矢太は大駕に言っていた。トリとしてするべきでなかったことなのに、都波のために一緒に来てくれた。

 ここまで颯矢太が連れて来てくれた。だけどまだ。


 都波は雪の中に手をついて、顔を上げた。涙が次から次へとこぼれてきて、手の甲に落ちるけれど、凍えて何の感覚もない。

 雪風巻ゆきしまきで夜の闇さえ払われて、真っ白で何も見えない。


「わたし、まだ何もしてない」

 颯矢太に頼りきりで、まだ何もしていない。

 泣き帰っても、みんな一緒に雪の中で死ぬだけだ。颯矢太がここまで一緒に来てくれたことも、全部無駄になる。


 まだなにもできていない。あきらめるほどのことを、何もしていない。

 咲いた桜を見ることはできなかった。凍つる桜は咲かなかった。

 どうやったら、国をよみがえらせることができるのか分からない。

 ――だけど、巫女姫はどこかにいる。


「咲織の姫を見つけないと」

 珠纒の人々は、巫女姫を頼りにしていた。みんなが都波に対して払った敬意は、咲織の姫に向かったものだった。


 逃がしてくれた巫女も、咲織の姫を見つけてほしいと言っていた。

 颯矢太は、珠纒の里長のことを神喰だと言った。

 何が起きているのか分からないけれど、珠纒は何かに巻き込まれようとしている。あんなにたくさんの人が暮らしていた神垣に何かがあれば、たくさんの人が苦しむことになる。


 都波と同じように、不思議を背負って生まれた巫女姫。何かを知っているかもしれない。何も知らないかもしれない。だけど、きっと意味がある。


 都波はいつも池野辺で一人、椿の下で膝を抱えていただけだった。みんなと同じようになれないのが寂しくて。

 だけど咲織の姫は、生まれついたものを嘆くのではなくて、それを力にしてみんなを助けていた。


 同じようにふるまえていたら、池野辺はもう少し違う結果になっただろうか。優しい司や颯矢太に甘えるのではなくて、自分でもっと何かをしようとしていたら。

 ――そして、何よりも。


「颯矢太を探す」

 はっきりわかるまで、信じない。生きてる。

 探しにいく。いつものように、おかえりを言いたい。

「颯矢太は、大丈夫よね?」

「そう願うよ」

 いつも気楽なようで、適当なことを口にしない拓深は、簡単に請け負いはしなかった。


 雪の中に出た人が戻らないことは珍しいことじゃないと、前に言っていた。拓深は都波よりもずっと、この国の厳しさを知っている。

「あいつは、お前をほったらかして、簡単にあきらめたりしない」

 頷いて、都波は大駕を見上げた。


 誰よりも颯矢太を案じているはずの大駕は、何も応えなかった。唇を引き結んで、難しい顔で都波を見ただけだった。

 こんなことに颯矢太を巻き込んだ都波に、憤っているのかもしれなかった。険しい顔のままで言った。


「俺は珠纒に戻る。里長の様子をうかがっておく」

「危なくないの?」

「埋み門から戻って、潜んでおく。珠纒には雪人も多くいるから、まぎれられるだろう」

「でも」

 都波が引きとめるのを聞かず、大駕は珠纒に引き返していく。その背を見送って、拓深は不信そうに言った。


「お前、どうやってどこから出てきた」

「正面じゃないところに、小さな門があって……」

「なんで大駕さんはそれを知ってるんだ」

 分からない。なぜ拓深がそれを気にするのかも。珠纒のトリに教えてもらったのだと思っていた。

 どういうことか問おうとした都波を制して、拓深は雪の中に目を凝らした。


「――誰か来る」

 拓深の言う通り、雪の向こうから、歩いてくる人影があった。颯矢太かもしれないと少し思ったけれど、違うのはなんとなく分かっていた。


「こんなことになっているんじゃないかと思ってた」

 都波たちのところに辿り着いた篝野は、涙にぬれた都波の顔を見て、あきれたような、あわれむような声を出した。

「だから言ったじゃないか。珠纒へ行くなと」

 都波の前に立って、拓深は篝野に意地悪く言った。


「折よく現れたな。なんだお前は」

「俺が巫女姫をここまで案内した。俺はトリだが、珠纒とこの近隣の神垣しか行き来しない。珠纒の周囲を見回るのが役目だから」

 そうだ、この近くにいると言っていた。咲織の姫のために働くと。


「珠纒で何が起きてる。都波の話じゃ要領を得ない。都波を案内したのなら、珠纒を知っているんだろう」

「ひとつきほど前までは、俺も珠纒にいた。今は戻れない。戻れば殺されるかもしれない」

 戻れないとは言っていた。だが、殺されるとはどういうことだ。

「頼みがある。どうか、咲織の姫を助けてくれ」

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