第五章 導きの鳥
1話 雪人の神垣
雪の中に、柱と冠木だけの、扉もない小さな門がある。
神垣の赤い門よりも、巫女の社へ続く道にある門に似ている。門の脇から簡素な板塀が伸びていて、その板塀の向こうには、いくつかの建物が見えた。
篝野の後ろについて門をくぐると、吹雪は消えて、ちらほらと舞うような雪だけになった。地面にうっすらと積もる雪は、歩けば靴の裏に張りついて剥がれる程度のものだ。
泣き腫らした目が、まぼろしを捕えているのだろうか。
「ここは、神垣なの?」
都波は、誰に問うでもなく口にした。だけど言葉にしてから、何か違う、と気づく。
門の脇に立つ見張り番が、笑いながら言った。
「そうと言えばそうだし、違うと言えば違います。巫女姫」
声の主を見ると、背の高い女が立っていた。
肩にかかる明るい赤茶色の髪、愉快げに笑う瞳は、金茶。今は毛皮の外套を着ているが、見覚えがある。
「あなた、珠纒で会った……?」
「そうです。里長の御館までわたしがご案内しました。珠纒の巫女から、巫女姫を外へ逃がすから助けてほしいとの言付けを預かったので、こちらに参ったのです」
「雪人が見張りに立っているの?」
そんなの、見たことがなかった。
それに、この板塀の中を歩いているのは、都波のような黒髪と黒い瞳の里人ではない。颯矢太や、この見張り番と同じ、雪人だ。
「このようなことになって、珠纒へ来られた折にお止めするべきだったかと悔やんでいます」
「そんなこと! あの時止められたって、わたし聞かなかったと思う。篝野にも何度も珠纒にはいくなって言われたけど、聞かなかったもの」
「慎重を要したため、篝野もわたしも事情をお話しできなかったのです。お許しください」
女の言葉に、先を進んでいた篝野が、足を止めて振り返った。
「そんなところで話し込んでないで、さっさと行くぞ」
「篝野、巫女姫に無礼だろう」
見張り番の雪人が、腰に手を当てて忠告した。篝野はにべもない。
「俺にとっての巫女姫は、咲織の姫だけです」
「そういうことじゃないんだよ。敬うべき方には相応の礼を持てと言っているんだ。そんなんだから、咲織の姫にも子供にしか見てもらえない」
篝野はあからさまに不機嫌な顔で雪人を見た。
「からかうのやめてください。遊んでる場合じゃないんですよ。
「ああ、宮にいるだろう」
どうも、と篝野は言い置くと、さっさと歩き始めた。成り行きを見ていた都波を、後ろから拓深が小突く。篝野を追いかけて、都波は小走りになった。
「篝野、ここは何なの」
「ここは日の宮の跡」
そっけない口ぶりで、篝野は言う。
「かつて日の神を祀っていた宮があったところだ」
地面に屋根をかぶせたようないくつかの住まいが並んでいる。池野辺の神垣を思い出させるようだった。けれどもっとずっと小さな集落だ。
池野辺は小さいと言っても、神垣そのものは山を囲んで大池と畑もある。ここには、いくつかの住まいと、背の高い社のようなものがひとつあるきりだ。
「珠纒はもともと、滅びた都の跡に出来た神垣だ。都の周辺には、神々を祀るためのたくさんの宮があった。ここはそのひとつ。ここには、珠纒の駅舎と同じように、トリにならなかった雪人や、トリをやめた雪人が住んでる。神垣の人間はここを知らない。雪の中には出られないからな」
へえ。と都波は声を上げる。暗く沈んだ気持ちにも、トリや雪人の秘密は都波の心をゆさぶった。
雪人だけの神垣。確かに、そんな場所があっても不思議はない。都波は仮駅のことも知らなかった。
篝野が言うように、神垣の人間は、自分の住まう神垣のこと以外、他の人々の確かな存在も場所も、トリに伝え聞いたことでしか知ることができない。
ここのように、知らないことや隠されていることはきっとたくさんある。
「そういう場所があるとは聞いたことがあったが、来たのは初めてだな」
拓深が思わずのようにつぶやいた。都波よりも拓深の方が驚いているように見えた。
「ここを知る者はそう多くない。万が一にも噂が広まって、神喰や里人に知られたくないんだ。それに人があまり増えると抱えきれなくなってしまうから。雪人でも、知り得ないままの者もいるだろう」
もし皆が知っていたら、颯矢太が池野辺の神垣に来ることはなかったかもしれない。
篝野は歩をゆるめることなく、まっすぐ進んでいく。門から伸びる道の先にひとつだけ、背の高い建物があった。床が高く、
篝野が中に声をかける前に、扉が開いて、中から壮年の雪人が出てきた。手の甲に、八咫烏の文様がある。
「ああ、篝野、戻ったのか。無事に巫女姫を見つけられたようだな」
「直杜さん。吹雪がすごくてだめかと思いましたが、なんとか」
「とにかく上がってこい。そのままでは巫女姫が寒いだろう。中で話そう」
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