4話 知らない顔


 洞窟に戻ると、神喰の少年はぐったりとして、奥の壁にもたれて座っていた。雪の中で倒れていたのに、急に動いて平気でいられるわけがない。

 拓深はその前に立ちふさがるようにしていて、颯矢太は疲れ切った様子だったけれど、戻ってきた都波を見てほっとして笑った。


「探しに行くところだった」

「颯矢太、大丈夫?」

「ああ、殴られたりしてないから、大丈夫。拓深さんの方が手が痛そうだよ」

「拓深は意地が悪いから、しかたないね」


「お前たちうるさいぞ」

 拓深がめんどくさそうな声を出した。都波は奥へ向かうと、拓深の横に膝をつく。神喰の少年の前に座って、目をあわせた。


「ねえ、あなた、名前は?」

 神喰の少年は、鋭い目で都波を睨みつけた。気持ちは萎えていないのだと言うように。

「俺を捕えてどうするつもりだ」

「捕えたりしない。雪の中で倒れていたから、一緒に連れて来たのよ」

「嘘を言え!」

 都波に食ってかかろうとした神喰の少年を、拓深が足で乱暴に押し戻した。


「嘘じゃない。別に縄で縛ったりしないし、逃げたければ逃げればいい。その怪我で行き倒れない自信があるならな」

 少年は歯を食い縛り、眉をしかめた。顔の紋様が歪んで、苦悶の表情に見える。


 拓深は都波を見下ろし、入口に立ったままの満秀を見て、やれやれと溜息をついた。

「お前たち、さっさと飯を食え。万が一別の神喰が近くにいたら面倒だ。すぐに発つぞ」

「いると思う? またたくさん?」

「こいつが生きているんなら、他に生き残りがいてもおかしくない。池野辺で起きたことを神喰が知ったら、どうなるかあまり考えたくはないな」


 神喰は何でも壊していくと満秀は言ったし、本当にそうなのだろう。

 けれど、彼らが何よりも嫌うのは、神の残り香。それにすがる人々だ。

 だから池野辺の里長は恐れ、椿の神秘を隠した。それでも彼らは嗅ぎ付けて、池野辺を襲ってきた。

 さらなる神威が仲間を襲ったと知ったら、どうするか。


「なんとかしなきゃ」

「とりあえず先に進むしかないだろ、焦るな。お前は余計なことを考えずに、まず飯を食え」

 拓深は、焚火の横でおいしそうな匂いをさせている干し肉を指さした。




 神喰の少年は怪我が思ったよりもひどく、馬に乗せていくことになった。馬にくくりつけていた荷物を拓深と颯矢太が分けて持つ。

 一度、神喰の少年が馬を奪って逃げようとしたけれど、真っ先に守夜が駆けつけた。犬の咆哮に馬がおびえて足を蹴りあげ、少年を放り出して、逃亡は失敗に終わった。

 雪の上でなければ、余計に酷い怪我を負ったに違いない。


「逃げるのはいいが、馬は置いて行け。恩知らずめ」

 雪の中にひっくり返った少年を見下ろして、拓深が意地悪く笑った。傷の痛みにか、諦めたのか、神喰の少年は今は大人しく馬に揺られている。


 どんよりとした空は変わらず、雪が深くなってきた。

 都波はとにかく皆に遅れないよう、懸命に進んだ。とにかく歩くのに必死で、どれだけ時間がたったのか、どれだけ進んだのか、分からなくなった。


「ちょっと待て」

 不意に拓深が声を上げる。

 足元にばかり気を取られていた都波は、立ち止まった拓深の背中にぶつかりそうになった。

 ちゃんと片手をあげて合図をした拓深は、都波をあきれて見ている。都波は頬をふくらませたが、文句は言わなかった。不注意だった都波が悪いのは分かっている。


「一旦二手に分かれよう。俺と満秀とこいつは、このまま進む。お前たちは別の道を行け。しばらく先に、身を隠せる岩場があるの知ってるな。そこで天幕を張って待ってる。明日合流しよう」

「急に、どうして? もうすぐ……」

 神垣につけると言っていたのに。続けようとした都波の先を制して、拓深は言った。


「俺はいかない。颯矢太、都波と行って来い。垣離の娘と神喰を連れてたら、満秀を池野辺に連れ帰った時の騒ぎの比じゃない。俺たちまで追いだされる」

「それなら、わたしも一緒に先を急ぐ」

「都波」

 颯矢太が、たしなめるように言った。

「都波はちゃんと休んだほうがいい」

「でも、わたしたちだけなんて……」

「都波は外がはじめてなんだ。休みながら進んだほうがいい。俺は、都波を珠纒に連れていくと約束したんだから、ちゃんと都波を無事に連れていく」


 足手まといなのは分かっていたから、都波は言い返せなかった。颯矢太の名誉にかかわると言った大駕の言葉がのしかかる。

 荷物はほとんど拓深たちが持ってくれているのに、体中が痛かった。すぐに止まれなかったのは、足が上がらなくなってきていたからだった。


「本当に、わたしが巫女姫だって明かしても、大丈夫なのかな」

 独り言のようにつぶやいた都波に、拓深は淡々と言った。

「大駕さんがせっかく先触れに立ってくれてるんだ。無駄にするな」

「でもやっぱり、わたしがいることがわかったら、その神垣が神喰に狙われるかもしれない」

 拓深は神喰の少年を振り返った。


「お前がいようがいまいが、神喰は神垣を狙っている。神垣の場所を把握しているのなら、その時点で標的だ。お前にはかかわりがない。それに、神垣で育ったんだから、知ってるだろう。神垣の人間は何よりも外から来るものを嫌う。身を明らかにして、それが確かだと思ってもらえないと、身ぐるみはがされて追放されるのがおちだ」

「そんなひどいこと……!」

「する。どの神垣だって貧しい。使えるものは剥ぎ取って、いらないものは捨てる」


 外のものは穢れだとみんな思っている。だから、悪しきものに何をしても問題ないと考えるかもしれない。

 でも、その考え方は、神喰と、どう違うのだろう。


 うつむいて黙りこんでいると、拓深は続ける。

「それと、食料をもらって来い。十分に持ってこられなかったし、頭数が増えたからな。巫女姫になら快く分けてくれるかもしれない」

 食料は拓深の言う通りで、神喰の少年を助けると言った都波にも責がある。

「……分かった」

「よし」

 拓深は厳しい顔をやめて、いつものように唇の端をつり上げて笑った。子供にするように、都波の頭をぽん、と軽くたたいた。

「俺は途中までしか珠纒への道を知らない。先導になってくれそうなトリがいればいいがな」





 颯矢太と二人になってしばらく進んだ先だった。辺りがどんどん暗くなってきて、不安になっていた頃。

 真っ白な雪原に、赤い門が染みのように見える。灯火のようだ。少し進むと、玉垣も見えた。その後ろに、三角の屋根の群れが見える。

 人の手が作ったものだ。雪の中をひたすら、大きな山や木を見ながら歩いてきた都波にとって、それだけでも嬉しかった。


「神垣なの……?」

 嬉しさと違和感がないまぜになって、不安な声が出た。茶色の垣根は、緑のみずみずしい池野辺の椿とは違う。

「あれは、卯ノ花の神垣だ。あの神垣の玉垣は、空木うつぎだよ。元は魔除けに植えられたものだって。冬には葉を落とすから、葉が芽吹くのはもう少し先になる。桜の後に、白い花を咲かせるんだ」

「白い花? 小さい花?」

「尖った花びらで、掌くらいの花がたくさん咲く。玉垣に雪が積もってるのかと勘違いするくらいにね」

「見てみたかったな。残念」


 あの枯れ枝に葉がついて、白い花でいっぱいになるのを想像する。

 今まで颯矢太からたくさん旅の話を聞いていたけれど、本当に目にするとやっぱり違う。

 神垣の中にいては見られないようなものをたくさん知っている颯矢太がうらやましかったし、ここが一番きれいな時を見てみたかった。

「空木は神垣の中にたくさんあるんだ。池野辺に椿がたくさんあるのと一緒だよ。空木は強いから、家の建材とかに使う」

 池野辺が、椿を衣服に、染料に、油に使うのと同じだ。


 颯矢太に掴まって、懸命に歩を進めるうちに、板木の打ち鳴らされる音が聞こえてきた。

 ふたつ、一息置いて、ふたつ。池野辺とは違う。

 ふたりが近づくと、見張り番の男は板木を鳴らすのをやめた。踏み台を降りて、門の横に立つ。


 赤く塗られた簡素な門は、池野辺と似ている。板木がぶらさがっているのも同じだけれど、形は少し違う。池野辺の門の板木には、椿の紋様が掘られていたが、ここのは何の飾りもない。

 その板木の下を通って、門をくぐる。途端に寒気がやわらいだ。嬉しくて、おもわず息が漏れる。


 神垣の内側は、雪がやんでいた。外も内も雲の覆った空は変わらないのに、神垣の内側はなぜか明るい気がする。吹きすさぶ雪に視界を奪われないからかもしれない。

 颯矢太はいつものように革の手袋をはずして、見張り番に見せた。見張り番は八咫烏の印をみて、颯矢太の顔を見てから、ホッとしたように笑った。


「ああ、颯矢太か。おかえり」

 颯矢太が、別の神垣で同じように迎えられているのは、なんだか変な気がした。違和感というべきか、奇妙な引っかかりが胸の内に浮かぶ。


「ただいま。見張り番、おつかれさま」

「颯矢太、ひとりか?」

「拓深さんと一緒なんだけど、用事があって外で待ってる」

 体にかぶった雪を払い落していると、たくさんの視線に気がついた。遠巻きに様子を見ている人たちがいる。颯矢太たちの会話に耳をそばだてているようだった。

 都波は、目があった子供に笑いかけたけれど、慌てて目をそらされてしまう。


「今日は、池野辺の神垣の巫女姫と一緒だ」

「ああ、先触れが来ていたな」

 大駕がきちんと知らせてくれたようだった。

 見張り番は少し遠慮がちに、織布を頭からかぶった都波の顔を見る。都波は目を瞬いてから、頭から織布を落として、笑いかけた。

 まだ頬が凍えていて、こわばってしまったけれど。


「ええっと、こんにちは」

「寒かったでしょうに、よくおいでになりました」

 池野辺の神垣では誰もしないような、丁寧な言葉に都波はまた目を瞬いた。颯矢太を見ると、笑いをこらえている。

 都波は頬をふくらませながら、歩きだした。


 卯ノ花の神垣には、池野辺と同じように、地面を掘って屋根をかぶせたような家がたくさん並んでいた。

 きっとまっすぐ道の先に里長の館があって、巫女の住む社があって、この神垣を守る御神体があるはずだ。

 池野辺と似ている。でもやっぱりどこか違う。その奇妙な違和感でそわそわしてしまう。遠巻きにひそひそと話す人たちの中を歩くのも落ち着かない。


 トリの住む駅舎だけは池野辺と同じで、四角い箱のような形をしていた。

 木の戸を開けて入ると、温もった室内の空気があふれてきた。囲炉裏で赤々と火が燃え、凍えた体にぬくもりがじんわりと広がる。

 くつろいでいたトリが数人振り返ってこちらを見たけれど、神垣の人たちのような不安の混じった目ではない。


 途端に安堵してしまって、疲れが体中を襲った。体が重くて鈍くて、腕を持ち上げるのも億劫になった。

 織布や毛皮だけじゃなく、藁靴まで脱ぐのを颯矢太が手伝ってくれなければ、そのままうずくまっていたかもしれない。颯矢太は、脱いだものを乾かすために、入り口の掛け金にかける。


 出迎えに来た壮年のトリに、颯矢太が頭を下げた。

「池野辺の神垣から来た、巫女姫です。珠纒まで行きます。一晩一緒に泊まらせてください。珠纒への道がわかる人がいれば、教えてもらいたいんですが」

「ああ、池野辺のことは聞いた。大変だったね」

 ありがとう、と言うべきか、平気、というべきか。頭がまわらなくて、都波は首をかしげて相手を見上げる。

 応える気力もないと判断したのか、トリは颯矢太に言った。


「あいにく珠纒が経路にある者は今いない。だいたいの方角ならばわかるが」

「それだけでも教えてもらえるとありがたい」

「巫女姫を運ぶとは、また大変な仕事を請け負ったものだな。珠纒へ行ってどうするんだ。珠纒は豊かな神垣だが、縁のない土地を助けてくれるかはわからないぞ」

 思いもよらない言葉に、都波は目を瞬く。助けを求めに行くつもりはなかった。


「珠纒の桜は瑞兆でしょう? 池野辺の神垣を救う手立てが見つかるかもしれないの」

 トリは戸惑った様子で応える。

「だが、桜の話をこれほど喧伝して、神喰に目をつけられないか心配だな。自衛できる確信があるから警告を発したんだろうが」

 確かに、池野辺での出来事や、あの少年の様子を思えば、標的になりかねない。池野辺の里長は、それを恐れて椿のことをトリに口止めしたのだから。


 颯矢太は都波を囲炉裏のそばに座らせて、自分は外套を脱がないままで言った。

「都波、俺はここの里長に挨拶しないといけない。大人しく待ってて」

「わたしもいく」

「本当はその方がいいんだろうけど、都波は疲れてるだろうから、休んでた方がいい」

「でも、ここの神垣の司にも会いたいし、神垣の中を見てみたい」

 立ちあがろうとしたが、体に力が入らなかった。

「ほら、大人しく待ってろ。あとで暖かいもの食わせてやるから」

 颯矢太まで、拓深みたいに子供扱いする。


 置いていかれて、都波はむくれて焚火のそばに座っていた。

 膝を抱えていると、見かねたトリが暖かな薬湯をくれた。空木の葉を乾燥させて煎じたものだという。

 ふうふうと息を吹きかけて、暖かなものを口に入れると、体の内側からぽかぽかになった。こわばっていた体も、気持ちも少しほぐれていく気がする。


 火が揺れるのをみていると、うとうとしてしまう。体を支えていられなくて、うずくまるようにして横になる。

 颯矢太が戻るのを待っていなきゃと思いながら、都波は眠りこんでいた。

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