3話 略奪の真正

 垣離の入り口に着き、王が何かを指示して、神喰たちが二手に分かれた。

 大勢が駆けて行く。

 ――どこかを襲うつもりか。


「止めないと」

 身を起こして木の陰から出ようとした満秀を、拓深が引っ張って抑え込んだ。


 神喰を止めないといけない。それは分かっているが、今はあまりにも無茶だ。

 どこが襲われるのかもわからない。近くに神垣があるはずだが。

 知らせに走ることはできるだろうか。だが、正確な場所がわからなければ、神喰の先回りをすることはできない。


 どうすべきか考えている間に、王は馬を降り、垣離の中へ入っていった。里人も後ろに続く。

 雪を避けられる場所に入って、頭巾を脱いだ。その顔がちらりと見える。

 顔に文様がない。


珠纒たまきの里長だ」

 鋼牙の再度のつぶやきに、拓深は眉をしかめた。

「なんで珠纒の里長を知ってる」

「ここはもう珠纒の近くだ。あいつは何度か、俺たちに会いに来た。神垣を襲わないよう、王と話しているのを見た」


 連れらしき者がひとりきり従っている。それだけで、神喰の軍の中にやってくるとは、普通できるものではない。

「神喰が交渉に応じるとはな」

「珠纒は大きい。だから俺たちだって場所は把握している。珠纒を襲わないのは、俺たちにまだ万全の備えができていないだけのことだ」


 いっせいに咲いた桜のことを珠纒が喧伝するのは、備えができるからではないかと言われていた。神喰たちがこうして警戒するくらいには、珠纒は大きな神垣なのだろう。

「珠纒は目障りだ。春を告げる桜は、消さなければならない」

「近頃神喰の動きが活発だと聞いた。もしかして、珠纒を襲う手立てが整って、行動をはじめたってわけじゃないよな」

 鋼牙はむっつりと口を閉ざした。

 そうだ、と言っているようにも、知らないと言っているようにも見える。


 里人らしき男は、残った神喰と少し語り、再び馬に乗って去っていった。毛皮を着た連れがいるように見えるが、何者かわからない。

 神垣の人間は外の歩き方を知らないから、神喰が送り届けるのだろうか。松明がひとつ、雪の中に消えていく。




 突然、守夜が低いうなり声をあげる。拓深は眉をしかめて、雪の中を見遣った。

 人が来る。頭から毛皮を被り、右手に木の杖を持っている。顔に渦を巻くような、赤い紋様が刻まれていた。

 黒い目が拓深たちを見ていた。雪人の金茶の瞳ではない。


 ――しまった、偵察か。

 目の前に気を取られすぎた。斥候がいてもおかしくなかったのに。

 拓深はとっさに下がり、腰の短刀の柄に手を添えた。

 後ろから守夜が吠え、飛び出してきた。剣を抜こうとした神喰に体当たりをする。勢いで、神喰が吹き飛ばされた。


「守夜、戻れ!」

 満秀が叫ぶ。だが拓深は振り返って怒鳴った。

「いや満秀来い! 逃げるぞ!」

 神喰はたぶんトリと同じで、一人では動かないはずだ。偵察ならば、どちらかが倒れた時のために、かたえが必要だ。


 鋼牙と目があった。いつもむっつりと黙っている少年は、驚きに目を見開いていた。

「俺は何もしていない」

 弁明するように言った。

 そうか、と思ったし、どちらでもいい、と思った。身に危険が及ぶのは承知の上で助けた。


 満秀は弓を手に、すぐに拓深の方へと駆けてきた。

 誰かが叫ぶ声がする。守夜に体当たりなどされては、よほどの痛手を被ったはずだが、雪が受け止めたか。

 雪の中を守夜が駆けていた。そのまま神喰に飛びかかる。だが、神喰はすでに剣を抜いていた。


「守夜!」

 ひときわ甲高い鳴き声が聞こえて、それきりだった。

「お前……!」

 満秀が叫んで、雪の中に駆けだしていく。駆けながら弓矢を構えた。


「よくも、よくもよくも!」

「満秀、待て!」

 満秀の放った矢は、虚空に消えた。神喰が満秀に剣を振るう。満秀は後ろに下がって避けて、再び矢をつがえたが、遅かった。

 放つよりも早く、神喰の持っていた杖が、満秀を打ちすえた。倒れた満秀を踏みつけ、蹴りあげる。


 駆けつけようとして、拓深は気配に気づいた。雪の中から、剣が振り下ろされる。――やはりもうひとり。

 剣を避けて、拓深は雪の中を転がる。

 剣に対峙するには、あまりにも多勢に無勢だった。満秀を助けに行きたいが、生きているのかも分からない。


「行け!」

 鋼牙の叫ぶ声がする。

「山を越えてまっすぐ東へ向かえ。トリなら方角がわかるだろう。珠纒は大きいから、遠くからでもわかる!」

 もう、罠かどうかなんて考えなかった。

 神喰が向かってくるのを見て、雪の中を駆けだした。



 ※



「なぜ犬を殺したんです!」

 叫んだ鋼牙を、神喰は力任せに殴りつけた。

「お前は何を見ていた。俺に襲いかかったんだぞ」

 傷の癒えていない鋼牙は、耐えられずに雪の上に倒れ込んだ。その鋼牙の胸倉を掴んで、神喰が怒鳴る。


「お前、トリを逃がしたな」

「俺はあいつに命を助けられました」

「そんなことは関係ない! 雪人は殺せと、教えただろう!」

 鋼牙は血のにじんだ唇をかみしめて、神喰を睨みつける。


 ――言われなくても、殺そうとした。

 だが出来なかった。傷を負っていたし、拓深も颯矢太も、満秀も、鋼牙を警戒していた。だけどできなかったのは、それだけじゃなかった。


 神喰は鋼牙を雪の中に投げ捨てる。倒れたままの満秀を見下ろして、神喰は言い捨てた。

「殺せ」

 鋼牙は、ぎくりとした顔で、満秀を見た。

「何をためらう。腐抜けたのか」

 叱責にも鋼牙は動けない。


 俺たちは、間違えているのではないか。考えてしまう。満秀の憎しみに満ちた目が、それを突きつけてきた。

「垣離の娘を殺す必要はないのでは」

 鋼牙は雪の上に身を起こす。

「――垣離の里も。俺たちの目的は、神垣の御神体のはすです」


「邪魔になるものは排除する。我々だとて、食うものと休む場所が必要だ」

 それは、自分が満秀たちに言った言葉だった。ずっと聞かされてきた言葉だった。だけど今、違う響きを持って鋼牙の胸に突き刺さる。


 これでは本当に、ただの盗賊ではないか。いわれのない侮蔑ではない。俺たちはただの、盗人ではないのか。

 俺たちには使命があった。人に罰を与える神などいらない。神々の骸や神器を排除すれば、罰するものはいなくなり、再びこの国に太陽が昇る。

 そう信じてきた。国を救うためなら何者を排しても構わない。小事に構う必要はない。そう言われてきた。

 だけど、あの悲しみに満ちた目。そして都波の、疑いを知らない眼差し。


「そそのかされたな」

 もうひとりの神喰が言った。頬の紋様のほかに、額にも印をほどこしている。

 王がここにいるのなら、近く大きな略奪があるはずだった。

 垣離を襲い、足掛かりの場所を確保してから、神垣を襲う。それがいつもの手立てだった。そしてここは珠纒に近い。


 動き出したんだ、と思った。

 桜が咲き乱れたという神秘を聞きつけて、とうとう行動に移したのだ。珠纒の周囲を滅ぼし、逃げ道を塞いでいく。

 逃げられないように追い詰めて、神垣を徹底的につぶす。


「――いいえ、違います」

 鋼牙は、強く言い返した。

「池野辺の巫女姫がこいつをかばってた。生かしておけば役に立ちます」

 神喰の王は、強く見返す鋼牙を見て、少し考え混んだ。


「お前は、池野辺の巫女姫といたのか」

「俺は池野辺を襲った時に傷を折って、珠纒に向かう彼らに拾われました。池野辺の巫女姫は、見知った顔があれば迷います」

「それならば、役に立つかもしれん。珠纒も池野辺も、じきに我々の仲間が向かう」


「――池野辺も?」

 目の前の珠纒を狙っているのではないのか。桜がいっせいに咲いたと言う、未だ神秘の根強い珠纒を。

「あの神垣は珠纒と同じで、未だ神の息吹が強い。池野辺は危険だ」

「ほかに生き伸びた人がいたんですか」

「俺たちの生き残りではないがな」


 神喰ではない者が、池野辺で起きた神秘を教えた。――誰だ。再び襲われることなんて、わかっているだろうに。


 池野辺はもう一度襲撃を受けたら、ひとたまりもないだろう。

 また蛇神が彼らを助けるかもしれない。だが今は、都波がいない。

 もし再び奇跡が起きなければ、都波の帰りを待たずに、滅びる。

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