3話 ただ静かに呼ばう
雪の中を歩くための藁靴やカンジキをもらって建物の外に出た時、日の宮の玉垣の中にいた雪人たちは、門の前に集まっていた。
二手に分かれて、数名は珠纒に向かい、駅舎のトリたちに拓深を襲った神喰の警告をする。もうひとつは、都波たちと一緒に水の宮へ向かう。
日の宮の門を出た時、分厚い雲の向こうで日が昇る気配がした。雲の向こうが少し明るい。暗かった雪が、ほのかに明かりを放っている。
颯矢太には、日の神の御加護がある。きっと大丈夫。
都波は自分に言い聞かせて、再び雪原へ踏みだした。
水の宮は日の宮からそう遠くない場所にあった。
玉垣は日の宮よりもずっと簡素で、吹雪に消え入りそうだ。柱と冠木だけの門があって、篝野の言っていた社も、門の外から見える。
皆を先導した篝野が、門の前に立つ。
門の真ん中に、そっと掌を差し出した。見えない扉を押し開こうとするかのように。このひとつき、彼が何度も繰り返した仕種なのだと、何となくわかった。
けれど、篝野の手はぴたりと止まって、向こうへ行けない。篝野は悔しそうに唇をかみしめた。
「やっぱり、中に入れない」
ちいさな門は、中の人を守っているのだろうか。拒絶のあらわれだろうか。
都波は篝野の横に並ぶ。強い風に、頭からかぶった織布がはためく。飛ばされないようにしっかりと首元を握りしめた。
そして都波は、篝野の真似をして手を伸ばす。
――無事ならどうか、中に入れて。
見えない扉は、都波の手の元には存在していなかった。
都波の手はするりと篝野の手の横をすり抜けて、門の向こうへ突き抜ける。都波は目を瞬いて、そのまま歩を進めた。
門の内側へ入ると、神垣や日の宮と同じように、風や雪がやさしくなった。
ふう、とひとつ息をついてから、振り返る。篝野のあっけにとられた顔があった。都波に助けてほしいと言ったものの、ほんとうには信じてはいなかったのかもしれない。拓深は驚くよりも、おもしろそうに笑っている。
都波は織布を掴んでいた手を離して、掲げられたままの篝野の手を取る。
引っ張ると、篝野は抗わずに門の中に入った。頭に雪を積もらせて唖然とした顔のままで、都波に言う。
「……ほんとに、あんたは、神変をおこす巫女なのか」
「わたしが何かをしているんじゃなくて、呼びかけに答えてくれるだけだよ。咲織の姫はあちらのお社にいらっしゃるの?」
水の宮の玉垣の中は、社がひとつ建っているきりだった。篝野が頷くのを待たずに、都波はまっすぐにそちらへ向かう。
うっすらと雪を被った
木の扉には持ち手がない。
篝野が横木を握って、扉を開こうとした。けれど、びくともしない。
玉垣の中で、そこだけ切り取ったように、空気が違う。
――きっと開かない。
触れる前にわかってしまった。
止まった都波の隣で、篝野が焦れた目を向けている。視線に気づいて、都波は大きく息を吸ってから、扉の横木を握った。
凍つる桜に触れた時のように、てのひらの下の扉から、伝わってくるものがある。拒絶よりも、強い意志のようなものだった。
強く引いてみるけれど、やはり開かなかった。試しに押してみても、動かない。
「ここまで来れたのに、どうして」
篝野が力無く声を出した。
「うん……。でも、たぶん、わたしじゃ開けられない」
何かを保とうとする意識と、何かを守ろうとする意識が絡まり合っているように感じた。
この人も待っているのだ、と思った。あの凍つる桜のように。
咲織の姫が水の宮で眠りについて、いっせいに咲いた神垣の桜は、何を知らせようとしたのだろう。神垣の危機か、姫の危機か。
それとも、何かを知らせるつもりなんて、なかったのかもしれない。
ただ誰かを呼んでいた。
――なぜか分かる。わたしじゃない。
皆の間に落胆が広がる。門の中に入れた時の高揚が、すうと引いていくのが、都波にもわかった。
「姫を残して社を出るんじゃなかった」
いつも険の強い篝野が、小さく弱音を吐いた。
でも、都波にもどうにもできない。
「扉はここだけなの?」
「向こう側は、俺が閂をかけた。多分開かない。扉を壊してみてもいいかもしれないが、そんなことで入れる気はしない」
篝野は、諦めきれない様子で扉を引いた。やはりびくともしない。
「本当に開かないのか?」
都波の隣に立っていた拓深が、扉に手をあてる。
篝野や都波が押したり引いたりしているのを見ていただけだったが、二人に開けられないものが、興味を引いたようだった。
「お前が試したところで、巫女姫が開けられないものを……」
篝野が言いさしたところだった。拓深は戯れに、扉を引っ張った。大した力を入れた様子もなかった。
するりと音もなく、木の扉が開く。
都波はぱちくりと目を瞬いた。篝野もあっけにとられて、口をぽかんとあけている。
「お前、なんなんだ……」
篝野が言うが、一番驚いているのは拓深だった。
「お前たち、俺をからかってるのか?」
「そんなことして何になる」
篝野は忌々しげに言い捨ててから、社の中に駆けこんだ。
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