3話 生殺与奪
翌朝、洞窟の外の白さが眩しくて、都波は目を覚ました。雪がほのく光っている。
手をかざして、そのまま目をこする。うずくまって寝ていた都波の前で、焚火が揺れていた。
「おはよう」
声がふってきて、都波は目を開いた。隣に座った颯矢太が見おろしている。
勢いよく起き上がり、都波は颯矢太の顔を覗き込んだ。
「ずっと起きてたの?」
「拓深さんと交代で寝たよ。俺は慣れてる」
颯矢太が指さす先で、拓深が背を向けて眠っている。
そうなの、と都波はほっとして息をついた。自分がお荷物でしかないのが分かっているから、都波のために颯矢太がきつい思いをしていては嫌だった。
少し離れたところに、守夜と寄り添った満秀がいて、洞窟の奥には神喰の少年が横になっている。
颯矢太は背中に置いていた荷物から干し肉を取り出すと、腰に帯びていた短刀で切り分けて、小枝に突き刺した。焚火のそばに積み上げた石を支えにして、上手に焚火の上にかざしている。
突然後ろで唸り声が聞こえた。
満秀と寄り添って眠っていたはずの守夜が、身を起して唸っていた。洞窟の奥を見て、唸り声は低く伸びる。突然吠えだした。
「守夜、どうしたの?」
都波が声をかけるのと、満秀が飛び起きるのは同時だった。びっくりした都波の横で、颯矢太が声を上げる。
「都波!」
後ろに、強い気配を感じた。
振り返ると、顔に赤い紋様を描いた少年が立っていた。
衣服の下、首元から体にぐるぐると巻いた布がのぞいていて、それが血に赤く染まっていて痛々しい。少年は無言のまま都波の首に掴みかかろうとした。
驚いて声も出ない。かたまった都波の横から颯矢太が飛びかかって、少年を地面に打ち倒した。
跳ねるように満秀が駆けつけて、腰に帯びた小刀を抜く。迷いなく少年に小刀を振り下ろす満秀に驚いて、颯矢太が声を上げた。
「満秀、やめろ。拓深さん!」
助けを求めるのと、拓深が満秀の手首を掴むのは同時だった。軽くねじりあげて、満秀が小刀を取り落とす。地面におちて、カツンと音がした。
拓深はそれを拾い上げてから満秀を離し、颯矢太が押さえている少年の横に屈みこんだ。
「おい、余計なことするなよ。傷が開くだろ。せっかく助けたんだ。勝手に死ぬな」
その後ろで、満秀は手首を抑えて、地面を蹴りつけるようにして踏みならし、叫んだ。
「返せ!」
「お前がこいつを殺さないと約束するならな」
「こいつらが、あたしの里を滅ぼしたんだ!」
「だがこいつではないだろ。こいつだったら殺していいとは言わないが」
「どういうつもりだ!」
満秀の怒りに共鳴して、守夜が吠える。都波は慌てて、守夜を抱きかかえた。
「だめよ、怪我人なんだから」
守夜のふかふかの首筋をゆっくり撫でる。守夜は牙をむき出しにしていたが、唸り声を喉の奥に残しながら、都波の手の中で少しずつ落ち着いていくのが分かった。
それを悔しそうに満秀が見て、叫ぶ。
「あんた、こいつに殺されかかったのに!」
「でも、颯矢太が止めてくれたし、殺されてないよ」
押さえつける颯矢太の下で、少年はまだもがいている。颯矢太に殴りかかろうとして、拓深に手を踏みつけられた。
拓深は腰に手を当てて、満秀を見下ろしている。
「言っただろう。雪で絶えそうな命があれば救うのが、俺たちトリの務めだ。俺たちの役目は、伝聞だけじゃない。そいつはおまけみたいなもんだ」
「自分の命が危険にさらされてもか」
「そうだ」
「他の者の命や、里が、危険にさらされてもか! 何か目印を残して、仲間を呼び寄せるんじゃないか!?」
「それは、さすがに困る。だからできるかぎり用心している」
そして拓深は不遜に笑った。
「俺がこいつを助けて何が起きるかは、神々の意志だろう。トリが本当に、日の神の加護をうけているならな」
満秀は険しい表情で拓深を睨みつけた。歯を噛みしめる音が聞こえるくらいに。神喰への憎しみそのものが、拓深へ向かっていた。
突然、神喰の少年がうなるように声を上げた。
「神々など!」
吐き捨てるように言った。抗う力がなくなってきたのか、暴れるのをやめていた。時折拓深の足の下から手をどかそうともがくだけだ。
ただその目だけは、力を失っていない。自分を抑えつけている颯矢太を睨みつけている。
そして都波を睨みつけた。
「トリなど、神垣など、巫女など、いらない!」
低く抑えた声で、殴りつけるような言葉を、吐き出した。
むき出しの憎悪に、守夜を抱えたまま都波は震えた。いわれのない嫌忌は、ひどく恐ろしかった。
でも、それ以上に分からなかった。
「あなたたちは、満秀にひどいことをしたし、池野辺にもひどいことをした。どうしてなの」
今もまた、都波を殺そうとした。颯矢太が止めてくれなければ、首を絞められて、地面に打ち倒されていた。火の中に倒れ込んだかもしれない。
神喰は神秘を嫌う。だから都波やトリを狙う。
でもだからと言って、都波が少年に恨まれることをしたのならともかく、これほどの殺意を向けられる理由がわからない。
池野辺では、国を人の手に取り戻すのだと言っていたけれど。
「神の息吹が残っているのが間違いなんだ。俺たちは、神の息吹をすべて消し去らなければならない。罰をあたえるものがいなくなれば、雪は消える。王がそう言った」
――王、と少年は言った。耳慣れない言葉だ。
「それなら、なぜ垣離の里を滅ぼす必要があるんだ!」
神の遺骸にすがって生きる神垣と違って、垣離には神の加護はない。
「俺たちの使命を果たすために、生き延びる必要がある。物資が必要だから手に入れる」
「ただの盗賊じゃないか」
「違う。俺たちは国のためにやっているんだ。必要なものは手に入れて何が悪い」
「お前が!」
満秀は、喉の奥から振り絞るように、悲痛な声を出した。
「お前たちが! あたしの里を滅ぼして、あたしの家族や里のみんなを殺したんだ。あたしからなにもかも奪った。神々じゃない。お前たちがやったことだ!」
満秀が飛びかかろうとして、拓深がその腕を掴んで止めた。
乱暴ではないけれど、少しも譲る気のない力で、満秀はそれ以上進めなくなった。悔しげに、満秀はまた地面を踏みつける。
「あたしたちが何をやった。ただただ、懸命に、この国で生きていただけだ。意識がないうちに殺しておけばよかった!」
悲痛な叫びだった。
自分の腕を捕まえている拓深の手を、拳で殴りつける。腹立ちまぎれの力に、拓深は「いてっ」と声をあげて、満秀の腕を離してしまう。
「お前たちに何が分かる!」
満秀はそのまま踵を返すと、洞窟を駆けだして行った。都波の手を振り切って、守夜が追いかけていく。
「守夜待って……、満秀!」
「待て都波、お前は大人しくしてろ!」
後ろから拓深の声がするけれど、都波は満秀を追って洞窟を飛び出した。
外に出た途端、冷たい空気が体を包み込む。カンジキを靴につけてこなかったので、足が雪に取られて走りにくい。
満秀の背中は、林の中をどんどん進んで行ってしまう。守夜が都波を気にした様子で行ったり来たりしているが、その姿も遠くなる。
「満秀! 待って、行っちゃだめ!」
神垣を出ていこうとして、雪の中で凍えていたのを思い出してしまう。落ち着ける場所を探すと約束したのに。
雪をかき分けるようにして懸命に前へ進む。手袋をしてこなかった手がかじかむ。感覚がなくなってきて、足がうまく進まなくて、都波は顔から雪の中に倒れ込んだ。
痛くはない。何とか顔を起こすけれど、体が震えて、力が入らない。
「何やってるんだ。とろいな」
あきれ返った声で、満秀が都波の腕を掴んで、雪の中から助け起こしてくれた。
「立て、濡れると後で困ったことになる」
「ありがとう」
震える体に守夜が寄り添ってくれる。都波は守夜を抱きしめた。暖かい。
「ほんとに、お前は無茶なやつだな」
「だって、放っておけないもの。――ねえ、戻ろう」
雪の中に踏ん張って、満秀は口を歪めたまま応えない。都波は満秀の腕に捕まって、ねえ、とうながした。
「満秀の里は、どういうところにあったの?」
満秀は眉をしかめて都波を見ていたけれど、溜息をついてから、話しだした。
「近くに湯の沸く泉があった。地面が少しだけあたたかくて、そのおかげで寒さから逃れられたし、植物を育てられた。動物もいたし。――あんたは、どうしてあいつが平気なんだ。あんたの住んでたところも滅茶苦茶にされたのに」
家は焼かれて、人も死んで、神垣はどうなるか分からない。火に巻かれて怖かった。腹が立った。――だけど、とりあえずはまだ、みんな無事だ。
珠纒にいけば、何かが分かるに違いないという希望もある。
蛇神の言うとおりなら。国は甦るのかもしれない。
池野辺は助かる。きっと助かる。椿を咲かせたような神変はあれきり何の気配もないけれど。
失いかけたことと、失ったことは全然違う。
だから、寄り添いたいと思っても、満秀と同じ気持ちにはきっとなれない。「お前たちに何が分かる」と言った満秀は正しい。
それは申し訳ないし、悲しいことだと思う。
満秀は、そういう都波に対しても腹が立つんだろう。
「ごめんなさい、わたしとても疎いから。でもね」
同じ激情に飲みこまれるのも、違うのではないかとも思う。
「目の前で誰かが殺したり殺されたり、そういうのは違うと思う」
殺す、という言葉を口にするのはためらわれた。言葉には魂が宿ると言われている。不吉な言葉には、不吉が宿る。
だからやっぱり、このままではいけないのだと思う。
「そうやって国が滅びたんだとしたら、繰り返しては駄目だと思う。満秀、人を殺さないで。神喰と同じになっちゃうよ」
満秀はきっと、そんなのどうだっていいと思っているだろう。けれど、満秀は何も言わなかった。眉を険しくして、唇をかみしめていた。
言葉にして形にしたら、それは否定できなくなる。
「許さなくていいの、傷が治るまで一緒にいるのだけは、認めてあげて。――ごめんなさい、満秀につらいばっかりで」
満秀は前を向いたままだった。振り絞るようにつぶやいた。
「悔しい」
滴が一筋だけ、白く凍えた頬を、滑り落ちて行った。
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