2話 雪の中の命

「どうしてそう頑固になったんだ。誰に似たのだか」

 大駕は厳しい表情のままため息をついた。どこかあきらめたように。


「……先触れがいるな。巫女姫を運ぶなら」

「大駕さん?」

「神垣の巫女姫を連れて旅をするなんて、そうあることじゃない。もっともらしく振る舞うなら、先触れがいるだろう。道中で神垣に身を寄せるなら、人が来ることを告げておいた方がいい。先触れがいれば、連れ去ったなどと疑われもしないだろう」


 遠くへ旅に出るなら、途中の神垣に身を寄せながら進んでいく必要がある。トリのように。

 だけど神垣の人間は、外から来たものを恐れる。身を明かせないものなど、受け入れない。


 思いがけないことを言いだした大駕に、颯矢太は大きな声を出した。

「いいんですか?」

「おまえは、絶対に折れないのだろうが。それなら、少しでも進みやすくしてやるしかないじゃないか」

「でも、ひとりで行くのは、危険です。神垣も警戒するかもしれない」

「先触れならば急を要するとして受け入れられるだろう」

 もう一度ため息をついて、大駕が言った。

「俺まで戻らなければ、池野辺は困るかもしれないが」


 都波は手を貸してくれるというのがうれしくて、颯矢太がこれ以上叱られずにすんで、ほっとした。颯矢太の肩から力が抜けるのが分かった。

 でも、気にかかることがある。


「大駕、神喰はわたしを狙っているのかもしれない。わたしが身を明かして、ほかの神垣に立ち寄ったら、その神垣まで神喰に狙われたりするかもしれない」

「神垣でお前が身を明かしたところで、神喰が知りようはない。トリが漏らさない限りはな。神喰の斥候もどこかに潜んでるかもしれないが、一日二日腰を落ち着けたところで、この雪の中で軍が追いついてくるとはあまり思えない。はじめから、その神垣に狙い定めているなら別だが。どちらにしても、都波がずっと外を移動するのは無理だ」

 数日外を歩いただけで、体は重い。もっともな指摘に、都波は口を閉ざした。


 ほかの神垣を危険に巻き込んでしまうかもしれない。その覚悟はしておかなければならない。

 小屋の中の顔を見回して、大駕は言った。言葉は、重く響いた。

「お前たちはそれだけのことを選んだんだから、ちゃんと答えを持って帰れ」




 次の日、大駕とは小屋の前で別れた。懸命に歩いても、同じ方向に進んでいるはずの大駕の姿は、あっという間に見えなくなる。

 大駕の背を見送って、颯矢太はすぐに都波のそばに来て、風の盾になってくれた。


 仮駅のあった木立が途切れて、風を防ぐ物のない雪原に出ると、織布を深くかぶって足を運ぶことしか考えられなくなった。

「少し先にまた林がある。風は少し楽になるから、がんばれ。明日には、近くの神垣に出られる」

 よろけた都波を支えて、颯矢太が励ましてくれる。


 顔を上げると、灰色によどむ空と降りしきる雪の中、霞んだ影が見える。山がある。

「あの山のほう?」

「そうだよ。山は越えられないから、裾野を川沿いに行く」

 都波はうなづいて、しっかりを足を踏み出した。見える目標があると、力がわいた。

 今は、神垣の中から、ずっと見ていた外の世界にいる。

 何より颯矢太と一緒なんだから、平気だった。それに、少しでも早く先に進みたかった。



 颯矢太の言う通り、進んでいると、木の群れが現れた。山の裾野に広がる林だろうか。

 身を隠すもののない平野を歩くのは心許なかったから、少しだけほっとした。

 仮駅のあった場所のように岩場はないけれど、たくさんの木は風と雪を避けてくれる。颯矢太は歩きながら、薪の材料になりそうな木を拾っていた。


 突然、後ろから守夜が唸り声をあげた。

 驚いて都波が振り返ると、守夜が雪を蹴りあげて飛び出して行った。満秀が迷わずそれを追いかける。走りながら背負った弓矢を手に取った。


「勝手に動くな!」

 拓深が声をあげるが、満秀の背中はどんどん遠くなって、木立の向こうに見えなくなる。

 拓深は舌打ちひとつ、馬の手綱を颯矢太に渡した。

「颯矢太、後で都波と来い」

 顔はすでに満秀たちの行った先を見ている。颯矢太がうなづくのを確認もせずに駆けだした。


 追いかけようとする都波の腕を捉えて、颯矢太は言い聞かせた。

「都波、息を整えて。満秀のことは拓深さんに任せて大丈夫だから。目が凍らないように、しっかり瞬きをして」

 二人の行った後を見据えていた都波は、慌てて瞬きをした。慌てすぎないように、だけど急いで、二人の足跡を追いかける。




 後ろ姿を見つけて、都波がようやく辿り着いた時、そこには緊迫感が満ちていた。守夜が唸り続けている。拓深が木の下にかがみこんで、そこに満秀が弓を構えている。

「何してるの!?」

 びっくりした都波の声に、二人が振り返る。


 拓深のそば、凍てついた木の下に、顔をうつむけて誰かが座り込んでいる。頭に、毛皮を着こんだ肩に、膝に、雪が降りつもっている。

 ――トリだろうか。


「生きてるの……!?」

 慌てて駆け寄る。急ぎすぎて雪に足を取られた。拓深の横に膝をついた都波を、慌てて颯矢太が支える。

 その手にすがって顔を上げると、雪に埋もれた人の顔が見えた。

 睫毛は凍り、目は堅く閉ざされている。頬に赤い渦のような、炎のような紋様が刻まれていた。


 満秀が、吐き捨てるように言った。

「神喰だ」

 その手に弓矢が堅く握られている。

「こいつ、池野辺の神垣で見た」

「……うん」

 立ちあがり、都波は、小さくうなづく。覚えている。


 都波と颯矢太に襲いかかった、鋭い目の少年だった。蛇神の力で血を流して倒れていた。――死んでしまったかと思っていた。


「仲間からはぐれたんだろう」

 少年の首に手を当てて、拓深がいう。その首元には白い布が巻かれていて血が滲んでいる。

「生きてるの?」

「ああ。手足も壊死していないようだし、今はな。だが放っておくと死ぬな」

 拓深は颯矢太を見る。

 都波を助け起こした颯矢太は、そのまま少年に近寄ると、迷わず担ぎあげた。

「拓深さん、とりあえず馬に乗せて運びます」

「ああ、荷を下ろす」


「何故助ける!」

 満秀の叫びが、木々の間に響いた。矢が容赦なく少年を狙っていた。主の怒りに誘われるように、守夜が大きく吠える。

「放っておけば死ぬ。助ける必要なんてない」

「弓をおろせ」

 颯矢太は向けられる矢に少しもひるまずに、満秀を見返した。


 満秀は苛立って怒鳴る。

「そいつらは、たくさんの人を殺した。お前も、そいつに殺されかけたんだぞ!」

「それでも、今は助ける。雪の中で死にかけてる命を見捨てることはできない」

 颯矢太は、はっきりと満秀に言った。満秀は、颯矢太に言うのを諦めて、拓深を見た。

「助けても、後であんたたちを殺そうとするに決まってる!」


 拓深は馬の荷を下ろして、いつになく厳しい顔で満秀を見る。

「雪の中で絶えそうな命があれば、助ける。それが俺たちのトリの信条だ。俺がお前を池野辺に連れて行ったのと同じことだ」

 いつもは、年長の大駕の言葉だって適当に聞き流すくせに、その表情は揺るがない。


「雪人に生まれついたのは、俺の望んだことじゃない。生まれ持った力も、望んで手にしたものじゃない。だが、その力を無駄にしないのが、俺たちトリの生き方だ。神垣をつなぐために旅をするのも、誰に課されたことじゃない。より雪に強く生まれついた俺たちの矜持だ」

「でも神喰をつれていたら、どの里にも入れないだろう」

「ああ。神垣に近寄ることもできない」

 神喰に神垣の場所を知られるような事があってはならない。それは都波にもわかる。


「都波、どうする。お前のための旅だ、お前が決めろ」

 拓深の言葉に、颯矢太が、満秀が、都波を見た。


 火矢を射かけられた時の戦慄が、家々が燃えていく光景がよみがえる。

 神垣をめちゃくちゃにされたことは許せない。颯矢太を殺されそうになったときの恐怖が、忘れられない。思い出すだけで、胃の腑が締め付けられるような気がする。

 だけど少年は、まるで凍って死んでしまったかのように血の気がない。少しも動かない。

 放っておけば死ぬかもしれない。許せないからって、殺したいわけじゃなかった。


「見捨てることなんてできない」

 都波が言うと、拓深は都波の頭を乱暴に撫でた。

「よく言った」

 頭からかぶっていた織布がずれて、都波は頬をふくらませる。

 都波が抗議の声を上げる前に、拓深は空を見上げて言った。

「こいつを連れてたら仮駅も使えない。身を隠せる洞穴があるから、日が沈むまでに辿り着くぞ」


 太陽は見えないけれど、どんどん暗くなってきているのは分かる。空気の冷たさが鋭さを増していた。

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