7話 牙
次の日は拓深たちと一緒に進み、その次にはまた都波と颯矢太だけ神垣に立ち寄った。
訪れた神垣の玉垣には、緑の長い葉が揺れていた。
「これは、
颯矢太がそう教えてくれた。
今度こそと思っていたけれど、駅舎に入ると気が緩んでしまって、また一人で留守番をさせられてしまう。
そうして、いくつもの神垣に立ち寄り、食料をわけてもらって、先導になってくれそうなトリを探して。
そういうことを繰り返している間に、池野辺を旅立ってから随分とたった頃。
拓深たちと合流してから、都波に山越えは無理だと判断して、裾野の森の中を進んでいた。
もちろん道などなくて、いつも颯矢太が先に立って、都波のために通れそうな足場を探ってくれる。
ふいに風に乗って、獣の声が聞こえた。
遠吠えだ。
聞き間違えかと思ったけれど、拓深も颯矢太も聞こえているようだから、間違いのはずがない。
都波は、常に満秀に寄り添っている守夜を見て、拓深に問うた。
「犬?
拓深の表情は険しい。
「違う、狼だ」
断言した。雪人は、里人よりも耳も目もいい。
「拓深さん、都波を馬に乗せたほうが」
「ああ」
颯矢太に頷いて、拓深は都波を抱えあげた。
何事か問う暇もない。神喰の少年の前に放り投げるようにして、馬に乗せた。
「どういうつもりだ!」
神喰の少年のほうが驚いたようだった。問うよりも叫ぶような声に、拓深は言い放った。
「都波もお前も走れないだろうが。都波を殺すなよ」
満秀も颯矢太も拓深も、弓を構えた。満秀は鋭く言う。
「狼から走って逃げられるものじゃない」
「わかってる。あいつらは獲物が疲れるのを待ってるから、弱みを見せないようにしたいだけだ。狼は群れで動く。周囲に気を配れ。追い立てるやつと、待ち伏せるやつがいる」
拓深は冷静だった。馬上から都波が問う。
「どうするの」
「弱みを見せると、集団でかかってくるし、目をつけられたらずっと追ってくる」
「逃げられるの!?」
「あいつらは賢いから、無理はしない。狩れないとわかったら帰るはずだ」
馬の後ろを歩いていた満秀が振り返った。つられて後ろを見ると、葉を落としていない森の中、雪の上に獣がいる。
灰色の豊かな毛をもつ狼は、守夜より少し小さいくらいだった。
だけど、目が違う。どこか柔和にも見える瞳の奥で、こちらの隙を伺っているのがわかる。
満秀が矢をつがえる。それと同時、狼が雪を蹴り上げて駆けてきた。
疾風のような速さに、都波は悲鳴も上げられなかった。
ギャンと短い鳴き声を響かせて、狼がひっくり返る。狼が胸に矢を受けて倒れてた。雪の上に血が広がる。
その後ろから、何頭もの獣が駆けてきた。続けざまに満秀が矢を放つ。
「走れ!」
拓深の声に、神喰の少年が手綱を取った。人を二人乗せた馬は重そうに、道のない山を進む。
颯矢太が走りながら矢をつがえた。
白い息を一瞬止める。進む先の藪へ向けて矢を放つ。また、短い鳴き声がした。その横を、馬で駆け抜ける。
突然、脇の繁みから狼が飛び出してきた。馬が驚いて前足を蹴り上げる。
馬が倒れて、都波と少年が放り出された。
雪に受け止められたおかげで、落ちた衝撃はあまりない。けれど起き上がろうとすると手足が沈んでうまくいかない。
雪を跳ね上げ、もがきながら起き上がった都波は、雪の中に倒れこんだ少年へ駆け寄る。
「ねえ、大丈夫?」
名前を呼べないのがもどかしい。少年は表情を険しくして答えない。
馬はもんどりうつように起き上がって、そのまま駆けて行ってしまった。
守夜が吠える声が聞こえて、都波は慌てて振り返る。
雪に紛れるような、灰白色の狼が、ゆっくりと近づいてくる。その後ろから、何頭も。
守夜が都波を守るようにして立ちふさがった。顔に皺をよせ、けたたましく吠えた。
颯矢太が駆けてくるのが見える。だけど、都波は動けなかった。
雪人のような、金色の瞳が、都波を見ていた。
狼が首を傾げた。都波の頬の、髪のにおいを嗅ぐ。
そして狼たちはふいと通り過ぎ、倒れ伏した少年のほうへ向かう。唸り声をあげて。
都波は思わず身を乗り出していた。
「だめ、待って!」
都波は飛びつくように、狼に抱きついた。
雪のにおいに混じって、獣のにおいがする。暖かくて、毛並みがとても柔らかい。
「お願い、この人を殺さないで」
食料を求める彼らは何も悪くない。逃げる間に、彼らの仲間を殺した。殺さないでというのは、身勝手だ。
でも、都波の手の下で、唸り声が小さくなる。
狼たちは、一頭、また一頭と背を向けた。都波が抱えていた狼もまた、都波の手をほどいて去っていく。
神喰の少年は、あっけにとられた顔で、都波を見ていた。頬の赤い文様が、青白い顔に浮かぶようだ。
「お前は、馬鹿なのか」
みんな都波に、そんなことばっかり言う。
「違うわ。助けた命には責任があるから。ねえ、あなた、怪我はない? 大丈夫?」
少年は頬を歪める。苦しそうに、悔しそうに都波を見た。
そして低くつぶやく。
「……
都波はぱちくりと目を瞬く。少年はますます表情を険しくして、地面の雪を睨み付けた。
「俺の名だ」
颯矢太が駆けつけてきて、都波はいつものように、颯矢太の首に飛びついた。
「よかった。颯矢太、無事だった」
「それは俺が言うことだ。大丈夫なのか? 怪我は?」
「平気。なんともない。馬がいなくなっちゃったけど……」
颯矢太は都波を離して、怪我がないか確かめている。拓深がなぜかあきれた様子で、都波を見下ろしていた。
「俺は池野辺でお前のやらかした神変とやら、何一つ見てないが、信じたくなってきた」
「やらかしたことって言わないで」
頬をふくらませて拓深を見上げる。
「狼は昔、作物を守る神として、あがめられてたそうだ。強く賢く、火難から守ってくれる神だっていう。朽ちることのない牙を、ご神体として祀っている神垣がある」
「神々の一員なの?」
「さあな。さっきのはただの狼だろ。まあ、お前が本当に何らかの役目を持ってるのなら、何か嗅ぎ取ったのかもしれない」
拓深は言い置いて、神喰の少年のもとに向かった。それから、少しあきれたような同情するような声を上げた。
「お前、今度は足を痛めたのか」
馬が倒れたとき、下敷きになったのかもしれない。だから狼から逃げられなかったのだろう。
「かまうな。もう置いて行け」
「雪の中で足をやられて無理をしたら死ぬ。馬もいないし、杖を作ってやる。背負ってやってもいいが、後ろから刺されたらたまらないからな」
意地悪を言いながら、拓深は面倒見がいい。颯矢太を見張りに残して、拓深は杖になりそうな枝を切り出しに行った。
守夜が都波の脚にすりよってくる。都波は破顔して、守夜を抱きしめた。
「ありがとう、守夜。助けてくれて」
守夜は嬉しそうに尻尾を振ってから、満秀のもとに帰っていく。
満秀は、矢で射落とした狼を担ぎ上げていた。毛皮を取り、食料にするためだ。
守夜を見送って、都波は少し先に動く影を見つけた。
「あ、馬が」
木々の陰に茶色い馬の姿が見える。狼に狩られていない様子で、ホッとした。もっとよく見ようと身を乗り出した。
「都波、あまり端に行くな」
積もった雪の上に足を踏み出して、都波は颯矢太を振り返る。
雪もろとも、足元が崩れ落ちた。
「えっ」
思わず声があがる。
「
颯矢太の声が聞こえる。同時に、都波の体が宙に投げ出された。
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