8話 ましろき旅路
※
「都波!」
颯矢太は咄嗟に身を乗り出し、都波の腕を掴む。都波と一緒に雪もろとも滑り落ちる。力いっぱい引き寄せて、両腕に抱えこんだ。
背中を崖に向け、カンジキをはいた足を雪面に立てて、なんとか勢いを殺す。
雪の塊にまみれながら、滑り落ちた。木の枝が鈍い刃のように、顔や体を叩いていく。
都波を抱え込んだまま、降り積もった雪の上に投げ出された。その上にも次から次へと雪が落ちてくる。
「おい、颯矢太、都波、無事か!」
上から拓深の声が聞こえている。
颯矢太は雪をかきわけた。都波の無事を見ようとして、下敷きになった左腕に激痛がはしった。落ちたときに打ち付けたか。
「都波、都波!」
青白い顔をした都波は、ぐったりして動かない。
慌てて颯矢太は、都波の上にかぶさった雪をかきわけて、抱き起こした。腕が痛むのなんて構わない。
どこかを折ったり血を流している様子はない。
もしかしたら、胸や頭を打ったかもしれないが、血が出ている様子はないから、大丈夫だと信じるしかない。きっと、衝撃で気を失っただけだ。
斜面を見上げる。思ったよりも随分と高い。表情がわからないくらい拓深の顔が遠い。
「拓深さん、都波が気を失ってしまった」
「わかった。どっちにしろ、ここを登るのは無理だろう。少し休ませてやりたいが、あまりここにとどまりたくない。合流できそうなところまで行けるか」
本当はここで少し都波を休ませてやりたいが、拓深の言う通り、ここにとどまるのは得策ではなかった。
狼が姿を消したとは言え、見張っているだけの場合もある。
獲物が衰弱するのを待って襲ってくるのかもしれない。今は都波の不思議に頼ることもできない。
「平気です。行きます」
斜面がゆるくなるような、無理せずに合流できるところまで行くしかない。
そのとき、再び狼の遠吠えが聞こえた。木々の間を幾重にも響いてくる。颯矢太たちを取り囲んでいる様子はないが、さっきまでと何かが違う。
「様子がおかしい」
不審そうな声で拓深が言う。思案する様子があったのは、少しのことだった。
「どうせそろそろ別に進む予定だった。お前たちは神垣へ向かえ。必要なものは身に着けてるな」
「大丈夫です」
最低限のものはいつも身に着けている。
斜面の上から、満秀が顔を出す。その後ろで、また遠吠えが聞こえた。
「拓深さんたちは」
ここはもう、颯矢太も拓深も知らない土地だ。
どこに身を寄せられる場所があるかわからない。今までは先へ進んで合流していたが、そういうわけにもいかない。
地形や木々の様子を見て、とどまれる場所がないか探りながら進んでいた。仮駅の場所は神垣で教えてもらったが、神喰の少年を連れていては使えないので、通り過ぎてしまった。
とどまれそうな場所があったら、そこで拓深たちはいったん身を寄せ、颯矢太と都波が神垣で珠纒の場所を聞いて、戻ってくる予定だった。
「この先の山の中腹に、垣離の里がある」
声が聞こえる。顔は見えないが、拓深たちのほうから。
「……お前、どういうつもりだ!?」
満秀の叫ぶ声が聞こえる。
「俺は
鋼牙と名乗った、神喰の少年だ。ずっと黙り込んでいたから、とっさに誰の声かわからなかった。
「このあたりは来たことがある」
「ずっと黙ってたってことか」
拓深が苦笑する気配がした。
「言う理由がない」
「何故、垣離の場所を知ってる!」
満秀が怒鳴る声がして、拓深の顔が斜面から引っ込んでしまった。
――そうだ、神喰が垣離の場所を知っているということは、いつでも襲えるということだ。
「罠じゃないだろうな?」
「信じる必要はないが、違う。俺は里には入れないから、近くまで連れて行ってやる」
少し、沈黙があった。その間にも、雪が皆の上に降り注ぎ、遠吠えが聞こえている。
「おい、こいつを殺すなよ」
満秀に言い含める声がした。再び拓深が斜面の上から、颯矢太を覗き込む。
「俺たちは垣離を探してみる。垣離の場所なら、神垣でトリに聞けるかもしれないだろう。なんとかして合流しよう。こいつをどうするかは考える」
あまり確実ではないが、賭けるしかない。
わかりました、と答えかけた颯矢太の先を制して、拓深は続ける。
「もし合流できそうになかったら、迷わず珠纒へ向かえ」
それは、万が一にも拓深たちが神喰に襲われても、見捨てろということだ。
「……でも!」
「それが俺たちトリの役目だ。お前は、お前の役割を果たせ。都波を珠纒に送り届けろ」
分かっている。隔絶された土地の人々を繋ぐ鳥であること、それが颯矢太たちの役割だ。
そしてこの旅ははじめから、都波を珠纒に連れていくのが目的だった。
颯矢太自身が請け負ったことだ。何が何でも、都波を無事に送り届ける。
「わかりました。必ず、無事で」
「お前もな」
拓深は気軽に言うと、ひらひらと手を振って、いなくなった。
毛皮の下に着ていた衣を一枚脱いで、短刀で切り裂く。細く割いた一枚を取り、痛めた手首に短刀の鞘を当てて、無事な手と口できつく縛り付けて固定する。
残りの布を結び合わせて、長い帯紐を作った。
短刀を腕の鞘に戻してから、ぐったりとした都波を抱き起こす。
織布がとれないように、頭と顔も隠すようにして、しっかりと巻き付け、肩帯を結んだ。
作った帯紐を、都波の背中と脇を通して、背負いあげる。同時に、手首に激痛が走った。
ギリギリと音がするほどに歯をかみしめて、そのまま自分の前で帯紐を交差させ、後ろに回す。都波の太ももの下を通し、もう一度自分の前にもってきて、強く結んだ。
背中が暖かい。このぬくもりを、無事に送り届けないといけない。
不意に幼いころを思い出して、頬に笑みが浮かんだ。
あの時は、颯矢太が背負われる方だった。大駕が幼い颯矢太の手を引いて、時には背負って、この雪の国を渡ってくれた。
あの時の自分は子供だったから、都波よりは軽かっただろうけど、その分できないことがたくさんあった。
抱えたものの命が絶えないように、守りながら進むのはとても難しい。
颯矢太を連れて雪を渡ってくれた大駕の辛労も、颯矢太を止めようとした厳しさも、よくわかる。
風はゆるやかになったが、雲の塊のような雪が次から次へと降りてくる。
白いかけらがどんどん視界を覆っていく。景色がわからなくなる。それに新雪の上は歩きにくい。
早く神垣へ、せめて身を落ち着けられる場所に行かないといけない。
無事な手で、椿の杖を拾い上げる。
都波が咲かせた椿の杖。
どうか無事に、都波を神垣まで送り届けられるよう、力を。
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