8話 ましろき旅路



「都波!」

 颯矢太は咄嗟に身を乗り出し、都波の腕を掴む。都波と一緒に雪もろとも滑り落ちる。力いっぱい引き寄せて、両腕に抱えこんだ。


 背中を崖に向け、カンジキをはいた足を雪面に立てて、なんとか勢いを殺す。

 雪の塊にまみれながら、滑り落ちた。木の枝が鈍い刃のように、顔や体を叩いていく。


 都波を抱え込んだまま、降り積もった雪の上に投げ出された。その上にも次から次へと雪が落ちてくる。

「おい、颯矢太、都波、無事か!」

 上から拓深の声が聞こえている。


 颯矢太は雪をかきわけた。都波の無事を見ようとして、下敷きになった左腕に激痛がはしった。落ちたときに打ち付けたか。


「都波、都波!」

 青白い顔をした都波は、ぐったりして動かない。

 慌てて颯矢太は、都波の上にかぶさった雪をかきわけて、抱き起こした。腕が痛むのなんて構わない。


 どこかを折ったり血を流している様子はない。

 もしかしたら、胸や頭を打ったかもしれないが、血が出ている様子はないから、大丈夫だと信じるしかない。きっと、衝撃で気を失っただけだ。


 斜面を見上げる。思ったよりも随分と高い。表情がわからないくらい拓深の顔が遠い。


「拓深さん、都波が気を失ってしまった」

「わかった。どっちにしろ、ここを登るのは無理だろう。少し休ませてやりたいが、あまりここにとどまりたくない。合流できそうなところまで行けるか」

 本当はここで少し都波を休ませてやりたいが、拓深の言う通り、ここにとどまるのは得策ではなかった。


 狼が姿を消したとは言え、見張っているだけの場合もある。

 獲物が衰弱するのを待って襲ってくるのかもしれない。今は都波の不思議に頼ることもできない。


「平気です。行きます」

 斜面がゆるくなるような、無理せずに合流できるところまで行くしかない。


 そのとき、再び狼の遠吠えが聞こえた。木々の間を幾重にも響いてくる。颯矢太たちを取り囲んでいる様子はないが、さっきまでと何かが違う。

「様子がおかしい」

 不審そうな声で拓深が言う。思案する様子があったのは、少しのことだった。


「どうせそろそろ別に進む予定だった。お前たちは神垣へ向かえ。必要なものは身に着けてるな」

「大丈夫です」

 最低限のものはいつも身に着けている。

 斜面の上から、満秀が顔を出す。その後ろで、また遠吠えが聞こえた。


「拓深さんたちは」

 ここはもう、颯矢太も拓深も知らない土地だ。

 どこに身を寄せられる場所があるかわからない。今までは先へ進んで合流していたが、そういうわけにもいかない。


 地形や木々の様子を見て、とどまれる場所がないか探りながら進んでいた。仮駅の場所は神垣で教えてもらったが、神喰の少年を連れていては使えないので、通り過ぎてしまった。

 とどまれそうな場所があったら、そこで拓深たちはいったん身を寄せ、颯矢太と都波が神垣で珠纒の場所を聞いて、戻ってくる予定だった。


「この先の山の中腹に、垣離の里がある」

 声が聞こえる。顔は見えないが、拓深たちのほうから。

「……お前、どういうつもりだ!?」

 満秀の叫ぶ声が聞こえる。


「俺は垣離えんりの里の場所を知ってる。山を削って穴を掘り、そこに住んでる奴らだ」

 鋼牙と名乗った、神喰の少年だ。ずっと黙り込んでいたから、とっさに誰の声かわからなかった。


「このあたりは来たことがある」

「ずっと黙ってたってことか」

 拓深が苦笑する気配がした。

「言う理由がない」

「何故、垣離の場所を知ってる!」

 満秀が怒鳴る声がして、拓深の顔が斜面から引っ込んでしまった。


 ――そうだ、神喰が垣離の場所を知っているということは、いつでも襲えるということだ。

「罠じゃないだろうな?」

「信じる必要はないが、違う。俺は里には入れないから、近くまで連れて行ってやる」


 少し、沈黙があった。その間にも、雪が皆の上に降り注ぎ、遠吠えが聞こえている。

「おい、こいつを殺すなよ」

 満秀に言い含める声がした。再び拓深が斜面の上から、颯矢太を覗き込む。


「俺たちは垣離を探してみる。垣離の場所なら、神垣でトリに聞けるかもしれないだろう。なんとかして合流しよう。こいつをどうするかは考える」

 あまり確実ではないが、賭けるしかない。


 わかりました、と答えかけた颯矢太の先を制して、拓深は続ける。

「もし合流できそうになかったら、迷わず珠纒へ向かえ」

 それは、万が一にも拓深たちが神喰に襲われても、見捨てろということだ。

「……でも!」

「それが俺たちトリの役目だ。お前は、お前の役割を果たせ。都波を珠纒に送り届けろ」


 分かっている。隔絶された土地の人々を繋ぐ鳥であること、それが颯矢太たちの役割だ。

 そしてこの旅ははじめから、都波を珠纒に連れていくのが目的だった。

 颯矢太自身が請け負ったことだ。何が何でも、都波を無事に送り届ける。

「わかりました。必ず、無事で」

「お前もな」

 拓深は気軽に言うと、ひらひらと手を振って、いなくなった。




 毛皮の下に着ていた衣を一枚脱いで、短刀で切り裂く。細く割いた一枚を取り、痛めた手首に短刀の鞘を当てて、無事な手と口できつく縛り付けて固定する。

 残りの布を結び合わせて、長い帯紐を作った。


 短刀を腕の鞘に戻してから、ぐったりとした都波を抱き起こす。

 織布がとれないように、頭と顔も隠すようにして、しっかりと巻き付け、肩帯を結んだ。


 作った帯紐を、都波の背中と脇を通して、背負いあげる。同時に、手首に激痛が走った。

 ギリギリと音がするほどに歯をかみしめて、そのまま自分の前で帯紐を交差させ、後ろに回す。都波の太ももの下を通し、もう一度自分の前にもってきて、強く結んだ。


 背中が暖かい。このぬくもりを、無事に送り届けないといけない。


 不意に幼いころを思い出して、頬に笑みが浮かんだ。

 あの時は、颯矢太が背負われる方だった。大駕が幼い颯矢太の手を引いて、時には背負って、この雪の国を渡ってくれた。

 あの時の自分は子供だったから、都波よりは軽かっただろうけど、その分できないことがたくさんあった。


 抱えたものの命が絶えないように、守りながら進むのはとても難しい。

 颯矢太を連れて雪を渡ってくれた大駕の辛労も、颯矢太を止めようとした厳しさも、よくわかる。


 風はゆるやかになったが、雲の塊のような雪が次から次へと降りてくる。

 白いかけらがどんどん視界を覆っていく。景色がわからなくなる。それに新雪の上は歩きにくい。

 早く神垣へ、せめて身を落ち着けられる場所に行かないといけない。


 無事な手で、椿の杖を拾い上げる。

 都波が咲かせた椿の杖。

 どうか無事に、都波を神垣まで送り届けられるよう、力を。

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