6話 それぞれの理由


 翌朝都波は、颯矢太がこしらえてくれた藁沓を履いて、駅舎を出た。

 一晩ゆっくりと眠らせてもらって、温かいものを食べさせてもらって、張り詰めていた気持ちが少し楽になった。


 赤い木組みの門へ向かう。

 その外は、風が吹き荒れていた。外の寒さを幾日も味わった後では、門の外に出るのが少し怖くなった。

 神垣の内側にいただけの頃は、行き場のない息苦しさでいっぱいだったけれど、守られていたのだと言うことが、今はよくわかる。


「都波、大丈夫か」

 颯矢太が手を差し伸べてくる。都波はうなづいて、それに掴まった。反対の手で、椿の杖を握る。

「うん、大丈夫。行こう」


 いつもよりずっとずっと颯矢太が頼もしく見えた。

 何より、颯矢太が都波のために、一緒に来てくれているのだから、先に進まないといけない。


 門から出ると、風が体を押しつぶそうとするかのように、襲いかかってきた。

 満秀のように外で生きてきた人が、神垣の人間に、守られてのうのうと生きていると、怒りをぶつけたくなる気持ちも、わかってしまう。

 神垣の内側にいたままなら、きっと理解することはできなかった。


 これが罰だと言うのなら、神々の仕打ちへ神喰が怒るのも、わかってしまう。人が犯した過ちのせいだとしても、あまりにも無慈悲で、先が見えない。


 知らないことだらけだった。

 恐さはあるけれど、それでも、やっぱりもっと先に進んで、もっと色々見てみたい。

 外のことも、神垣のことも、自分のことも、よく知っていると思っていた颯矢太のことも。




 卯ノ花の神垣を出てから、約束していた場所にたどり着いたのは、夕刻だった。

 風を防ぐ岩場を背にして、天幕が張られているのが見えた。長く張り出した屋根の下に、馬がいる。

 音か気配に気づいたのか、拓深が姿を見せる。拓深は変わらず、気軽い様子で、手を挙げた。


「おう、ちゃんと来れたか」

「珠纒への道が分かるトリがいなくて、先導を頼めませんでした。方角とだいたいの道行だけ教えてもらえましたが」

「まあ仕方ないな。急だったし、それだけ分かればいいだろう」


 颯矢太と拓深が話しているのを横に、都波はなるべく雪を払い落してから、天蓋の中に入る。

 神垣の中とは違うけれど、天幕の中は火がたかれて暖かい。見知った顔があって、ほっとした。

 満秀は硬い表情で守夜と寄り添っているし、神喰の少年も無表情で隅に座り込んでいて、張り詰めた空気は変わらないけれど。


 守夜は都波に気づいて、満秀の元から駆け寄ってきた。都波は嬉しくて、守夜の首を抱きしめた。暖かな毛をに顔をうずめる。

「守夜ただいま」

 満秀はムスッとした顔で黙ったままだ。


「ねえ」

 都波は、奥にいる神喰の少年に呼びかける。

 少年は、紋様のせいでわからなかったけれど、戸惑った表情をした。それから、とりつくろうように眉をしかめる。

「干した野菜もらってきたの、一緒に食べよう」



 颯矢太は短刀で野菜を切り分けて、湯の沸いた器の中に手際よく放り込んでいく。

 移動をしながら食べられるものは限られていて、とてもお腹がすいているけれど、火のそばにいると眠くなってしまう。

 塩を振りかけ、乾燥させた何かの葉をいれ、木の匙でかき混ぜているのを見ながら、都波はうとうとするのを我慢した。


 その隣で拓深は、木の器に乾燥させた椿の葉を入れて、すりこぎで細かく砕いている。

 椿油をいれて、傷口に塗り込む薬にするためだ。神喰の少年の手当てに使うものだった。


 都波はうとうとするのを我慢しながらつぶやいた。

「拓深って、優しいのね。知らなかった」

「なんだ今更」

 拓深は心外だ、という顔をして都波を見る。

「だってわたしにはいつも意地悪だもの。ほかの女の子には優しいのに」

「お前に優しくしてどうするんだよ。俺は意味のないことはしない」

 拓深はあきれた声を出した。なによそれ、と都波は頬をふくらませる。


「どうして拓深は、珠纒にいきたいの?」

 意味のないことをしないというのは、自分に利のないことはしないということじゃないんだろうか。

 拓深は意地悪だけど、ついてきてくれて本当に心強い。でも、気まぐれについてきてくれただけに思える。


「お前こそ、いつも颯矢太に外に行きたいと駄々をこねてただろう。どうしていつも外に行きたいと思ってた?」

「わからない。だけど、行かないといけない気がしてた」

「それと似たようなものだ。俺たちだって、同じ道筋をたどって、人や物を運ぶけど、違う道や場所だって見たい時がある」

「トリも、窮屈に思うの?」

「まあな。俺だけかもしれないが」


 颯矢太がかき混ぜている器の中から、徐々にいい匂いがしてくる。ぱちぱちと焚火のはぜる音と一緒に、汁物がぐつぐつと煮立つ音が心地よい。

「神垣の中も窮屈だが、神垣から出て、開放感を感じるのは一瞬だ。雪に閉じ込められた国そのものが窮屈なんだ。ここじゃない気がしてた。何か探さないといけない気がしてた。そういうもんだ」

 拓深らしくなく、真面目に答えてくれる。だけど、いつも勝手気ままな拓深らしい言葉だとも思った。


 拓深は薬を混ぜるのをやめると、焚火のそばで温めていた石を棒で手繰り寄せた。厚手の布で石を包み、都波を見た。

 いつものように口の端を片方釣り上げて笑う。

「珠纒で変わったことがあったって言う。池野辺の変わり者の巫女姫が見に行きたいって駄々をこねてる。おもしろそうだろ。行くしかないじゃないか」

「遊びじゃないのに。珠纒に行くのもほんとうは、行ったことのない神垣で女の子に知り合いたいだけなんでしょ? あちこちの神垣に恋人がいると言うのは本当なの?」

 都波の言葉に、颯矢太が湯を跳ねあげた。アツッと声が出る。


「誰に聞いたんだ、それ」

 颯矢太とは裏腹に、拓深は少しも動じずに言った。それどころかおもしろがっている。

「果歩が心配していたもの。果歩と恋人なんでしょう? 昨日も、神垣の女の子が拓深に会いに来たみたいだったけど」

「さあ、俺は恋人のつもりはないけど。恋愛ごとに疎い都波に言うなんて、よほど思いつめてたんだな、かわいそうに」


 随分な言いようだ。

 後ろから満秀の責めるような眼差しを受けて、拓深は大きくため息をついた。心外だ、と言うように。

「俺は探しているんだよ。どこかにいるはずの、本当の恋人を」

「なあに、それ」


 都波が頬をふくらませると、拓深は笑いながら立ち上がった。

 温石おんじゃくと木の器をもって、少年のところに行ってしまった。

 少年の傷口に巻いていた布を取って、薬を塗り、手当をしている。都波たちと離れている間に抵抗をあきらめたのか、少年は無表情でなすがままになっていた。


「やっぱり、そうなんじゃない」

 都波は膝を抱える。納得のいかない顔をして、膝の上に顎を乗せた。そのまま都波は颯矢太を見上げる。

「颯矢太も? 颯矢太も探してるの?」

「俺は、そういうのは、考えたことないよ」

 颯矢太は困ったように笑う。それから、と付け足した。


「拓深さんみたいなトリばっかりだと思われたら困るけど……。神垣で帰りを待ってくれてる家族を心の糧にして旅をするトリがほとんどだよ」

 この話は終わりとばかりに、颯矢太は汁物を器に取り分けて、都波にさしだした。

 頬をふくらませて、都波は器を受け取る。じんわりと掌が暖かかった。湯気と一緒に、いい匂いが鼻腔をくすぐる。


 拓深はああ言うけれど、神喰の少年を拾ったから、神垣に立ち寄らなかった。

 颯矢太に満秀や少年を任せて、自分が神垣に行くこともできたのに。ちゃんと責任を持って、神喰の少年を見張っているようだった。

 都波は、受け取った器の汁物の野菜をじっと見て、考え混んでしまう。お腹がすいていて、考えがまとまらない。


「余計なこと言ってないで、冷めないうちに食ってさっさと寝ろ。歩き続けても、珠纒はまだずっと先だぞ」

 戻ってきた拓深は、食べ物に気を取られた都波を見て、だからお前に優しくしたって無駄なんだよ、と少し意地悪な顔で笑った。

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