5話 迫る炎の群れ



「おい!」

 外を見張っていたトリが大きな声をあげた。

「直杜どの、外を見てくれ!」


 階段から呼ぶ声に、直杜は駆けだして行った。都波は握っていた咲織の姫の手を、姫の胸元にそっと置いてから、直杜の後を追う。


 水の宮の玉垣は簡素で背が低い。社の扉の外に出れば、遠くまで見渡せた。

 たくさんの灯りが遠くで揺れている。雪の帳の向こうでも、灯りは大きくあかあかと見える。


「珠纒の方角だ」

 直杜が、愕然として言った。


 松明の群れ。

 池野辺で、火無群ほむらの神垣で見たのと同じものだ。

 神垣を取り囲み、火を放って、皆の住まいを奪い、殺していく。神垣の人は、あれに気づいているだろうか。


「珠纒に行って、神垣のみんなを逃がさないと」

 都波の言葉に、直杜が頷いた。

「やつらよりも早く珠纒に行って、神垣の人間が外に逃げるのを手伝う。今ならまだ埋み門から外に人を逃がせるかもしれない」


「それ、わたしが前に逃げた時に使った門?」

「珠纒は広いから、正門だけでは対処できないことがある。急な報せを出したり、受け取ったり、不浄を外に捨てたり。それに、取り囲まれたらひとたまりもない。そう言う時のためにいくつか門がある。滅多なことでは神垣の人は外に出ないから、秘されていて、使われることはほとんどないが」


「神喰が知ってるということはないの」

「神垣の人間が知らないものを、やつらが知ってるとは思えない」

 間に合うだろうか。

 先に着いて、人々を誘導して、外に逃がす。


 颯矢太と一緒に歩いた珠纒の様子を思い出す。

 とても豊かで、家々はしっかりと建ち、人がたくさん歩いていた。池野辺のような小さな神垣ならばともかく、珠纒は広い。皆を取りこぼさないように、逃がすことができるだろうか。

 辿り着けても、神垣を駆けまわっている間に、追いつかれる気がした。


 でも、やらなくてはいけない。神喰が神垣を襲うのを見るのは、三度目だ。

 今度こそ、神垣を守りたい。


「神垣の人間が外に出ることを嫌がらなければいいが。珠纒なら持ちこたえられると考えるかもしれない」

 篝野の声に、振り返る。篝野は咲織の姫のそばにとどまったままだった。

「持ちこたえられないの」

 頑健な門を持ち、土塀や板塀に囲まれた珠纒は、他の神垣とは違う。


「ほかの神垣と同じだ。火を放たれたらひとたまりもない。あいつらは占拠したいんじゃない、奪って破壊したいんだから。自分たちの目的のためなら、自分の命すら惜しまないやつらだ。そういうやつに抵抗するのは簡単じゃない」

「それに、松明の数が多い。尋常の数じゃない」

 直杜が言葉を継いだ。明かりは次々に増えている。十や二十ではない。


「しかし、水の宮の門が開いてしまった。誰かがとどまって咲織の姫を守らなければ」

 雪人のひとりが言った。社の中の篝野が、一も二もなく声を上げる。

「俺が残る」

 けれどそれを聞き流して、拓深が口を開いた。


「俺がここにとどまる。俺は珠纒に詳しくないから、珠纒に行っても役に立てると思えない。人手を割ける状況でもないだろう。ひとりで十分だ」

 唐突な拓深の言葉に驚いたのは、都波だけではなかった。篝野が噛みつくように言い放つ。


「よくわからないやつに、このような様子の姫を託すわけにいかない。ここに神喰が押し寄せたらどうするんだ!」

 拓深は、口の端をつり上げて笑った。

「取り囲まれる前に姫を背負って逃げる。俺はトリだ、囲まれる前に外に出ればうまく捲ける。大勢でうろうろするよりも目立たなくていいだろう」

「お前一人で逃げないとなぜ言える」


 さっき会ったばかりの拓深を信じられないのは、当然のことなのかもしれない。篝野は咲織の姫のために働くと言っていたし、姫を守れなかったことを悔やんでいた。

 でも都波は、拓深を見上げて、はっきりと言った。


「わかった。拓深が残って姫を守って」

 都波を篝野が勢いよく振り返った。

「勝手に決めるな」

「拓深は決して人を見捨てない。絶対に咲織の姫を守ってくれる」

 そうよね、と拓深を見るが、彼は唇を釣り上げておかしそうに笑った。


「随分と認められたものだな」

「一緒にここまで来て、見てきたもの。それにわたしは門を通れただけだった。この扉は拓深が開いた。意味があることよ。わたしたち、来るべくして来て、会うべくして会ったの。拓深はここに残るべきだと思う」


 篝野は拓深を睨みつけ、唇を噛む。そして横たわったままの咲織の姫を見た。

 まだ納得しきれない様子だったが、強い口調で言った。

「たまたまだろう。巫女姫が触れて、たまたま次に触ったこいつが開けたように見えただけだ」


「篝野、やめろ」

 直杜が厳しい声で、篝野を制した。

「巫女姫の言う通りだ。偶然なんてものはない」

 直杜はそう断じた。厳しい声で言う。


「自分のすべきことを考えろ。咲織の姫が、珠纒が争乱に巻き込まれるのを望むと思うか。俺たちは神垣の民じゃないが、国が再び乱れるのだけは阻止せねばならん。拓深の言う通り、多く人手は割けないし、珠纒に詳しい者が向かった方がいい」

 篝野は反論しかけたが、言葉を飲み込んだ。拓深を睨みつけ、唇を噛む。そしてかたわらで横たわったままの咲織の姫を見た。


 直杜は、小さくため息をついた。少し痛ましげに彼を見てから、拓深に言う。

「何かあって珠纒に向かう時は、北西にすすめ。珠纒の埋み門のひとつに出る。正面から入るよりはいいだろう。目印に、大きな松がいくつかある。百歩進んで次の松がなければ、迷ったと思え。珠纒までは小半刻もかからないはずだ」

「分かった」

 拓深の声には気負いがない。だけど硬くなり過ぎない頼もしさがあった。


「都波、無茶をするなよ。少しは慎重になれ。ひとりで平気か」

「分かってる。子供みたいに言わないで」

 都波はまた頬をふくらませる。


 何ができるか分からないけれど、今度こそ、あの神垣を守らないといけない。神喰たちは、きっとあの凍つる桜を破壊しようとするだろう。

 池野辺や火無群の神垣のようなことが目の前で起きるのは、なんとしても止めたかった。

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