2話 咲かない花

 去っていく雪人を見送ってから、颯矢太は門番にトリの証を見せて、都波のことを説明した。

「ああ、先触れが来ていたな。もし巫女姫がいらしたらすぐお通しするようにと、里長から言われいてた」

 兵がひとり、先に立って案内をしてくれる。

 連なる建物の入り口は広かった。都波は藁靴を脱いで、頭からかぶっていた織布を脱いで腕に抱える。

 椿の木から切り出した杖を、すがるように握りしめた。




 通された部屋は、池野辺の長の館よりもずっと広い。

 都波は颯矢太と並んで、部屋の真ん中に座って待っていた。そわそわと見回す都波を、時々颯矢太がたしなめる。


 遅れてやってきた珠纒の里長は若い。火無群の神垣の里長も若いと思ったけれど、珠纒の里長のほうが随分と若い。

 拓深よりはずっと年上のようだったけれど、大駕よりは若い。

 若い里長は、大きくて豊かな神垣の力強さを、そのまま体現しているように思えた。若くて風格のある男の人に慣れていなくて、都波は怯んでしまう。抱え込んでいた織布を握りしめる。


「遠いところを、巫女姫自らようこそおいでくださった」

 都波たちに向かいあうように座ると、精悍な顔を和ませて、里長は言った。

 小さくなっていた都波は、思いがけない対応に少しホッとした。そして身を明かせと言われないことに、かえって困惑した。


「ええと、はい。迎えてくださって、ありがとうございます」

「火無群の神垣でのことは、聞き及んでいてね。巫女姫が神垣の依代を目覚めさせて、神垣を守ったとか」

 都波たちは、神喰に襲われた翌朝には、火無群の神垣を発った。

 その時には、誰かが神垣を去った様子はなかったのに、トリがもう珠纒の里長に伝えたのだろうか。雪に不慣れな都波の進みが遅かったから、どこかで追い抜かれたのだろうか。

 火無群の里長は珠纒には頼らないと言ったのに。


「神々のいないこの国で、そのようなことを起こせる巫女姫がいるとは。本当に、尊いことだ」

 そんなこと言われたこともないから、どう反応すればいいかわからない。

 だけど、火無群の里長のように都波を責めないことが、認めてくれることが嬉しかった。縮こまっていた心が、少しずつほどけていく。


「あの時は、夢中で。人を守る神の意志が、神垣の人の思いに答えてくれただけです。わたし、何もしていません。神垣は焼かれてしまった」

 しどろもどろに答えた都波に、里長は優しく笑った。

「そのように謙遜なさることはない。火無群の神垣には、珠纒から食料を届けさせるから、安心されよ」

「本当ですか!?」

 思わず大きな声が出た。自分で驚いて、都波は気まずくなって、居住まいを正す。


 火無群の里長はあんなことを言っていたけれど、やっぱり珠纒は助けてくれる。

 ここから池野辺は遠いから、火無群のようにすぐに手を差し伸べてもらうのは難しいかもしれないけど、きっと池野辺も、なんとかなる。

 嬉しくなって、都波は緊張がほどけていくのを感じた。織布を抱える手に、更に力がこもる。


「わたしたち、こちらの玉垣の桜がいっせいに咲いたのだと聞いて、見に来たんです。でも、桜はもう散ってしまっていて。せめて、こちらの巫女姫にお会いしたいと思ったんです。咲織の姫に会いすることはできるんでしょうか?」

 里長は都波の話を聞いて、そうか、と頷いた。そして申し訳なさそうに言った。

「残念だが、咲織の姫は潔斎のさなかで、お会い出来ぬ」

「どこかにこもっていらっしゃるのですか?」

 すぐにでも会えるかもしれないと思っていたから、がっかりした。

「わたし待ちます。どのくらいで戻られるんでしょうか」


 今日か、明日か。もっと先なのだろうか。駅舎に居させてもらえるだろうか。あまり長くかかると、池野辺に戻るのが遅くなってしまう。

「巫女姫のなさることだ、いつとは俺にはわからぬ」

 里長の答えは、都波の中に落胆を広げた。あからさまにがっかりした都波に苦笑して、里長は励ますように言った。


「遠いところ、せっかく来たのだ。この神垣の御神体を見ていかれてはいかがかな」

「――つる桜? 見てもいいのですか?」

 思わぬ申し出は、都波の声を弾ませた。

 皆に迷惑をかけながら、せっかくここまで来た。少しでも、池野辺の助けになりそうな手がかりがほしかった。




 都波の入ってきた門とは別の門から御館を出て、館の後ろに広がる鎮守の森を進む。

 ここには神垣の人たちもよく来て、凍つる桜に詣でるのだという。どこの神垣も、それは同じようだった。

 神垣を守ってくれるものへ感謝し、これからも守ってくださるよう願う。


 その桜は、森の中、少し開けた場所に鎮座していた。ずっしりと地に根差して、見たことがないくらいに大きい。

 いったいどれだけ長い時間、ここにいるのだろう。周囲には杭が四つ地面に打たれていて、縄が張り巡らされていた。神域に人が入らないようにするための結界だ。


「この桜は、この珠纒の神垣を守る御神体だ。かつて春を謡った花信風の女神は、いつもその力でこの桜を咲かせてきたそうだ。春の訪れを知らせるために。花信風の女神が去ってから、ずっと花も葉もつけなくなってしまった」

 春を告げてきたのに、その役目を捨ててしまった桜。

「中に入って構わないよ。巫女姫ならば、問題ないだろう。あなたは、咲織の姫のように、椿の祝福いわいをうけた巫女姫なのだとか」


 慌てて都波は里長を振り返る。奇妙な違和感があった。

 凍つる桜の元までは、兵が二人付き従って来た。この桜は御神体で、里長の御館には巫女の社もあると聞いたのに、巫女の姿が見えない。

「でも」

「凍つる桜も、あなたの手で目覚めるかもしれない。もしそうであれば、この国と神垣にとって、何よりもいいことだ」


 凍ったように咲かない桜。

 これが咲けば、蛇神の言ったように、国がよみがえるだろうか。火無群の火打ち石のように、応えてくれるだろうか。

 結界の縄に触れて、迷って、都波は首を横に振った。もう一度桜を見上げる。


「だめです。わたしはこの神垣の人間じゃないから、巫女の司か巫女姫の許しなしに、御神体に触れることなんてできない。巫女の司はいらっしゃらないんですか?」

「前の司が急に亡くなってから、なり手がなくて、今は司が不在だ。巫女姫がいずれ跡を継ぐと言っていたが」

「それならやっぱり、巫女姫を待ちます」

 神垣の大事な大事な御神体に、勝手に触ることなんてできない。


 この桜は、池野辺にとっての大池だ。

 池野辺では、蛇神の眠る大池は生活の糧だったから、みんな敬意と感謝を持って、その水と一緒に生きてきていた。火無群の神垣の時は、急を要したから無理を言ったけれど、巫女の司が許してくれた。


 凍つる桜の周りにはしめ縄がほどこされて、きっと神垣の中で一番清められた場所だ。しめ縄の結界の雪の中に、人の足跡はない。

 里長の許しは、巫女姫の許しとは違う。人々がよすがにするものへ軽々しく触れるなんて、してはいけない。




「そうか、残念だな」

 都波の背に里長の声が低く落ちた。今までの親しげな口調とは違い、神垣の外の風のように、冷ややかだった。

 振り返ると、里長は不穏な笑みを浮かべていた。


「あの……?」

 思わず後ずさる。

 突然、兵が颯矢太に槍を突きつけた。颯矢太は身を翻し、腰の短刀に手を伸ばす。そして、ためらった。トリの持つ短刀は旅に使うもので、人に向けるためのものではない。池野辺で鋼牙に襲われた時とも、また状況が違う。


 横から駆けてきた別の兵が、槍の柄で颯矢太の背中を打ちすえて、颯矢太は薄く積もった雪の上に倒れた。起き上がろうとした颯矢太の背や手を兵が踏みつけて、抑えつける。怪我をしている手も。颯矢太が痛みに声を上げる。

 血の気が引いた。


「やめて、颯矢太は怪我をしているの!」

 わけがわからなかった。都波は颯矢太に駆け寄ろうとして、里長に腕を掴まれる。容赦ない力に締めあげられながら、都波は叫んだ。

「神垣を守る御神体の前で、人を傷つけるなんて、どういうつもりなの! 颯矢太は何もしていないのに!」

「あなたは、本当に椿の祝福をうけた巫女姫なのか」


 急に何を言いだすのか。

 都波は、違和感の正体にようやく気がつく。どうして里長がそれを知っている。

 言葉を詰まらせ見上げると、里長は結界の縄を持ち上げて、都波を無理矢理にくぐらせた。容赦ない力によろけて、都波は雪の上に倒れこんだ。


「今この桜を咲かせて、神秘の力を証明して見せろ。あのトリを死なせたくなければ」

 命じる里長には、門番や神垣の人が見せた巫女姫への敬意も、神への畏れも、人を害する恐れもなかった。


 ――トリを死なせたくなければ、と里長は言った。

 知らず、体が震えた。池野辺が襲われたあの日に、颯矢太が殺されそうになったことを思い出す。

 怖気をふるう。こんなこと、想像もしなかった。神垣の中で、御神体の前で、里長がこんな仕打ちをするなんて。


「この桜が咲けば、春が来る。国をよみがえらせることができるはずだ」

 里長は高慢に言い放った。

 都波は縄の中で、颯矢太を振り返る。颯矢太はただじっと都波を見つめていた。覚悟を決めたように。

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